日本で最初に出来た屋上遊園地が今日で閉園になるらしい。
場所は松屋浅草の屋上の「プレイランド」。オープンが昭和6年だったというから、当時は今とは違って低い建物がたくさん眼下に広がっていたんだろう。最近ではスカイツリーが建設を進めているのが見えたのだそうで、東京の街の移り変わりをジっと見つめてきたものでもあるのだ。
残念だなぁ。
そう思ったが胸がチクっと痛んだ。
<お客さんが来ていれば、別に閉園になることはなかった>
松屋浅草には立ち寄ったことがある。だが、あの時は何か買わないといけないものがあって、それで買い物を終えたらすぐに出て来た。もし時間があってゆっくり中を歩いたとしても、私は屋上遊園地に行っただろうか。いいや、屋上遊園地があることすら私は思い出さなかっただろう。
大人になってから何度かは屋上遊園地には行ったことがあった。でもその時は、「屋上遊園地なんて、随分行っていなかったなぁ」とふと思い出して、人が少なくてのんびり出来そうだからという理由で行っただけで、デパ地下にばかり心を奪われて屋上遊園地の存在はもうほとんど忘れかけていたのだった。
楽しかったのに。
忘れちゃってごめんね。
私にとっての思い出の遊園地は、そのいくつかが閉園してしまった。宝塚ファミリーランド、琵琶湖タワーとその対岸にあった遊園地、エキスポランドもポートピアランドも、いくつかどころか私にとって思い出が詰まった遊園地はほとんどが閉園した。
忘れたわけじゃなかったけど。
でも忘れちゃったんだよね。
ごめんね。
ありがとう。
他の建物だったら、更地になって別の建物が建つと自然に元の景色を忘れて行くのに、遊園地だけは<あそこに遊園地があったなぁ>とずっと遊園地の幻を見ている。
屋上遊園地。デパートの屋上は遠くが白く霞んでいて、いつもまぶしいお日様が降り注いでいた。
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2010年05月30日
今日は初めてピアノレッスンの生徒さんをお迎えする日なのだ。
Mちゃんは大学生の生徒さん。子供の頃に習っていたけれどほとんど弾けないとご本人は言っていたが、課題曲はMちゃんの好きな曲、馬場俊英氏のエンターテイナーにトライすることになったので、とりあえず今日はイントロの部分だけの譜面を書いて、4小節ぐらい進めたらいいなぁと思っている。
私のピアノ歴はバイエルから始まって、ブルグミュラー、ソナチネ、ソナタといわゆる王道パターンのピアノレッスンの道を歩いてきたのだが、今になってようやくわかったことは、クラシックの世界でプロの演奏家になるのでないのなら、ピアノレッスンの方法はこの王道パターンを辿らなくていいということだ。むしろこの王道パターンのレッスンが、「ピアノを弾くのって難しい」と思わせる最大の壁になっているような気がするので、そこを工夫出来たらいいなと思っている。
好きな曲が何曲か弾けるようになったという人に何人か会ったことがある。他の曲は弾けないけれど、と言って弾いてくれたりするのだが、そういう人に限って譜面にしたらえらい難しいことを弾いていたりする。だから「好き」は、一番大事な基の部分なんだと思う。そして弾けるようになった曲は自分の宝物になる。10代の頃に「どうしたらプロになれますか」とギラギラした目で先生に詰め寄っていた私も、ずいぶん落ち着いたのだ。
Mちゃんは、自分ではあまり弾けない思っていたみたいだが、少しピアノの前に座って始めると違っていた。楽譜でなく手の形と耳で覚えて、あとは自分が間違った時は自分で認識が出来、他には自然と譜面を見て正しい音符を拾うということが出来る。小学生の頃にしっかり習っていたことが、いつの間にか思い出せていたようで、きっとどんどん上達するなぁと想像が出来た。自分が弾けるようになるのと同じぐらい、フレーズが弾けるようになると嬉しかった。
今日はイントロと歌の最初のあたりまで、予定よりずっと先まで進んだ。
