原付での帰り道。
雷がピカピカと光ってたまに空が明るくなっていた。
私は雷が大嫌いなのだ。嫌いというか、大変怖い。普通の人の「雷って怖いわ」というレベルよりもっと怯え度数は高いのではないだろうか。家の中ではそうでもなくなったが、外出時に雷の存在を知った時点で類人猿的な姿勢になる。
髪に留めている黒いピンを外し、金目のものは極力外してバッグの中に入れ、そしてひたすら類人猿的な歩き方でかなり泣き顔になりながら耐えているのだ。
今年はまだ雷が少ない方だが、数年前は確か毎晩のように雷が鳴っていた夏が一度あって、その時はプールに行けずに帰って来たりまた家に帰れなくなってしばらく時間をつぶしたりして雷が居なくなるのを待ったものだった。
雷が怖くないという人は、普段からあまりびっくりしない性質の人なのだろう。その点普段からびっくりしやすい私は、自分とサイズの同じぐらいの大きさの「人間」に「わっ!」と驚かされてもリアクションが大きく、それが空サイズの規模となれば本当にたまらん。ちっとも大げさじゃなく、ものすごく怖いのだ。
ピカ!っと光る度に首をすくめている。
早く、早く家に帰りたい。
安全地帯まであと何分なのデスカ。
フルスロットルで回してもなお自転車に追い越され、でも人の目なんて気にしません。
私、急いでるんです。
雷から逃げているんです。
カミナリ、イズ、ホラー!
あまりに怯えすぎて、ものすごく怖い形相の自分の顔がミラーに映っていたのであった。
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2011年07月25日
ある企業からメールが届いていた。
担当の方が急いで文字を打ったのだろう、「申し訳ございません」というところが「も仕訳ございません」となっていてちょっと笑えた。
手書きではまずないと思われるこの間違い。パソコンに翻弄されて時々うなだれている私にとって唯一、「パソコンの方が頭が悪い!」と思える時で実はちょっと嬉しい。
普段私はパソコンを前に敗北感を味わうことがほとんどで、チョップして叩き割れたらどれだけスカっとするだろう。いやいや、そんなことをしたら余計にお金が消えていくだけで、太刀打ち出来ない存在なのだ。我が家で恐らく一番エラそうにしているのがパソコンで、その次に好き勝手に過ごして私が呼んでも聞こえないフリをするダンボ、そして一番の年長者である私が末っ子としてちょこまか動いている図になっている。
でもパソコンはちょっと国語に弱い。
むふふ。
あほじゃん!
大金星をあげた気分になったりするのだが・・・・。逆にその間違いによって自分があほな漢字間違いをして誰かにメールを送っていたりもするので、この時はパソコンにうまくハメられたという見方も出来る。
今も「漢字間違い」と書いて変換して「感じ間違い」になっていた。パソコンにまたしてもヤラれるところであった。
今や毎日一番長くいる相棒となったパソコンだが、いつもつまらないことで戦っている。
今の所2勝940敗1引き分けぐらいの成績なのである。
2011年07月22日
うちの近くでもようやく蝉が鳴き始めた。
一週間程前に家からバイクで10分程のところに住んでいる友人が「蝉が鳴き始めた」とツィッターにてつぶやいていたが、私の家の辺りではまだ鳴いていなかった。そういえば去年も同じく、その友人が「蝉が鳴き始めた」とつぶやいた頃うちの辺りではまだ鳴き始めていなかったっけ。
環境的にはほぼ変わらないのだが、どうやら友人の家の辺りとうちの辺りは「蝉初め」の日が違うみたいで、それは面白い発見だった。
ただうちの近くは善福寺川緑地の一帯なので、一度鳴き始めたらかなりの数の蝉の声が毎日のように聞こえる。夏の終わりになって来ると夜になっても鳴いているので、不気味なぐらい蝉の声が聞こえてくるのだ。
蝉。
今年も鳴き始めたかぁ。
何故、ここの蝉は友人の近所の蝉より鳴き始めが遅いのか。
森になっているのでちょっとだけ涼しいのが理由かなぁ。
よくわからないけれど。
猛暑があって、台風があって、蝉が鳴いて。
夏祭りもそろそろ。そして花火大会もある。
こうして少しずつ夏のカードが揃っていく。
2011年07月21日
6月の下旬から猛暑続きだった東京も、台風の影響で一転して急に「寒く」なった。
いつも、なのだが。
猛暑の時に私はさんざん文句を言っている。それがふと過ごしやすい気候になったら、急に寂しい気持ちや反省する気持ちが沸くのだ。
暑い暑いって文句を言ってごめんなさい。
うむむむ?
