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投稿日:2007年04月30日

2007年04月30日

「近所のスーパーに行くだけ」のバイクに乗って、吉祥寺まで行ってみた。
吉祥寺は「近所」なのか否か。
「近所」という言葉を使って位置関係を説明するならば・・・・、
まず家の「近所」の道を通って「近所」のスーパーの方に向かい、そのスーパーからまた別の「近所」のスーパーの方に向かって、そのままその「近所」を通る道路、環八を越える。
その道の割と先の「近所」には久我山という駅があって、それを越えてこの辺を走る「近所」の車と思われる車に付いて行き、”あれ、この道はもしかしたら抜け道なのかな?”と、数台が入って行く小道に一緒に入っていったらゴルフ場があって、それを横目に通り抜けたら”三鷹台”の駅の「近所」に出た。
”三鷹台”の踏切りを渡って、立教女学院の前を通って知人が住んでいる「近所」を通り、井の頭公園方向にブーンと行き、これまた知人が通っていたという吉祥寺の幼稚園の「近所」を通って最後に井の頭通りの交差点に着いたら、吉祥寺の「近所」に来ていた。
と、いう具合いなので、吉祥寺は「近所X10」位の距離なのではないだろうか。
ともかく、吉祥寺に着いたのだ。
今日はいい天気の休日なので、井の頭公園にやって来ている人たちが多いのだ。井の頭公園の方に行くと、公園を歩きに来ている恋人達が結構いた。
人の恋愛で見る分でも、私は「手をつなぐ二人」というのは好きだ。人混みではぐれそうになる街中でもない場所で”つなぎたいからつなぐ”手はあたたかい関係が出ている。少し心が離れてしまった二人なら、もう手をつながない。また”好き”が”愛”に変わった、長年連れ添った二人もあまり手をつないだりしないだろう。
手をつなぐのは「好き同士」の、ある限定の期間だけ。
私は手をつなぐ恋愛って好きだ。
一周回ってそこに妙に良さを感じるようになった。
ブーン。
公園を後にした。
私は吉祥寺に来たなら行かねばならない場所がある。
それは女の戦いの場所、ユザワヤである。
ここの4階5階は、可愛ゆい生地を前に「何を作ろうかいな」と女達が、怖い顔で出来上がり図を想定しながら「これだったら50センチかしら」と、何センチ生地を切ってもらえばいいか、考え中なのである。
「あなたも怖い顔!」
「まぁ、あなたも!」
そして私も怖い顔で思案中。
考えているうちに、横から来た女子が私の狙っていた生地を担いでカット台に消えて行った。
今日は「近所x10」の距離の吉祥寺まで行った。
本日の感想は、「フルフェイスのヘルメットにしてよかった」。
昔は結構な距離を走ると、小さい虫がいっぱい口や目に入ってきたのだ。


投稿日:2007年04月29日

2007年04月29日

東京の道は難しい。
多分、この道を真っ直ぐ行けばあそこに出るだろうと予測をしていくと、とんでもない場所に出てしまうということが結構ある。真っ直ぐだと思っていた道は、実際は緩やかにカーブをしていたりするので、走っているうちに方向感覚が失われるのだ。
タクシーの運転手さんでさえ、そう言っているので、東京では道に迷うのが「普通」なのだろう。
そういうことにしておこう。
今日は近くて遠い町、荻窪にバイクで探検に出掛けた。
家を出る前に地図を見て覚えたが、早速曲がる角を間違えて道に迷う。
まぁ、いい。「探検」と名づければ、道に迷うことは「失敗」ではなく「調査」になるのだ。
八百屋さん、発見。
トマトを購入する。
で、荻窪はどっち。
ここで乗用車発見、ついて行く。多分このおじさんは横に乗っている奥さんを荻窪駅まで送っていくのだろう。という読みが当たって、あちこちの角を曲がって私を荻窪まで連れて行ってくれたのだ。
荻窪のカルディコーヒーファームにて、ハーブティ購入。
一日、一個所買い物に行くのがやっとだったのが、原付に乗ったらこんなことも出来るのかと思うと嬉しくなってくる。そのまま今度は駅から少しある園芸店にブーンと行って、パセリとバジルの苗を購入する。すると、もっと苗を見たくなってきたので、高井戸にあるオリンピックに行くことにした。
ブーン。
オリンピックの駐車場で杖をついてヨボヨボと歩く男性に遭遇、男性は私の乗っている原付の2周りほどデカいバイクの持ち主で、バイクに乗って颯爽と去っていった。
ここで苗とマーガリンを購入。
帰り道にビデオ屋さんに寄ってビデオを借りる。
「近所のスーパーに買い物に行くだけ」は二日目にしてタガがはずれたのだ。
バイクがやってきて、自由な鳥やネコになった気がした。
いや、都会の探検は買い物がついてくる。今日はバイクがやってきて、あれもこれもと浪費が増える意志の弱い人間だと自覚をしたのであった。


