投稿日:2010年05月27日

2010年05月27日

ゲームはコンピューターが相手でやるより、人同士でやるのが好きなのだ。
20代の頃によくやったのが「ディクショナリー」というゲームだった。広辞苑を開いて、親がその中から意味が知られていないような言葉をお題として上げる。親は正解を紙に書く。子はそれぞれ広辞苑にありそうな答えを書いて、それを親が読み上げるのだが、子の書いた偽の答えが意外とそれらしかったりしてそれに騙されるプレイヤーが居て、盛り上がったっけ。
私は頭の瞬発力があまりよくない。だから少し時間をもらえて、その間に戦略を組み立てられるゲームだとしっくり参加出来るのだと思う。
将棋やチェスも、コンピューター相手だと今一つやる気にならないのは、自分がアクションを起こしたら、人間的頭脳で向こうは考えているのではなく瞬時にデータで割り出して次の一手を打って来るからだ。そこに挑む醍醐味があるというのもあるが、個人的には人ならではの誤手があったり過程の心理戦の楽しさが、自分の速度には丁度いい。のんびり散歩をしているぐらいの速度が丁度いい。
ゲームになると、ものすごく強者になる人が居る。
最初はたまたまだったのだと思う。
だが、そうではない。
なんかやっぱりこの人は強い。
興味深いのは欺き方が上手い人ほど、普段は穏やかで誠実な人柄だったりするという点だ。
一緒にゲームをすると、その人の性格がわかるというがその通りだ。
本当に賢い人は、人の欺き方をよく知っている。
知っていて普段は使わないんだ、ということを思い知らされる。それが人とやるゲームでしか得られない面白いところなのである。


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