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投稿日:2013年07月31日

2013年07月31日

ダンボの検査の日。

ダンボは6歳になる手前に胆のうと肝臓が悪いということがわかって以来、病院にお世話になっている。薬をやめられた時もあったが、今はまた朝と晩に薬を飲んでいてそれで日常生活を普通に送ることが出来ている。

しかし、先週の検査の時に心雑音があり、恐らく老化と共に心臓も弱ってきているのでしょうと言われて、それで近いうちに詳しい検査をすることになったのだった。

今日は朝に病院に預けて、それで午後の診察時間にお迎え。ダンボを病院に預けると、日中いつもはいるダンボが居ないということにどうも違和感がある。

洗濯機を回しても・・・。洗濯機がカチっという音を立てて止まったら、離れた場所なのにダンボはその音を聞いて吠える。

「洗濯が終わったよ!」

一応、これは<お洗濯のお手伝い>なのだ。

「お手伝いしてくれたの?!エラいねぇ〜」

と、またオヤツをあげてしまう。

これでダンボはいつしかお洗濯を手伝ってくれるようになり、それがあたりまえになっていた。なので、今日はカチっという洗濯機の止まる音がしても部屋がシ〜ンとしているのが妙に寂しい。

「ポトッ」

私は髪につけたピン止めをよく床に落とす。

するとどこからともなく飛んで来て、そのヘアピンをダンボが拾ってそして私に渡しに来る。

これも床に落ちたものを拾う芸を覚えたことでオヤツが貰えるからなのだが、今日はヘアピンをいつものようにまたポトっと落としても、これまた部屋がシ〜〜ンとしている。

あんな小さな子豚ちゃん犬だが、とても大きい存在なんだなぁとちょこっと居なくなっただけで随分寂しい。

いつか、居なくなっちゃう時が来るんだなぁ。

こんな日が来るんだなぁ。

午後、病院から電話がきてダンボをお迎えに行った。

レントゲンと超音波検査では左心房の弁が少し緩くなっていて血液が逆流しているのがわかったのだそうだ。まだ軽度のものだが、なるべく今後の進行を遅らせるために今から薬を出してもらうことにした。

あと何年かを一緒に暮らすにあたって、なるべくしんどい日やイヤなことを少なく考えてあげたいなと思う。自分なりの考えでこの子の命を、一方は自分にとって大事な宝として、そしてもう一方は一頭の動物としての目線を想像しながら今後の選択をしていけたらいいなぁと思う。

お迎えに行くと、いつも通り<こんなところに連れて来られてすごくイヤだった!>という抗議の顔を向けていたが、本人は至って病気という自覚もなさそうなので、そのことがとても嬉しかった。

ダンボ、帰ろう。お前の大好きなお家にね。

家に帰ったら、部屋の中の空気がまた動き出した。

小さな宝物、ダンボ。

私の家が一番好きなんだって。

ありがとうね。

出来るだけ楽しく一緒の時間を過ごそうね。


投稿日:2013年07月30日

2013年07月30日

浦和のREDS WAVEの番組「よくばりママのハッピーサタデー」の収録日。

岩崎愛さん、本田澄佳さんのDJのお二人の番組だが、本田澄佳さんはB#の頃から楽曲を聴いて下さっていて、澄佳さんの方からゲストをお話をいただいて、それがまず何よりとても嬉しい出来事だった。

番組はドライブで楽しめるおすすめの場所や、アイデアが詰まったレシピの紹介だったり、女性ならではの視点でクチコミで広がりそうな「これ、いいな」がいろいろ紹介されていて、収録しながら思わず「へぇ!」「えぇ〜?」と声が出てしまうぐらいだった。