転調が頻繁に出て来る難しい曲なので、この先大変な場面もあると思うが、まずは一曲一緒に完成させたいなと思う。一曲弾けるようになったら、不思議なのだがそれまではなかった何か音楽的な知識と技が身についている。確実に上手くなる。
夜になってメールが届いた。
帰りに楽器屋さんに行って、今日練習したところを弾いてみたのだそうだ。
「好き」だったら必ず弾ける。
そう自分で言っていたが・・・・、
今日レッスンを終えたらこの言葉を私は彼女からもらったような気がしたのだった。
2010年05月29日
少女の頃、眉村卓さんや星新一さんのSF小説が流行って私もよく読んだ時期があったのだ。
宇宙、未来、四次元、タイムマシン・・・。寝る前にそれらを読むと、自分もふと気を緩めた瞬間に「現在」から消えてしまうかもしれない・・・と想像してちょっぴり怖くなったものだ。
四次元はあるかもしれない。そう思ってから私は道のはじっこを歩くのをやめた。多分読んだ本の話の中に電信柱の隙間を通ったらそこが四次元の世界への入り口だった、というようなくだりがあったからだと思う。
それから友達がいつもと感じが違うと、「もしかしたら、宇宙人が彼女のフリをしているかもしれない」と真面目に観察したこともあった。
母のことも”いつもはここで怒るのに、どうして怒らないんだろう”と思ってから、しばらく本気で母のことを疑っていたことがあったのだ。
<本当のお母さんが、こんなに優しいわけがない>
そんなことを思いながら夕食のマカロニサラダを食べつつ、母を監視していたとはまさか当人は知らないままだっただろう。
<やっぱり。どこか変な気がする>
それからは本気でホクロの場所や、言葉遣い、本物の母とは違う箇所を見つけ「シッポをつかもう」としていたっけ。
それほどSF小説は私にとって衝撃的かつ影響を与えた世界だった。
当時、PTAが土曜日にやっていた「8時だよ!全員集合」を、子供にふさわしくない番組だと危惧していたが、子供の想像力はもっと親が考えるよりもぶっ飛んでいる。
母も、テレビじゃなくて本をたくさん読みなさいと言っていたが・・・・、
別に賢い子供に育つわけもなく、母が勧めた読書で私は母を宇宙人だと思っていたのである。
2010年05月28日
梅雨がまだやって来ていないというのに、コンビニエンストアでは花火セットが並ぶようになった。
花火は「夏」のイメージだが、意外にも「花火の日」は今日、5月28日なのだそうだ。
初めて花火が打ち上げられたのが1733年の今日で、その時は両国川開きの水神祭の為に花火が上がったのだそうだ。後に8月1日も花火の日に制定されたので、日本では年に2回「花火の日」があることになるが、元祖花火の日と言えば今日のことを指すらしい。
花火は見るのは楽しい。
というか、見ている方がいい。
ファミリー花火と呼ばれている安全な花火セットも、だ。
自分で火をつけられるのは「へび」ぐらいなもので、あの火をつけるのが私は実は怖いのだ。線香花火でさえ、火が点いて一瞬大きくボっと燃えた時にはちょっとドキドキする。棒タイプの花火になると火が点いた時に「シューーー!」と音を立てるのと、花火というよりもガスバーナーのようでやはりとても怖い。
「あれ?点いていないのかなぁ」
よく点いたかどうか確かめに近寄る人が居る。が、あの役は絶対に私には出来ない。だって、近づいた時にボっ!と点火することは割とあって、多くの人は「よくあること」として気にしていないかもしれないが、あれは花火が仕掛けた罠に違いない!と、個人的には思っているのだ。悪い冗談を花火はたまに仕掛けてくる。”飛んで火に入る夏の虫”状態の無防備な人が居るので、とってもヒヤヒヤするのだ。
個人的には落下傘が好きだった。
ロケット花火に至っては一番恐ろしい存在で、遠く数百メートル程離れた場所でも誰かがロケット花火をやっていると私はあの先っぽが自分の眉間に飛んできて刺さることを想像してしまい、より遠くへ逃げるのが常となっているのだ。
結局、ウニウニウニ・・・と伸びて、最後に「もう、これで限界です」と言って終わりになる「へび」しか私は落ち着いて楽しめないということになるのか・・・。
どっか〜〜〜ん!
