おはよう。今日も一日が始まった。
ガラっと東の雨戸を開けたら眼下に猫のウンチを発見した。
コレハ、デジャヴ、デスカー?
ガッカリ。犬猫忌避剤を撒いたのに、結局効果はなかった。いや、効果は数日しかもたないということがわかったのだった。
窓を開ければ忌避剤の柑橘系の香りがまだしている。それだけにガッカリ度が増す。南の窓を開けてもまだその香りは確認出来るというのに、猫は忌避剤の上にプリプリプリっとウンチをしていったのであった。
このにおい、嫌いなんじゃなかったの?
本人に尋ねてみたいところなのだが・・・。
眼下にはやはりウンチがある。
しかもゆるめのウンチ。
猫はここをどうしても自分のトイレにしたいらしい。裏に回って掃除をしたら、「あれは石ころだと思おう」と認めなかった物体も結局ウンチだったことがわかったのだった。
うーーー。
4匹の子猫のうちの1匹の多分ブチめ。
忌避剤対決では私が負けた。
でもね。
ここは私ん家なのです。確かにキミの選んだ場所は誰も来ないすごくいい秘密の場所だったと思う。落ち着いて用を足せるすごくいい場所だったとは思う。
でもね。
家賃ってキミ、知ってる?
私はね、家賃を払ってここに住んでいるんです。
ドゥユーノウ??
キミん家は持ち家だよ。
お家でしてね。
・・・・・・・。
本日。また私はトゲトゲシートを買って来て敷き詰めた。おかげで私もチクチクしてここを歩けなくなったが、キミもゆっくりウンチが出来ない場所になりました。
パソコンで調べたら、トゲトゲシートも効果がなかったと感想を書いている人が居て、最初から「また捨て銭になるかもしれない」というやるせない気分に覆われたが、日が暮れて暗くなってもなおシートを敷き詰めている私は、やや疲れ気味で髪もボサボサ、我ながら「やまんば」ってきっとこんな見た目なんだろうなぁと思うのであった。
猫との縄張り争い、第2ラウンドのゴングが鳴った。
あのね、縄張り争いにも割とお金ってかかるんだよ。
お手柔らかにね。
ウンチはお家でしようね。
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2010年11月29日
普段のダンボはあまり私に依存する様子もなく、一人で自由に過ごしている。
が、たまに構ってもらいたい時というのはあるようで、そんな時は私に思い切りアピールをしてくるのだ。
<ねぇ、構ってよ>
<ねぇねぇってば>
しかし、今日は丁度その時ベッドに横になってさぁようやく眠くなるまでの時間、枕元の明かりで本を読もうというモードになっていたのだった。
<遊んでよ>
<ここにいるよ!>
いつもならアピールに負けて、ちょびっと相手をするのだが今日は自分の時間を優先したかった。犬に甘い私にしては稀なことだ。
<遊んでってば!>
「いや。今日は本読むから」
「だってダンボちゃんだって私に用がないときは知らん顔するやん」
独り言を言いながら本を読んでいた。
ダンボはしばらくして私の上に乗って来て、布団の上で「ム~~~」とつぶやきながら「堀り堀り」を始めた。構って欲しい時の最大のイジケた気分の時に、ダンボはこうした奇行アピールで無理矢理にでも私のハートをゲットするのだが・・・・。
今日はそのアピールにも負けず、引き続き本を読んでいた。
し~~~ん。
しーーーーーーーーん。
あきらめたのかなぁ???