私は誰に心の中で謝っているのだ。
変なのだが。
夏に対してブーブー文句を言っていたら、突然「わかったわ。そんなに文句を言うんならもうここを出て行くから」と、夏に去って行かれてしまった。
えっ。怒っちゃった?
あたしがあんまりしつこく暑い暑いって文句を言ったから?
どこかで聞いてたってこと?
いや、そんなつもりじゃなくって・・・。
嫌いっていう意味で言っていたんじゃなくって・・・。
えっと、えっと・・・。
ごめんね。
と、まぁこんな声が自分の心の奥の方でするのだ。
なにを夏に気を使っとんのじゃい!
と、いう気持ちももたげてきたりして・・・。
でも寂しい感じにぼよよんと覆われる。
そしてあの暑さを満喫していたらよかった・・・。と、一人ちょびっと反省モードになったりするのだった。
冬から春になる時には決して起こらない、夏独特のこういう感覚が私にはある。しかももう長い年月に渡って。
暑くない夏はやっぱりちょっと寂しい。
どこにいった、夏。
まだ怒ってるの?
文句、言い過ぎてごめん。
ケンカじゃない、こっちが悪かった。
反省してる。
待ってるよ。ごめんね。
今度はいいところもちゃんと伝えなきゃね。
どこかで夏が私の反省を聞いているかもしれない。
暑くてたまらないのが夏。
長所と短所は同じ。
同じなのだ。
2011年07月17日
犬のダンボは散歩に行くと、絶対に出会う犬と目を合わせないのだ。
そこに犬なんていませんという顔をしている。
ワンちゃんが怖くて目を合わせることが出来ないのだ。
動物が正面からジっと目を合わせる行為は友好的な意味ではないらしい。人間でも「何メンチ切っとんねん!」と目が合ったことを理由に因縁をつけられたりしているので、私も外に居る猫ちゃんとあまり目を長い間合わせないように気をつけてはいる。
しかし、ダンボの場合は飼い犬なので時にはしつけとして飼い主である私が「目力」でもってダンボを制圧しないといけない時もある。飼い主が犬の目を見て先に目をそらしてはいけないと何かで読んだことがあったので、気をつけてはいるのだが・・・・。
ダンボは私と目が合った時、相当な怒り具合いでない限り多分私をなめている様子なのだ。
目が合って・・・・。
<先にそらしちゃだめだぞ>
と、ダンボの目を凝視する。
すると。
そのまま、お互いに凝視し合う形となり・・・・。
<早く、目をそらしてちょうだいよ>
<早く!!>
ダンボはそんな時、”だるまさんが転んだ”遊びをしているかのように、目を見つめたまま少しずつ近寄って来るのだ。
そうして、最後は私のところにやってきて・・・
尻尾を振って喜ぶ。
しょうがないのでダンボを撫でてあげて・・・・
それで終わる。
本には書いていない行動をダンボはいくつかするのだが、これもまた本にないパターンで子犬の時からずっとこうだ。
本に載っていないんだよ。
君の行動・・・。
何かに気を取られていて、足を踏み外したり、はしゃいでいて家具で頭をぶつけたりもする。
今私の枕に頭を乗せて人間のような寝姿で熟睡しているが・・・・。
まぁ、オンリーワンという意味ではオンリーワンか。
犬も人と同じでいろいろ。
ダンボは変わりもんに属す。
たまに自分を見ているようで苦笑するのであった。
2011年07月16日
東京へ戻ってそのまま午後からのレッスンに行く。
生徒さんはみんな女の子なのだが、お化粧をしたりファッションをいろいろ考えたりしてお洒落にも気を遣っているんだなぁと感じている。
女の子が「綺麗」「可愛い」「美しい」のは私は大賛成。「下品」な感じは好きじゃない。
なので私も「歌っている時の立ち姿」について割と厳しい。
猫背にならない!