た〜まや〜〜。
か〜ぎや〜〜〜〜。
夜空に大きく円を描く豪快な花火の方が安心して見ていられる。少なくとも血圧は安定している。
ファミリーセットに入っている、あの安全な花火達が怖い私なのである。
2010年05月27日
ゲームはコンピューターが相手でやるより、人同士でやるのが好きなのだ。
20代の頃によくやったのが「ディクショナリー」というゲームだった。広辞苑を開いて、親がその中から意味が知られていないような言葉をお題として上げる。親は正解を紙に書く。子はそれぞれ広辞苑にありそうな答えを書いて、それを親が読み上げるのだが、子の書いた偽の答えが意外とそれらしかったりしてそれに騙されるプレイヤーが居て、盛り上がったっけ。
私は頭の瞬発力があまりよくない。だから少し時間をもらえて、その間に戦略を組み立てられるゲームだとしっくり参加出来るのだと思う。
将棋やチェスも、コンピューター相手だと今一つやる気にならないのは、自分がアクションを起こしたら、人間的頭脳で向こうは考えているのではなく瞬時にデータで割り出して次の一手を打って来るからだ。そこに挑む醍醐味があるというのもあるが、個人的には人ならではの誤手があったり過程の心理戦の楽しさが、自分の速度には丁度いい。のんびり散歩をしているぐらいの速度が丁度いい。
ゲームになると、ものすごく強者になる人が居る。
最初はたまたまだったのだと思う。
だが、そうではない。
なんかやっぱりこの人は強い。
興味深いのは欺き方が上手い人ほど、普段は穏やかで誠実な人柄だったりするという点だ。
一緒にゲームをすると、その人の性格がわかるというがその通りだ。
本当に賢い人は、人の欺き方をよく知っている。
知っていて普段は使わないんだ、ということを思い知らされる。それが人とやるゲームでしか得られない面白いところなのである。
2010年05月26日
父から電話がかかってきた。
「母の日のプレゼントがな」
「届いたかどうかっちゅうハガキがきてん」
母の日???
って、
もう2週間以上前のことじゃないか。
何のことを言っているのかわからなかったのだが、父が言うには、私が注文して母の日に送ったプレゼントが、手違いで届いていないかもしれないので、返信ハガキに届いたかどうかを書いて送り返して欲しいという往復ハガキが届いたということだった。
「えぇ〜〜〜〜〜っ」
「何かワシに送ってたんかいな?」
「じゃぁ、母の日は何も届いていなかったの?」
関東に住む叔母二人からはお礼の電話をもらっていたので、当然実家にも届いているとばかり思っていたのだ。単純に父から電話がなかっただけで、その後電話で話をした時にも確かに母の日のプレゼントのことは話題にはならなかったが、届いていたらそれでいいということと、父が元気に電話に出たことでよしとしていたのだった。
送ったものが届いていなかったばかりではなく、老人にハガキを投函して欲しいと往復ハガキをいきなり送るのもどうかと思う。
「ハガキなんて出しに行かなくていいから」
「なんで」
「わざわざ、出しに行かなくていい。私が電話をかけて話をする」
「簡単やん。ハガキ、投函するだけやん」
案外父は怒っていなかった。めずらしい。私が怒って父が「まぁいいやん」と言う構図はとっても少ないのだ。
「あんたとこにも、メールで知らせたって書いてあるで」
言われて探してみたら迷惑メールのところに昨夜の日付でお知らせが届いていた。
2週間以上経ってからこんな連絡が来るだなんて・・・。今回、母の日だからアテにしていなかったので父はおおらかだったかもしれないが、もし母が生きていたらやっぱり期待して待っていたと思う。いいや、今年ももしかしたら仏壇の上で待っていたかもしれないのだ。
せめて期待をしていなかった父宛てでよかった。
「ハガキ、出したら返金とお詫びの品物、送ってくれるみたいやわ」
もうすぐ父の誕生日。
<じゃ、それを誕生日プレゼントっていうことで!>