これで静かになったぞ・・・・と思った頃、ダンボはノシノシと私の足元の辺りからやってきて、そして丁度私と本の間で立ち止まったのだった。
ダンボはその時四本足で立ち止まったままチラっと私の顔を見た。
厳密には、私の顔を見下ろしていた。
そして、
「ドスン!」
私と本の丁度真ん中にデンと横になった。
そしてそのままそこから動かなくなり、そこで寝はじめたのだった。
お前・・・・・。
だいぶ賢くなったよね。
ウンチをトイレシート枠からいつも外してしまう惜しいワンコが、こういう形で邪魔することが思いつくようになったとは。
「感動した!」
本は中断。わかったわかった。
じゃ、もう寝ようね。
どこまでが寝たフリなのか、その後ダンボはその姿勢のまま寝ていた。
ダンボの勝利でこの勝負は幕を閉じたのであった。
2010年11月28日
夜、仕事が終わってから出張で東京に来ている大学時代のサークルの仲間と待ち合わせをした。
時々、お好み焼き屋さんにいきたくなる時がある。だが鉄板焼き屋さんには一人ではちょっと行きにくいのだ。一人の場合テイクアウトのお店に行って買うかもしくは冷凍食品のお好み焼きを買ってきて食べるかなので、年間で自分は美味しいお好み焼きを思う存分食べているかと考えてみたら、そうではなくちょびっと我慢していることに気がついたのだった。
私が東京にやって来た頃は、美味しいお好み焼き屋さんになかなか巡り会えなかった。地元関西では「お好み焼きがまずい」ということはあり得なかった。フラっと入った初めての店であっても、「はずれ」の店に当たるということはほぼないに等しかったので、まずいお好み焼きがあるということを知らなかったのだ。
ところが東京に来て初めて入った店では、青のりがいつのものなのか「青」でなく「かつお」と同じぐらい茶色に変色をしていた。お客さんが居なかったのはそのせいだったのかもしれない。しかし、その後リベンジで入った数軒も「ただの粉の味」しかしないお好み焼きだった。流行っている店でさえ、こんな薄っぺらい上品なお好み焼きなんてあるか!と言いたくなるような品で、納得が行かなかったのだ。
だが私もようやくお好み焼きの美味しい店を数軒見つけた。
ここなら大丈夫だろうと思ったのだったが・・・・・。
チェーン展開をしているその店の割と最近出来た店舗に行ったのだが、ちょびっと味が違う。私ぐらいのいい加減な舌でも、S店で食べた時の感動の味とはちょっと何かが微妙に違っていて、関西人を連れて来ただけに不本意だったのだ。
友人は「あぶらっこいわ!」と言ってなんかおつまみを残していた。
「石ちゃん」ぐらい体格がいいので、何でも「まいう〜」と言いながらよく食べるのかと思っていたが、見かけによらずこのおっさんは普段は夜は飲みはじめるとあまり食べなくなるのだそうだ。
うー。美味しいお魚のお店に行けばよかったか・・・・。
友人はしばらく出張でこっちに居るということだった。駅で待ち合わせをしていたが、完全に近所の住人のようなスエット姿で私の方が旅行に来た人のようだった。
今日の店は、久しぶりにハズれてしまった。
東京には美味しくないお好み焼き屋さんがある。
関西人にとってはこれは驚きのことなのだ。
2010年11月27日
朝キッチンで洗い物をしていると、キッチンの窓の向こうに人の気配がした。
キッチンの窓のすぐ向こう側は、猫ぐらいしか通らないような場所。斜め裏の家の人がまた何かしているのかもしれないと思ってしばらく洗い物をしながら様子を伺うことにしたのだった。
「ガタガタ」
「ゴトゴト」
斜め裏の家の人は、うちが賃貸で大家さんが遠くにいるのをいいことになのか、勝手にこちらの敷地側に入って2帖ぐらいのベニヤ板のつい立てを打ち付けたりして、神経質なわりに他人に無神経なところがある。ベニヤが雨風で劣化してこちらの壁をゴンゴンと叩くようになったので、不動産屋さんに間に入って外してもらったら、その時は「換気扇の音がうるさかった」という理由でつけたのだと逆に言われたのだ。
まだ人の気配がある。
と、思ったらスパイダーマンのようにこちらの壁とそちらの家の壁に手をかけて、何かをしているみたいなのだった。
キッチンの窓のすぐの所に男性と思われる姿が見える。
これが夜だったら恐怖でいっぱいになっていた。
塀に上って何かしているみたいだが、何をしているんだろう。
それにしてもまた無断でこちらの敷地に入っているじゃない。
こういうの、当たり前に思われるのはイヤだわ。
ちょっとプレッシャーをかけようと窓を開けてみた。
「ガラっ」
すると斜め裏の家のおじいさんが塀のところにいて「へへっ」と慌てて会釈をしたのだった。
その勢いで外の様子を見てみたら、おじいさんは斜め裏の家との境の塀の上に、多分猫よけと思われる金網を取り付けていたのだった。
柑橘系の香りの忌避剤を撒いたが、効き目があったのは二日程。香りが弱くなる頃にウンチをされていて、おじいさんの家も被害があるのかもしれない。やっぱり今年の春に生まれた子猫のどの子かがこの辺りでウンチをするようになってしまったのだろう。