内股になってるよ!
首が前に出てます!
と、チェックをしているのだが・・・・・。
果たして説得力があるのかどうか疑問である。
今日も鏡を見てふと思った。
「立ち姿、美しく!」と指導している自分の格好がいつも「潮干狩り」スタイルっぽいのだ。
これじゃぁ、やっぱり説得力ないよなぁ。
「こっち、アサリいっぱい採れるよ!」
思い切って今日はそう叫んでみようか。
先生の日は私は「先生」と呼ばれている。名字で呼ばれることもほぼないので、もしかしたら私の名前を知らないのかもしれない。
いっぱい壁はあるだろうか、自分のやっていることを「好き」でいられるように、そこを私は一番注意して見ていたい。人間足りないところでなく、いいところを知ってそれを足がかりに頑張る方が、結果伸び率が高くなる。自分のやっていることについて、迷いなく取り組めた時に質の良い成長が出来ると思うからだ。
音楽にだけはずっと真面目に取り組んで来たという自負はある。
だから失敗についても語ろう。
何かのご縁で彼女達の先生になったのだから、これから先にやって来るであろうたくさんの壁を乗り越えていける何か一つでもお守りに出来るものを渡せたらいいなと思って接している。
2011年07月15日
朝、ホテルを出てイベント会場の新風館に向かう。
新風館の近くに、当時京都ではめずらしかったレコーディングスタジオがあってここでCM曲のお仕事をさせていただいたりしていた。黒川あっちゃんもここのスタジオでCM曲の録音をしていて、もしかしたら今も何かで使われているかもしれないなぁと思い出す。
会場は高い天井が設置された野外ステージで、野外でのライブはとても久しぶりになるんじゃなかったかなと考えてみた。野外ステージは昔から好きだったのだ。特に夏はよく野外ステージで演奏をした思い出があって、遠くまで景色が広がっているのが視界的に気持ちがいいのと、あとマイクに乗った声がスーっと伸びがよく遠くまで飛んで行ってくれる感じがよかった。何故か野外での演奏は”あぁ、屋外は気持ちがいいなぁ”という気持ちが大きくて緊張でガチガチになるということがなく、そういう点も含めて好きな演奏場所だ。
美穂ちゃとのリハーサルを終えてから楽屋に戻ってしばらくすると、相馬ちゃんとあっちゃんが入り時間でやってきた。それからしばらくして、アウルの二人と再会する。
祇園祭も今日が宵々山。
空き時間に近くの喫茶店に行ったら、「何にしはります?」と店員さんにこっちの言葉で話しかけられた。京都の喫茶店と言えば「イノダコーヒー」が有名だが、私はこの「進々堂」の方によく行ったものだ。
野外のイベントは始まってからだんだんと日が暮れていくのが醍醐味だ。
懐かしいリスナーさんが会いに来て下さった。
一緒にお仕事をした仲間が時間を作って寄ってくれた。
暑かったが祇園祭は晴れが似合う。
ムンとした空気の宵々山、たくさんの人出で賑わっていた。
2011年07月14日
今日から京都に行くのだ。
どれぐらいぶりになるだろう。やっぱり京都は私にとって大変思い入れのある街なのだ。しかもアルファステーションのイベントにまた出られることがすごく嬉しい。
イベントでよくお世話になったなぁ。市内だけでなく北部の方にもイベントで行ったし、夏は野外のライブにはあちこち行かせてもらった。まさかイベントに参加させてもらえるとはもう思いもしていなかったので、今回はなんだか感慨深いものがある。
機材車で京都東インターを降りると、懐かしい1号線のちょっとカーブになった景色に感動する。
京都、どすえ~。
というか。
京都、や〜〜ん。