投稿日:2007年04月28日

2007年04月28日

原付の免許を取ったのは高校2年の冬だった。黄色のパッソルDは大学を卒業するまで、私の相棒となってくれたが、あれで随分いろんなところに出掛けたのだ。
最初は近所の商店街までという約束だった。
これが東は「水無瀬」に延び、続いて「山崎」に延び、その先の「長岡京」に延び・・・・と、ちょびちょび延びていつの間にか京都市内北区を走るようになっていた。
西はある日近所の淀川の河川敷を走っていて、「このまま淀川沿いに梅田まで行ってみたい欲」にかられ、なんだかエラく時間がかかったが、淀川からつかず離れずで最後梅田に着いて「阪急ファイブ」に家から直接来れた喜びでいっぱいになったのだ。
北は亀岡の山越えを数回した。高槻には高槻〜亀岡ラインというのが走っていて、途中にはイノシシ鍋の看板があったり砕石場もあれば怪しげなラブホテルがポツンとあったりして、行きはまだ明るいからよかったが、帰りは真っ暗の山道となり、後悔しながら走ったものだ。
万博公園一周もよくやったし、バイクが趣味というのでもない普通の原付女子にしては、かなり遠出をした方だったと思う。
今日は、バイクが家にとうとうやってきた。
雨が上がったので、早速ガソリンを入れにスタンドに行ったが、二輪の乗り物に乗ること自体が7年半ぶり、駒なし自転車に初めて乗れた時と同じ位の技量に落ちていた。
ヨロヨロする。
もう帰りたい。
タスケテー。
心は運転に表れる。
私も怖いが後ろから来た車も、ビビっていた。
自転車に追い越されながら蛇行運転の15キロ走行、車の運転と交通法規も少し違い、二段階右折含めどうするんだかわからないことが割とあったのだ。
「昔、乗っていたの」、全く意味なし。
浦島太郎、今まで走ったどの道よりも恐ろしい体験であった。


投稿日:2007年04月27日

2007年04月27日

新宿に行った。
渋谷、新宿はとにかく人が多い。
だが、イメージとしては渋谷の人混みは「祭り」で、新宿の人混みは「なんだか人がわんさか居る」といった感じだ。この二つの街の人混みの種類は私には少し違って見える。
ずっと以前に不思議な喫茶店に入ったことがあった。
そこは外から見ると、@@coffeというコーヒー豆のメーカーの看板が出ている、どこにでもありそうな町の喫茶店だった。何げなく中に入ったのだったが、入るといきなり独特な世界に足を踏み入れた感覚になった。
店内は埃が舞っていた。天井にはミラーボールが吊られていて椅子は種類が不揃い、印象に残ったのが、ベルベット生地で下にフリンジがついているこれまた埃っぽい椅子だった。
「イーラシャーマセー」
店員さんは全員日本人ではなかった。テーブルの上には初めて見たメーカーのソースが置いてあった。
出るに出られなくなって座ったのだが、中の客は競馬新聞を読み、他は何か怪しい商談でもしているかのようなちょっと怪しい客達が座っていた。
ドア一枚を隔てて、いきなり異様な空間となったその落差の大きさに戸惑ったまま、コーヒーか何かを一杯飲んでいる間ずっと私は落ち着かず、逃げるように店から出たことを覚えている。
今はそこはコンビニになっている。
外と中との世界が一致する明るい店内のコンビニだ。
こんなに人が多いのに、今日も知り合いの顔を見つけることはなかった。
ふと立ち止まってみる。
人の行き来は絶えることなく。
ビルの向こうに夕日が射していた。


投稿日:2007年04月26日

2007年04月26日

新緑の季節になった。
若葉の緑色は、葉っぱの色の中でもとても好きな色だ。
知らぬ間に。
知らぬ間ではないのだが、知らぬ間に。
こげ茶色の木々に、どれも若葉色が加わっている。
近くの緑道なら橋の上に立ってみると、緑のトンネルが続き、青梅街道から阿佐が谷に向かう中杉通りはけやきのトンネルが続く。
子供の頃、「トンネル」と名付けたような場所はみんな暗かった。中に入れば先が見えずに「怖い」という気持ちに覆われたものだった。
若葉の長い長いトンネルは、出口が見えなくても怖くない。中に入ればこもれ日が差す明るいトンネルだ。
トンネルを抜けると、そこはどこ。
こいのぼりを見つけた。
新緑のトンネルは5月に続いている。