今まで数匹の猫達は近隣の敷地に粗相をしたりしなかったのだが・・・・。
おじいさんの家の塀には金網がつけられた。
縄張り争い、やや我が家は不利な形勢。
私の家の敷地の忌避剤の撒かれた上に、コロンコロンとまた新しい猫ウンチがしてあったのであった。
2010年11月26日
今日で放射線治療の10回目を終えた。
放射線治療の経験がある知人から「放射線治療がなかなかのくせ者なんで頑張って!」と励ましてもらっていたが、「くせ者」の意味がどういうことなのか始まるまではわからなかったのだ。
が、その「くせ者」というのがだんだんわかってきた。
治療自体は痛くも痒くもなんともなく、治療時間もあっと言う間に終わってしまうので一回の照射量はわずかなのだと思う。が、塵も積もれば山となるのと同じで、ちょっとずつの放射線治療を毎日続けているとやっぱりビミョ〜にしんどくなって来た。
バスを降りて地下鉄の駅まで歩く。なんてことのない距離なのだ。だが、駅の階段の入り口に立った時点で一万メートル走直後の選手のようにぜいぜい言っている。バス停から駅まで100メートルないのにもかかわらず、だ。
あっ、電車が来た!と、30メートル程の距離を早歩きをして、電車には間に合ったがそのあと2駅分ずっと200メートル走を全力疾走した選手のように肩で息をしていた。周りの乗客が<あんた、それは大げさだろう>という顔で見ていたが、<この人、心臓が悪い人なのかもしれない>と解釈をした人もいたようで、携帯を見ていた近くの人に「携帯、使用禁止」と合図を送っていた。
他には息切れと共に倦怠感、あとは喉がつかえるようになった。食べ物を飲み込む時に、違和感があって、照射部位が胸の場合には周辺臓器にやはりいくらか影響が出るとは聞いていた。寝込む程ではないので、これぐらいのダメージは気にするなと思ってみる。
やっと半分の回数に近づいてきた。
土日は病院が休みだが土日が仕事の日なので、一日家にいられる日は来月16日までは来ない。家大好きな私としてはこれがちょっとストレスになってきたようで、今日はサボるぞ。と、目覚めたら思っている。
そして、少しだけ考えて「今日は行くけど明日は、じゃぁサボろう」と言い聞かせてなんとか毎日病院に行く。
放射線治療が終わる頃、私ひからびた梅干しみたいになっていないかしら。
ワンステップ老けそうな今日このごろなのであった。
2010年11月25日
だいぶ我慢をしているものの、つい財布のヒモが緩くなってしまうのは「ダンボ似」のグッズを見つけたときなのだ。壁の絵もそう、Tシャツのイラストもダンボに似ているという理由で買ってしまったし、キーホルダーなどの小物系のものも割と持っている。シールや便せんなども「似ている」というだけで「これ下さい」とレジに並んでいて、多分これらの商品は私みたいな飼い主に照準を合わせていて、私はまさにその罠にハマっているのだと思うのだが・・・・。
買ってしまう。
チワワもそうなのだが、シカも「ダンボ似」に入ってくるので、シカグッズを見つけた時はかなり自分を抑えているのだ。
<これは、シカだよ>
<また買おうとしてどうするの>
<物を増やしてどうするの>
シカグッズはかなり我慢をしている。
が、気づけば結構な数のダンボ似のグッズに囲まれて暮らしているのだ。
ダンボ似のRODY
ダンボには乗れないが、ダンボ似のRODYには時々乗っている。他人に見られたら引かれるだろうが結構楽しい。
そして今日は新しい器を買ってしまった。
全然似ていないと言われるかもしれないが、私の「ダンボに似てる!」ツボにハマってしまったのでしょうがない。
ダンボグッズ、増殖中。
家に居るとほっこりくつろぐのだ。
2010年11月24日
スーパーに行くと、ラーメンコーナーが随分充実したなぁと足をとめていることがある。ウチは近くにスーパーがなく同じ様な距離で数軒のスーパーがある。なので、気分で行く場所をかえて買い物をするのだが、いつ頃からかどのスーパーも生ラーメンのエリアが種類が豊富になった。麺にしても数年前は生麺を置いているスーパーはもっと少なかったのではないだろうか。今はつけ麺も当たり前のラインナップになっているのだ。
あまりラーメンを食べない私もたまに買ってみる。が、今のところセブンイレブンに置いていた、最近見かけないのだがチンすればそのまま食べられるタイプの「すみれ」の味噌ラーメンが私の中では一番好きだ。
ラーメンも今や有名店監修のものが結構多いので、確かに美味しそうだ。
だが、私が足を止める理由は他にもある。
それはラーメンの商品棚から発せられているエネルギーが、他のコーナーに比べてなんか強い気がするからなのだ。
実際に私はちくわコーナーより引き寄せられている。個人的に食べ物としてはちくわの方が好きなのに、である。
何が違うのかしら。
それは・・・・
ラーメンコーナーには商品に腕を組んで睨んでいる男達の写真がたくさんあるからなのではないか。この目力に知らず知らずのうちに引き寄せられている、だからなのかもしれない。