私にとっての馴染みのある京都弁は語尾が「どすえ~」でなく「やんかぁ」「ねやんかぁ」だ。
例えば、「私、なんだかお腹が空いてきたわ」という言葉なら「私、なんかお腹空いてきてんやんかぁ~」。全部語尾に「@@ねやんかぁ」「@@やんかぁ」とゆる~~く伸ばすしゃべり方が、京都の友人に共通している話し方なのだ。
しかも、今日は祇園祭の宵々々山の日。鉾が街には出ていて京都の暦の中でもめっちゃ盛り上がっている時期なのである。
ホテルに着いて四条烏丸にあるアルファステーションにご挨拶に伺う。かつて番組やイベントで直接お世話になっていた方々が、変わらずステーションを動かしている。同じ場所で長く仕事を続けて積んで行くところも私はここが好きな理由の一つだ。タイミングもよく懐かしい人達に再会が出来た。感激した。
アルファステーションを出たら、まだ宵々々山であるにもかかわらず四条烏丸は相当な人出となっていた。
「なんか、観光っぽくない??」
相馬ちゃんと美穂ちゃんと3人で鉾を見ながらすっかり旅気分だ。
いつの間にか相馬ちゃんが「祇園祭マップ」を受け取っていて、それを見ながら鉾を見て歩く。完全に観光モードになって3人写真を撮りまくる。
祇園祭の日って一体私は何をしていたんだろう。
子供の頃に一度家族で来て人だらけで鉾どころじゃなかったのが一回、大学の時に昼間サークルの練習があって、先輩命令でそのまま別の先輩と街に一緒に行くことになったことが一回。だがその時は鉾を見ずにただ商店街を歩いただけだったような記憶があるのだ。他の年は何をしていたんだろう。よく考えてみたら祇園祭をちゃんと見ていなかった。
そしてそのままなんだかいい感じのレトロ風居酒屋に3人で入る。
私も・・・飲んじゃお!
私達、何しに来たのかしらねぇ。
なんか女子会になってるよねぇ。
途中、会社のY氏から今打ち合わせが終わったと電話が掛かってきた。「みなさん、どこに居るんですか」と言っていた。が、女子話で盛り上がっていたので、合流したそうな様子のY氏に「知らない」と冷たく言って電話を切ってしまった。ごめんね、すいません。でも今、女子的に大事な話で盛り上がってルんです。
結局、店の人にそろそろ帰って下さいと言われるまで3人で居座っていた。
酔っぱらうと、なんだか楽しいわねぇ。
コンチキチン、コンチキチン。
祇園祭の音がする。
京都の夏だ。
2011年07月13日
15日にアルファステーションのイベントに出演するので、明日から京都に行くのだ。
去年は実家に帰れなかったので、このタイミングで父に会いに行こうと思って私だけ先に13日から関西に向かう予定を立てていたのだが、どうしても時間が作れなくなってしまった。
明日と明後日のどこかで実家に一瞬だけでも戻るのはちょっと難しい。
でもなぁ。
せっかく京都まで帰って来たのなら、少しでも顔を見せたら父は喜ぶんじゃないかなぁ。
何か方法はないかしらねぇ。
昔の私だったらホテルに着いたらそのままレンタカーを借りて実家まで行って父を乗せてご飯でも行けただろうが、次の日の行程を考えると今の私には体力的にちょっと無理だ。
ほんとうに、何かアイデアはないかしらねぇ。
そしてふと思いついたのは、隣町に住む妹に頼んで父と京都で夕飯を食べるということだった。京都駅近辺なら実家からもさほど遠くはない。急な話なので妹がダメだったとしても、タクシーで来てもらえばいいのではないか。
よし、それだわ。
そして父に電話をしたのだった。
「もしもし」
「あー。なんや。あんたか」
「あのね、明日から私京都に行くねん」