こんな母の日は初めて。最悪だなと思いながらも電話を切ると、父が案外機嫌がよかったことを思い出して、これもいつかいい思い出になるんだなぁと思ったのであった。
2010年05月25日
1899年の今日、日本で初めて食堂車が連結された列車が走ったのだそうだ。
1800年代に食堂車があっただなんて、ちょっと想像がつかなかったが、きっとそれはそれはセレブな空間だったに違いない。
私は子供の頃から東京の祖母や親戚の家に行くのに、新幹線に乗る機会が年に一度程あった。新幹線に乗る時だけは「缶コーヒー」を買ってもらえ、リッチな気分でUCCのミルクコーヒーを飲んだものだったが、あこがれは「食堂車」だった。
駅を出ると新幹線の車内アナウンスが聞こえてくる。「ビュッフェ」という響きがとても素敵で、何度か「行ってみたいな」とねだってみたが、一度も連れて行ってもらうことはなかった。
お手洗いに行った時にちょこっとのぞいてみる。
大人の人が座っているのを見ると、なんだか優雅にくつろいでいるみたいで、私も大人になったらきっとビュッフェで過ごすぞと思ったのだ。
実際に大人になると、母と同じ感覚になり、「ビュッフェでご飯だなんて、高くついちゃうから行かないわ」と席を立つことはなかったが、それでも二度程食堂車で過ごしたことはあった。
テーブルや椅子も「食堂」っぽく、メニューも至って感動するような味ではない。それからやはり列車の中だけあって常に小さく揺れていて、ホテルのラウンジでゆっくるくつろぐのとは随分違っていた。思っていたのよりずっとチープな空間だった。
が、車窓からの景色が流れて行く中でお茶を飲むのは、他では得られない何とも言えない特別な感じがした。それが何より大きなくつろぎを与えてくれた。それが私にとっての食堂車だった。
すっかり少なくなった食堂車のある列車。もうちょっとだけ数があってもいいんじゃないかなと個人的には思うのだが・・・・。
夜にちょこっと見ることがある「世界の車窓から」。
今はあの番組の中で、ビュッフェに座っている感覚を疑似体験するだけとなった私なのだ。
2010年05月24日
収録で渋谷に行った。
いつも井の頭線の渋谷駅で降りて、そこから歩いてスタジオに行くのだが、その道すがらにある駅構内にあるカジュアルなブティックに私は相変わらず吸い込まれている。
その率100%。
全く買い物をするつもりがなく、しかもただ歩いているだけなのに、店の前にさしかかったら自動的に店内に入ってしまう。吸引力の強い掃除機みたいな店なのだ。そして私と同じように吸い込まれて入ったと思われるお客で店内はいつも賑わっているのだった。
ここの店は恐らく絶妙の位置にある。入り口の大きさと場所がこれまた絶妙の位置にあるんじゃないだろうか。同じ駅構内でもほんのちょっと場所がズレていれば多分店の繁盛状況は変わっていた。マーケティングのプロの力に加えて、更に目に見えない風水的なラッキーが積み重なった、ここは「大当たり!」の場所なのだろう。
一方、すぐに店舗が変わる場所というのもある。
ココ、好きだったのになぁ・・と思いながら、看板がなくなった店の跡地を通ることもある。何がいけなかったんだろう。ちょっとした看板の位置だったり、店の前にちょこっとした柵があった、そういうちょっとした具合が影響することだってあったんじゃないだろうか。
実家近くのこじんまりとした商店街にも、やけに入れ替わりの激しい店があったっけ。
入り口の結構場所はいいところにあるのに、そこは店舗がすぐに変わる。
小学生の子供の私も、子供ながらにちょびっと胸を痛めながらそれを見守っていたものだった。
しかし、ある時からその視線は変わった。
<今度は何屋さんをやりたくなったの?>
<よく、お金が続くわね>
<もうそろそろ、大人になろうよ>
冷ややかな目で、小学生の私はその店を見るようになっていった。
結局そこはダメ息子店主が店をやってはつぶし、また新しい店をやってはつぶすという、続かないおぼっちゃんの家だったというだけであった。
割とカッコいいお兄さんだったが、<こういう男の人はだめね>と子供心にあきれたのだ。