投稿日:2007年04月25日

2007年04月25日

先週から体調がちょっと悪いのだ。
以前は少々のことがあっても、病院で診てもらうなんてことはなかった。多分あれは気管支炎だったんじゃないかと振り返るような症状があった時も、3ヶ月ぐらいゲホゲホやりながら自然に治るまで我慢をしていたし、強烈な胃痛が続いた時もこれまた楽になるまで1年ほど我慢していた。その当時は、病院に行くということが思いつかなかったのだ。
今は気になれば、なるべく早く病院へ行く。
今日は整体の先生に来てもらった。先生には日曜日に痛めた脇腹をお願いしたが、これも痛めてすぐの方がいいのだそうだ。
今週は病院ウイーク。
夕方は皮膚科へ行って、婦人科の再診が土曜日にある。
そう言えば、病院にあまり行かなかったのはパソコンがまだ普及していなかった頃だった。
今はなんとなく症状を照らし合わせて安心をしようとパソコン先生に聞いてみて、小さな文字で書いてある「重篤な場合があります」に逆に心配になって、あわてて行くパターンなのだ。
体調が悪い時、私はとても暗い。
ヨボヨボ類人猿は、バスに乗ってヨボヨボと皮膚科へ行く。
病は気から。
「俺は花粉症を気合いで治した!」と、言っていたO氏はすごいのだ。


投稿日:2007年04月24日

2007年04月24日

今日はバイクを買いに行かなくちゃ。
事前の電話で部品を取り寄せるのに数日かかると聞いていたので、今日買わないとGWに間に合わないのだ。
去年の秋に、町田の道路で渋滞中に「なんだ、あれは!」と発見して以来、「春が来てあたたかくなったら、あれを買おう!」と、恋し続けたスズキのチョイノリ。
”全然走らない””風にあおられたらコケる””サスがない””エンジンがなかなかかからない””中途半端な原付””買ったはいいが、あまりに走らないので後悔する人があとを絶たない”などの情報が入って来たが、私は頑固者。それでもよいのです。もうどんな情報も、私を止められないのです。
「あれは何だろう」と気になって調べて以来、秋にも正月にも、冬にも早春にも、チョイノリ情報をず〜っとパソコンで見続けて来たのだ。
”ヘルメット今ならサービス期間中!”フェアの時にも、「今は寒いので買いません」と、自制心で以って乗り切った。
昨日、バイクに詳しいK氏より”使っているパーツが一部プラスチック”という更なる情報を得て、プラスチックにちょっとビビったが、「チョイノリ封筒」の中には即金で支払うお金がもう入っている。
物にこんなに執着心を抱いたのは、かつてキーボードマガジンで見つけて恋をして、手に入れたKORGのポリ6以来ではないだろうか。あの時も広告ページを穴があく程見続け、「欲しい」「買いたい」「大好き」と想いが募り、最後は「お金がないのですが、どうしたら買えますか」と、お金を持たずに気持ちだけで店に行ったのだ。
あれから私も大人になった。
今度はちゃんとお金を持って行くのだ。
お店に行ったら、「本当に走りませんよ」と再度念押しをされ、別のバイクを勧められたが、よいのです。私は頑固者。わかっています。
「でも。今日は買いに来ました!」
頼むからもう反対しないで下さい。今日くじけたら、恐らく「チョイノリ封筒」は「液晶テレビ封筒」になってしまうでしょう。
どうか売りつけて欲しい。
ほら。
ここにスキ有り人間がイマース。
ベージュと薄い黄色の色を迷っていたら、「黄色の方がいいんじゃない?」と店の人がアドバイスをくれた。
それを応援と取ろう。
「これ、くださいな」
誰も売りつけてくれなかったので、待ちきれずに突進した。
アナタガー、ワタシノモトヘ、キテクレルンデスネー。
本日、薄い黄色のセル付きチョイノリを、ついに購入したのだ。