久しぶりのラジオの収録。

うんと前は、カチンコチンになって普段と違うかたい感じになってよく知る友人達からは「なんか、みきっぽくない〜」なんて言われたりしたこともあったっけ。

収録が終わったらおすすめのお店に連れて行ってもらった。

お漬け物屋さんがやっている和食屋さんで、私はメロの粕漬けの定食を注文。

とても美味しかった。

最近は車に乗るようになったので、ラジオを聴く時間がうんと増えた。

言葉だけでも景色や匂いが想像出来る。

収録を終えるとラジオをお供に車で帰り道を走る。

一人の運転も楽しくなる。

10日の午前11時から放送予定だ。


投稿日:2013年07月27日

2013年07月27日

今日は隅田川花火大会の日。

隅田川の花火大会は、毎年テレビの中継があるので私も病室で何度か楽しんだ思い出がある。

病室であっても花火を楽しめたという有り難みと、来年は病室じゃなくて本物を見に行きたいわねと患者さんたちに希望を与えてくれた大会だったので、今年は豪雨で途中で中止になったとニュースで知って残念だった。

ムンとしたなまあたたかい空気に息苦しくなりつつも、花火大会は多くの人が足を運ぶ夏の楽しいイベントだ。

「アタシ、このヒトのこと、好きなのかな」

友達以上の感情に気づかされたこともあったっけ。

その年、その年によって「花火」には何かしらの心の中のスイッチを押されてきた気がする。

今年の花火大会は延期にならず、そのまま中止なのだそうだ。

残念な今日も、それでもいつかいい思い出になるのかもしれない。

遠くで瞬いているのは観覧車。

花火に似ているね。

空に浮かぶ花達よ。


投稿日:2013年07月25日

2013年07月25日

夏になると「怖い話」が恒例になるが、私の聞いた話もとっても怖い話がある。

その彼女は某駅近くのアパートに住んでいたことがあった。

決めたのはたまたま入った不動産屋さんがきっかけ。いい物件がありますよと見せてもらったのが、一階が大家さんの家で二階に3世帯、入居者は女性限定という部屋で、実は大家さんというのはその担当した不動産屋さんのご両親だということで、入居を決めたのだそうだ。

ところが、入居してから不思議なことが起こるようになった。

家に帰って来たら、どうも”人が入ったような気がする”感じが何度かあったらしい。

なんとなくそんな気がする。

するとやはり食べ物がなくなったりしていることがあったらしい。

誰が一体部屋に?

暮らしているうちに大家さんが留守中に家に入って来たのではないかと感じるようになったのだそうだ。

私だったらそこで気持ち悪くなって引っ越しをすることをまず考えるのだが、その彼女は違った。

贈り物用の菓子折りを3つ購入して、部屋に置いておくことにしたのだ。

すると。

後日、部屋から菓子折りが3つ消えていたのだそうだ。

そこで彼女は勇気を出して大家さんに訊ねに行ったらしい。

「あのぅ、私の部屋に入ってもしかしてお菓子を持って行かれましたか?」

すると大家さんは平然と「あぁ、あれね。もらっておきましたよ」と答えを返して来たのだそうだ。

私はその当事者の彼女からその話を聞いたので、話を聞いている間じゅうずっと「えぇえええ〜〜〜っ!」と奇声を発していた。

彼女は結局その件を機にそのアパートを引き払って実家に戻ったそうなのだが、契約終了日までの間に次に入居する人の荷物が既に運び込まれていたりしていて、もうルールも何もない状況だったのだそうだ。

あり得ない。

そんなことってあるの?

で、どうしたの?

「あんな変なところに住んでびっくりしましたよ〜」

いや、そうじゃなくて。警察には言わなかったの?

私だったら警察に絶対に行っていただろう。そんなアパートがあっていいんだろうか。

彼女の住んでいた某駅は私の家からバイクで10分の場所にある。

この目で確かめたい。

確かめてどうするの。

たまに思い出してはその不動産屋を探している私なのだ。


投稿日:2013年07月24日

2013年07月24日

斜め前の家の2匹の飼い猫がなつくようになってから、2匹は日中の居場所を隣家の屋根の上から私の家の軒下に移動をした。

昼頃にやって来てチョイノリの近くでグースカ寝ている。

グレーの「サブロウ」はちょこまかどこかに出掛けているが、黒い「トラ」は日が暮れる頃までずっと寝ている。

いいんだよ。

気を許してくれているんだと思うとそれは嬉しい。

ダンボもこの2匹に関しては、途中で吠えるのをあきらめて寝ている姿を忌々しく見ているぐらいにしか反応をしなくなったが、平和な中にちょっとだけ困ったことがあるのだ。

それはまだ一才にもならないグレーの若い「サブロウ」が捕まえた”蝉”や”ヤモリ”や”ゴキブリ”の死骸が敷地内に転がっていて、アリがたかっていたり、そうでなければひからびてミイラになっていたりするのだ。