店の位置に問題があったわけではなく、今はその店がどうなっているのか長い間前を通っていないのでわからないのだが・・・。
今日もいつもの店に吸い込まれたあと・・・。
スタジオに行く道で、もう一つスクラッチクジ売り場も関所となって、そうしてようやくスタジオに到着をするいつもの道なのである。
2010年05月23日
近所の猫は今日もこの辺りを徘徊している。
ここらを歩く猫は、そのほとんどが鈴をつけている。
おかげで猫に敏感なダンボとお二階のわんちゃん二匹は、鈴の音がするたびに吠えまくるのだ。
なんでこんなに怒り狂ったように吠えるんだろう。一度ぐらいネコパンチを受けて、猫に対して恐怖心を覚えてもらった方がいいんじゃないかと思うのだ。
数匹が徘徊する中、ご近所さん達にもお気に入りが居るみたいで、私にも「この仔が可愛いわ」と思う猫が居る。去年もらわれてきた白黒のメスの方で、前は二匹でやって来ていたが、最近は一匹で遊びに来るようになった。
性格は甘えたでもなく、気が強いわけでもない。人なつこいわけではないが、気づけば塀のところで座って中を見ているのだ。ダンボが気づいて吠えても逃げずに、ジっと座っている。威嚇もしないし、本当におとなしくただ居る。
「どうしたの?遊びに来たの?」
窓を開けると、ピョンと窓枠のところに移って座る。
「にゃー」
最近は顔を見てニャーと声を出すことも増えた。
少しだけミルクをあげるとしばらく窓のところに居る。長い時は30分ぐらい座っていて、ふと気づいたらいつも姿を消している。性格さえ今ひとつわからないぐらい我が強くないところが、なんだかとっても心地いい猫ちゃんなのだ。
確か前に飼い主さんが「キエちゃん」だと名前を教えてくれた。
ウマが合うっていうのがあるのかなぁ。
キエちゃんは遊びに来る頻度から言って、私の家が好きみたいだ。
空気のようなキエちゃんはやって来る。
<行ってみようかな>
と思って塀を歩いて来るのだろうか。
白い子豚のワンコが吠えたらカーテンが開いて、「遊びに来たの?」と窓が開く。
<何をしているの?>
「パソコンを見ているんだよ。」
5月の風が部屋を吹いて行く。
気持ちのいい季節だ。
2010年05月22日
我が家のバラもようやく咲いた。日当りのいい家だと少し前ぐらいから立派な花をつけ出していたが、うちは去年より出足が遅くどうなるのかなと少し心配になったが、4種類のバラが一斉に咲いてくれた。
隣の町内に行くとつるバラの綺麗な家があり、その家にあこがれてそのご近所の数軒がつるバラをやっている。今そのエリアはとても綺麗なバラエリアになっている。園芸雑誌で見るような何種類ものバラで敷地が覆われていて、こんな時「あぁ、家が欲しいなぁ〜」と夢を抱くのだ。
でも我が家のバラは文句も言わずに咲いてくれた。
「もっと広いお家に住みたい!」
とも言わずに・・・。
花木は確かに鉢植えでなく地植えにしてあげたい種類のものがあるので、庭に植えてあげられたらどれほどいいかと思うのだが、しょうがない。賃貸仕様に収まってもらうのだ。
ありがとうね。
咲いてくれたらすごく嬉しい。
白いのがつるアイスバーグ、ピンクのが今年の春に植えてみたつるレオナルド、ダ・ヴィンチ、つるテラコッタは大輪のレンガ色、壁に這わせたのがポールズヒマラヤンムスク、まだ3メートルぐらいだが7〜8メートルぐらいまで伸びる種類なので、来年はもう少し壁を覆えるかもしれないのだ。
「バ〜ラが咲いた、バ〜ラが咲いた、真っ赤な〜バラ〜が〜」
子供の頃何度もレコードをかけてもらって聴いた、大好きだったマイク真木の「バラが咲いた」という歌。
「さ〜びしかった僕の庭にバラが咲いた〜」
バラが咲くと、本当にその家に寂しい感じがしない。花が咲く家はいろいろあれど、バラは特別明るい力みたいなものが強いような気がするのだ。
玄関の前に立つといい香りがした。
<お母さん、あなたの好きだったバラの咲く家に、今私も暮らしていますよ>
水色の空を見上げたのだった。