「ラーメン」って、いつからこのスタイルになったんだろう。テレビでも「ラーメン激戦区!」というタイトルがつくと店主が腕を組んで睨みをきかせている姿がデーンと画面に映る。
そないにメンチ切らんでも・・・・ええがな。
私、お客さんなのよ。
なんやねんな。
睨まれたら怖いわ。
メンチ切らんといて。
ラーメンの商品棚のエリアで、私は「このラーメン、美味しいのかしら」というのと同じ割合で「こんなに睨まんでもいいやろ」と心でつぶやいている。
何も愛想笑いをして欲しいとは言わない。
でも、こっちはめっちゃ普通にゆる〜い感じで買い物をしているので威圧感はいらんのです。
ラーメンはいつからか男の戦いの場所の代名詞になりつつある。
「24時間戦〜えますか♪」のリゲインの宣伝が男の戦いを表していたのは、もう今は昔の話なのだ。
2010年11月23日
花は春頃が一番花の種類も多いので、ガーデナーにとっては嬉しい季節なのだが、今ぐらいの時期からうんと寒い冬の頃は花が寂しいかと言えばそうではない。個人的には華やかな花が少ないと感じているのは秋。クリスマスの季節からははっきりした色目の花が結構店頭に並ぶようになるので、これが楽しみだ。
まずポインセチア。”クリスマス時期にあちこちで見かける赤い葉っぱの鉢植え”と言えば、「あぁ、あれか」と花に詳しくない人でもわかるかもしれない。最近は薄いピンクも出ているが、やっぱりポンセチアは赤がいい。
そしてゴールデンウィーク頃までずっと咲き続けるパンジーやビオラも明るい黄色や紫で冬の差し色として頑張ってくれ、ジュリアンという花がこれまたはっきりした明るい色の花で、春先まで咲き続けてくれるから心強い。
それからシクラメン。今年もいろいろな色と大きさのものが出ていて花屋さんの一角を明るくしている。これは蕾がどんどん出て来て咲くので5月ぐらいまで庭に居てくれる。シクラメンは以前大事に家の中に置いていたらしおれてしまった。外の寒さがないと元気をなくしてしまうことがわかってからは、もうずっと外に置いているが病気で枯れることもなく丈夫だ。
冬の花は明るい色の花が多い。
元気を出して行こうよと言っているみたいに、差し色は明るい。
女性達の羽織るコートやジャケットの色も随分明るい色目のものが増えた。昔はコートと言えば黒かグレーか茶の3色しかなかったのに、今はオレンジやからし色などのコートが特に目立つ色でもなくなった。
今年買ったもので、皮のオレンジの手袋がある。
ちょっと派手だったかも・・・と思ったが、全くそんなことはなかった。
寒くなったら明るい差し色を。
今年の冬は、それをテーマにして洋服や小物を選んでみるのだ。
2010年11月22日
日に日に木々が色づいてきた。
写真を撮ったり絵を描いたりしている人をよく見かける。
そのものをとらえるという意味では、写真の方が実物に近いのに、というか実物をそのまま撮ったものだ。だが、絵にした方が目で見た実際の景色に近いといつも私は感じるのだ。
絵の方が実物とはズレがあるはずなのに。
心で物を見るという言葉を聞くが、目で見たものを私達はその言葉どおり、ほんとうに心で見ているのかもしれない。
葉っぱの色が明るくなると町が明るくなる。
ザクザクと落ち葉を踏みしめて歩く道。
澄んだ季節が好き。
澄んだ心が好き。
いつも自分を救ってくれるものは澄んだもの。
あぁ、好きだなぁ。
晩秋は澄んだ季節。
2010年11月21日
昨日の明け方、地震で目が覚めた。
「ダンボ、地震だから。でも大丈夫だからね」
揺れるといつもすぐにテレビをつける。どこが震源地なのかが知りたいし、その次には今の揺れがどれぐらいの震度だったのかが知りたい。
たいていは1〜2分の間に速報が流れて、震源地と震度が把握出来るのだが、昨日はおかしなことに5分ぐらい経ってもどのチャンネルも地震についての速報は流れなかった。
あるチャンネルではダンス体操をやっていた。これは生放送ではないから出演者がフォローすることはないとしても、他のチャンネルでは生放送中の番組をやっているにもかかわらず、全く別の楽しげなコーナーが進行していて、そのまた別のチャンネルも生放送なのに、地震には触れていなかった。
地震、あったよね。今。
気のせいだったのかしら。
杉並区の限定エリアだけだったのかしら。
冷静に考えたらそんな狭いエリアだけの地震なんてないのだが、だんだん自信がなくなってきたのだった。
二階の人が家を揺らすぐらいの何かをしたのかしら。
確かに揺れたと思ったのだが、どのチャンネルも速報を流さなかったので、テレビを消して寝ることにしたのだった。
・・・・・・・。
それにしても、あれはなんだったのかしら。
ラジオをつければよかったのに、もうそれには時間が少し経っていた。
気になって眠れなくなり、パソコンを開いて地震情報で検索をしたら、確かに私が揺れを感じたその時刻、千葉県沖が震源地の地震があり都内が震度2になっていた。
今のは速報で情報を流して欲しかったのだ。
どのテレビも地震なんてない顔で進んでいた。
出演者が楽しそうにすればするほど、不安が募る画面であった。