蝉は先日、低空飛行しているのをいきなりキャッチしていた。

ヤモリの子供は手で叩いていた。

ゴキブリに至っては3日連続で新しい死骸が裏返って死んでいた。

梅雨の頃には頭のないカエルが玄関前に置いてあってとっても気持ち悪かった。

そしてその蝉やヤモリの死骸のすぐ横で仰向けになったりクネクネしたりしているので、放置しておくわけにもいかない。

どんより。

それにしても・・・。

犬も猫もとっても可愛いが、唯一「片付け」が出来ない。

うーー。

怒る相手がいない困ったことなのだ。


投稿日:2013年07月19日

2013年07月19日

むか〜し、まだ私が小学生の頃に流行った「ロケットペンシル」を気に入って、今使っている。

今年5月に旅行をした時にトロントだったかサンフランシスコだったかの地元のスーパーで見つけたものだ。

文房具が結構好きなので、懐かしくて思わず買った。12本入って300円ぐらいだったと思う。

「ロケットペンシル」は鉛筆の形をしているが、芯を押し出して使うもので、一時みんなが持っていた時期があった。私も持っていたが、いつの間にかブームは去り、存在さえも忘れてそのまま長〜い時間が過ぎた。

まぁ、もったいない使い方をする物ではあると思う。

中に入っている芯全てが丸くなったら使い捨てなのだから。

日本ではもう生産している会社も限られているようで、使っている人も見なかったが外国では子供達が使っていたりするのだろう。

替芯が売っていたらまだまだ本体は綺麗だから使えるのになぁ。

調べてみたが替芯は売っていない様子。

気に入っている。

シャープペンシルより、鉛筆の方が書き心地がいいと思うが、これは鉛筆寄りの書き心地でもある。

ロケットペンシルが今お気に入りの文房具なのだ。


投稿日:2013年07月18日

2013年07月18日

長年の先輩である岡崎司さんのソロライブに行った。

ギタリストであり、作曲編曲プロデュースと多くの顔を持つ岡崎さん。20代の頃からいろいろ音楽の話を聞かせてもらったり、相談に乗ってもらったりしているが、演奏だけでなく多方面から作品を見る視点が長年に渡って勉強になるお話ばかりで、気づけばもう長いことお世話になっている。

今日はソロライブ。

今年は初めて岡崎さんがライブステージに立ってから30年の記念の年なのだそうで、この日のライブの為の書き下ろし曲から学生時代の思い入れのある曲だったり、うんと昔に作った曲などの披露というタイムトリップ的な要素のたくさんある前半ステージだった。

当時の京都の大学生で曲を作る人は、そんなに多くなかった。学生時代の岡崎さんを私は知らないのだが、その頃から作編曲を既にされていたのだと思う。学生の頃にもし岡崎さんが魅力的なボーカリストと出会っていたら、きっとその後の道はまた今とは違っていたかもしれない。いい出会いがなかったことでインストというスタイルで最初は活動されていたとのことだった。

ライブ後半になって、劇団新感線でも大活躍の「冠くん」がボーカリストとして登場した。

とても存在感のあるボーカリストがステージに立つと、ボーカリストに目が行ってバンド自体が黒子になると感じることが多いのだが、強力な歌力と個性を持った「冠くん」がステージに上がると、岡崎さんのギターがソロタイムとはまた違ったパワーを放ち出したのだ。

サポートに徹するわけでもない。ボーカルを霞ませるわけでもない。ものすごく濃い個性でセンターに人が立つことによって、対等にその横で別の光を放つ芯の強いパワーというのが、私自身も音楽を続けてきて理想に挙げていたことだったので、それを感じてすごいと思わずにいられなかった。