数年前までは「実家に行く」「京都に行く」と口にしたら、父は楽しみにしすぎて前日から電話がかかってきたり、当日も「まだけえへんのか」と約束の時間よりずっと前に電話をかけてきていたのだが・・・・。
だから、あまりヤキモキしないように直前になってから電話をするようになったのだが・・・・。
「何しにくんねん」
との返事。
今回京都に行くことになった経緯と、イベントが終わったらまたすぐ東京に戻らなければならないことを説明したあとで、さっき考えついた「とってもいいアイデア」について切り出してみたのだった。
「だからね。京都駅の近くまで来てもらえないかなぁ。で、ご飯でも食べませんか?」
父は妹に頼むのがイヤなのだそうだ。
そして「いらんいらん、行かへんわ。そんなとこ!」とあっさり言うのだった。
「いや、でも、私はそっちには行けないんよ」
「ワシ、忙しいねん」
無職の暇な爺さんが何が忙しいねん。と、内心思ったが、父が言うには明日は午前中に草むしりを頼んでいて、午後からは隣家が売却されるにあたって測量の人か誰かが来るらしい。
「明日はいろいろ仕事で詰まっとんのや」
”なんだ、別にそれって仕事じゃないじゃん!”
などと言おうものならエラいことになる。その言葉に急に怒り狂った父にあれこれ罵声を浴びせられるので、その件についてはスルーをしてもう一度だけ「じゃぁ、本当に来ない?」とだけ聞いた。
「行かへん。めんどくさい」
「はい、わかりました」
電話を切ったあとで、だがなんだか肩の荷が下りた気がした。
振るより振られる方がらくちんだ。
じゃ、お父さんのことを気にせず明日は京都で夜を満喫させてもらいますよ。
しかしそれにしてもこの変貌ぶりは何なのだろう。数年前まで父は私に会いたがっていた。今のこのつれない感じは何なのだ。
もしかして。
彼女でも出来たのかなと思ったが、1000%あり得ないなと思い直したのであった。
2011年07月09日
関東・甲信越地方も今日が梅雨明けとなったのだそうだ。
ニュースを見ていたら、「例年より早く今年は梅雨明けしました」と言っていてふと「例年」っていつのことを言うんだろうと考えてみた。
辞書を引くと、例年は「いつもの」「毎年」という意味らしい。
そして更に調べてみれば、確かにここ10数年の統計上今年は梅雨明けが早い。
だが。
私の中では、もうずっと6月のカレンダーをめくって7月になったそこが「夏になる日」だという子供の頃の記憶が染み付いているので、「例年より早く」梅雨が明けたと言われても実はピンと来ないのだ。私の梅雨明けの基準は、世の中の「例年」とズレている。これはちょっと寂しい。
データを見てみれば1998年の梅雨明けはなんと8月2日だった。私の中の「例年」で行けば日焼けで皮が一回むけたあとぐらいの時期のはずなのに、ようやくここで梅雨が明けただなんて夏が短か過ぎて寂しすぎるではないか。・・・・と思っていたら、この年だけが特別だったのではなく2003年の梅雨明けも同じ8月2日、2007年も8月1日にようやく梅雨が明けていた。
今年の夏は、じゃぁ貴重な夏なのかな。
夏は子供達の季節だと思っている。いっぱい遊んでいっぱい体験してそうして背が伸びていっぱい思い出が出来る季節。大人になってから「子供の頃の夏話」をした時に年代によって感覚が違ってしまうのではないかとそれがちょっと気がかりだ。
いっぱい遊んでいっぱい思い出が出来るといいね。
宿題は、適当でいいんじゃない?夏休みの宿題は優先順位が低くていいと今の私はそう思う。
まぁ、何はともあれ。
夏が来たみたいなのだ。