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投稿日:2010年11月01日

2010年11月01日

有名なヘアスタイリストの人が、街で見かけた女性のヘアをいい感じにしてあげるというコーナーをたまにテレビで見ることがある。
だが髪型は、勝手にいじられることに抵抗を感じる人が多いパーツ、と言えるんじゃないだろうか。髪が薄いのを気にしている人の頭を冗談で触ったら、激怒されたという話を聞いたりもする。私だって昔は前髪の長さがほんの少しでも短く感じたら「誰にも会いたくない」気分に覆われたものだった。
「私の髪型を好きにしてちょうだい」と普段からオープンな人なんて、あまり居ないと私は思う。むしろ顔の輪郭や、自分のコンプレックスに思っている部分と髪型のこだわりは密接な関係があって、人にはいちいち説明はしないが微妙になんとか「これだったらOK」という合格ラインを導き出して、それで折り合いをつけて外出をしているのだと思うのだ。
髪型の決定はそういうこともあって、確かに自分だけで選んでいたらコンプレックスに少々気を取られ過ぎな部分もあるかもしれない。
もっと顔を出した方が、素敵に見える場合だってあるかとは思う。
でも物事には順序ってものがあるのだ。
だから、いきなり有名なヘアメイクの人だからって私は街で呼び止められて、自分の髪型を預けるということは出来ないし、だいいち声を掛けて来ること自体デリカシーがないと思うのだった。
変身前と変身後の姿がテレビに映し出される。
「え〜〜っ、前の方が似合っていたのに・・・」
と、気の毒に思いながら画面を見ることもある。
だが番組は、変身後の方が素晴らしいことを絶対的な前提としている。
素人の女性は慣れないテレビ画面の中、「ほんっと、変わりましたね〜」などと笑顔で頷いている。だが、それは<素敵になって>自然に心から出た感激の言葉ではない。「変わった」という、「気に入った」「気に入らない」のどちらでもない言葉で、精一杯本心を濁した気遣いのように思えるのだった。
<ほんとは気に入っていないわ、この人>
しかし、なんだか知らないが「今回の奥様の変身、大成功!」でコーナーは終わる。
素人に気を遣わせた挙げ句強引に終わるコーナー。
それまでだって、変身前と勝手に定義づけられている髪型を「生活に疲れたような奥様の髪型」などといったナレーションを入れたりして、もうそれだけで十分失礼だと思う。そもそも変身後の方が「絶対に」良くなっているというあの強制的なムードは何なのだ。「こんなの、やだ!」「うーーん、思ったより素敵にならなかったです」などの意見をもっと言わせろ。
ヘアメイクさんが街を人を取っ捕まえるコーナーは、言論の自由を奪われている恐ろしいコーナーであるにもかかわらず、スタジオの口の立つ出演者もだ〜れもそうは言わない。
何故だ。
理由はどこにある。
世の中、黒いものがはびこっている。
こういうコーナーをテレビで見る度、私はカリスマヘアメイクの人がどうしてこんなに「正しい人」として、いつも腫れ物を触るように扱われるのかが不思議でならないのである。