演奏家であり、物を作る人なんだとあらためて思った。またそういう人が演奏をするものに、奏でる音の奥行きみたいなものを感じて心が動かされるのだなとも思った。

一言で「演奏」は「演奏」という言葉にざっくり括ることが出来てしまえるけれど、細かい色分けみたいなものが自分にはあって、そこで一リスナーとして、あるいは一音楽家としてそれに触れた時に尊敬をしたり心が響かなかったりしている。

同じ感動を出来た人が居たら嬉しい。

細かい細かい色分けの部分での、ものすごく琴線に触れるライブだった。


投稿日:2013年07月15日

2013年07月15日

家の前の道は袋小路になっているので、この辺のどこかの家に用事のある人しか前を通ることはない。

知らない人がやって来るのはチラシをポストに入れていく人ぐらいだ。

チラシを入れていく人の中には家をジロジロと眺めている人も居る。

意外に部屋の中から私が見ているということには気づいていないので、誰もいないことを前提に振る舞う人は多い。

今日は斜め前の家に袈裟を着たお坊さんがやってきた。

<コンコン>

何度か家をノックしているが家人は出て来ない。

家の前に自転車がとまっているので、私も留守だとは思わなかったのだが、どこかにお出かけなのかしら。

なんてことを思っていると、このお坊さん、何を思ったのか勝手にそこの家のポストを開けて中を見ているではないか。

勝手に開けてる!

何の為に!

それから少し首をかしげてから去っていった。

しかし、もし私が知人宅を訪ねたとして、そこが留守だと思ったらポストを開けてみるだろうか。

誰なの、あんた。

袈裟を着ているが本当に坊様なのか。

こんな風に私はよく部屋の外に人が見えるとチェックをしている。

私も家の中からジロジロと見ているキモいヒトなのである。


投稿日:2013年07月05日

2013年07月05日

ダンボは最近新しい芸を覚えた。

これを芸というのかはわからないのだが・・・。知恵をつけたのは確かなのだ。

朝、お腹が空いて早くご飯が食べたいダンボは私を起こすことを覚えたのだった。

最初は「ペロペロ」と私の腕や足を舐めて控えめに「起きてくれないないかなぁ」とアピールしていた。これは以前からだった。

要求吠えというのはしないので、基本的に聞き分けのいい犬なのだが、「ペロペロアピール」もあまり長くされるとくすぐったくなってくる。

<もうやめて〜〜>

と、布団を頭から被って阻止するのだが、ここ数日で布団の上から「高速ホリホリ」をして私が起きるまでやめなくなったことで、いいのか悪いのか目覚ましのアラームより先に犬目覚ましで目覚めるようになったのだ。

「高速ホリホリ」は、丁度土を掘るような感じで前足でひたすら掘り続けるのだが、相手にしてあげない時にいじけてこれをやる癖があった。これもここ数年でやりだしたことなのだが、彼はもう10歳半。人間で言うと還暦を迎えたぐらいの年齢になる。

もう新しい知恵はつかないと思っていた。

私が起きるまで、無心になって、いや食い気という煩悩の塊となって高速ホリホリを続ける姿に私は思わず”笑って負け”で起きることになる。

来るひも来る日も同じ餌ばかりなのに、よく飽きもせずに楽しみに出来るわねぇ・・・。

10歳半で新しい芸を編み出したダンボ。

ホリホリされても何でもいいから、長生きしておくれ。

ご飯が終わったら、私のことはもはや用無し。

またスヤスヤと眠るダンボなのであった。


投稿日:2013年07月03日

2013年07月03日

七夕の飾りをチラホラ見かけるようになった。

そうかぁ。

もうすぐ七夕なのかぁ。

商店街の脇に飾られていたり、小さな子供の三輪車や自転車が置いてある家の軒先に飾ってあったり、スーパーの一角に設置されていたり。

人のお願いごとばかりを抱える笹は少々重たいものになるかと思いきや、いつ見ても私にとっては七夕の笹は微笑ましい存在だ。

昔私はどんな願いを書いたんだったか。

もう忘れてしまった。

叶った願いはたくさんあるのに、人は叶わなかった願いのことだけをよく覚えている。

願いごとはたくさん叶うものだよ。

神様はいるのかなぁ。

私もたくさん願いごとを叶えてもらった。

数え切れないほどの願いが叶った。