投稿日:2007年04月23日

2007年04月23日

玄関の所に伸びていた雑草達が綺麗に抜かれてあった。
多分、昨日お向かいに住む家のおじさんが抜いてくれたのだ。
去年の秋にもある日、玄関前の土の部分が綺麗になっていた。
”誰が抜いてくれたんだろう。””私が杖をついているのを知っている近所の人だろうか。”お礼が言いたいなと思ったが、その頃近所の人とはご挨拶をする位のお付き合いで、思い当たる人が浮かばなかった。管理費を納めているから、きっとそれで草を抜いてもらったんだろう。そう思っていたのだ。
今年の3月ぐらいに、地べたに尻もちをついた状態で、草をむしっていたら、向かいのおじさんが仕事から丁度帰ってきた。挨拶をすると、おじさんが「今度の日曜に抜いてやろうと思ってたとこだったから、置いときな」と、草を指さして言う。そこで前に抜いてくれたのがおじさんだったことを知ったのだった。
どこの家も、ご婦人方との方がいくらか季節の話題が入った挨拶が出来た。おじさんの方に挨拶をすると、小さい声で「あぁ」と返事をくれる位で、これまたどの家のおじさんもちょっと無愛想だった。
そう言えばずっと前に一度、おじさんとは花の苗を植えながら少し話したことがあったなぁ・・・。
おじさんはよそからやってきた私の暮らしを、本当は初めて挨拶をした頃から気にかけてくれていたのだろう。「今度、抜いてやるから」の言葉で、ようやく私はその心がわかった。
近所の家の人達はみな60代70代位の世代、そのうち3軒が30代位の息子さんや娘さんと一緒に暮らしている。私のところだけがこの数年で賃貸にかわったので、この辺は長い間人の出入りが少ないエリアだった。
私が別の場所で先住の住人だった頃には、新しく人が来ると最初は警戒心が働いたが、人が住まなかった家に自転車が置かれたり、洗濯物が干されるようになったり、その家が色づいていくとだんだん嬉しい気持ちの方が勝っていった。それを時々思い出し、前を通った時に外からでも花を楽しめる位置にしてみたりと、私も心を少し積極的にしたりはしたが、それは短いご挨拶の中でもなんとなくあたたかく輪の中に入れてもらっている感じを受け取ってきたからだ。
たまに外に出て玄関の前の茶色の土肌に、目を落とす。
雑草については、”無理して抜かなくてもいいや”と、他の日常生活でもいくつかある体優先にしていることの一つだった。
本当はね。
”ずっと私もここを綺麗にしたかったんです。”
”だから嬉しかったんです。”
「ふぅ〜」と、本当の心が胸の底から体の外へと出て行った。
早くお礼が言いたくなった。
今日はお向かいの家のドアが開くところに出くわさないかと、何度も玄関の外に出ていた。


投稿日:2007年04月22日

2007年04月22日

ちょっとした拍子に脇腹をグキっとぐねってしまった。
さっきまでスタスタと歩き、体のことに対して無意識でいたというのに、一瞬のグキを境にヨボヨボになってしまった。治るまでまた3週間ぐらいかかるのかと思うと気が重いのだ。
今まで、ギックリ腰とギックリ背中は経験をしたが、ギックリ脇は初めてなのだ。早速寝返りを打つのに痛みが走って、動作が超スロー状態になっているのだ。
”よっこらしょ。”
が、口癖となる。
と、思ったら今度は右目が出血をして真っ赤になっているのを発見した。
ガビーン。
これも前にやったことが何度かあったのだ。ぶつけた覚えがないのに、白目が充血を通り越して出血で真っ赤になり、これが本当の血眼といったぐらい見た目痛々しい状態になる。これは一週間ぐらいしたら消えてくれるのだが、数日間は血眼のまま過ごすことになるのだ。
部屋の中をヨボヨボと歩く。
人間だけじゃないのか、こんなことは。
猫は猫に生まれたら、一生猫として暮らし、
鳥は鳥として暮らしている。
私は今日急に人間からトドに変わった。
一国の姫から寝てばかりのトドに・・・。
王子は助けには来ないので、国は荒れ、無人島となり、
わびしくラーメンを食べるトドであった。


投稿日:2007年04月21日

2007年04月21日

晴れ。
東側の窓のカーテンを、買ってきた白い綿のカフェカーテンにかえた。
網戸にすると、風が気持ちよく通り抜けていく。
白い布が風に膨らんではしぼんでいく。
柔らかい動きっていいな。
東側から西側へ。
スイーーっ。
去年の秋に亡くなったチビ太は、網戸から外をよく眺めていたっけ。
風が気持ちいいと、外に出掛けたくなるね。
どこって、
行きたい場所は特には思い浮かばないけれど。
どこから来たの、風。
どこへ行くの、風。
日がずいぶん長くなってきた。
まだ気温差があって天気も不安定な4月。
でも今日はあたたかかった。
空には飛行機雲がスイーっ。
春の真ん中のような土曜日だった。