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投稿日:2007年04月28日

2007年04月28日

原付の免許を取ったのは高校2年の冬だった。黄色のパッソルDは大学を卒業するまで、私の相棒となってくれたが、あれで随分いろんなところに出掛けたのだ。
最初は近所の商店街までという約束だった。
これが東は「水無瀬」に延び、続いて「山崎」に延び、その先の「長岡京」に延び・・・・と、ちょびちょび延びていつの間にか京都市内北区を走るようになっていた。
西はある日近所の淀川の河川敷を走っていて、「このまま淀川沿いに梅田まで行ってみたい欲」にかられ、なんだかエラく時間がかかったが、淀川からつかず離れずで最後梅田に着いて「阪急ファイブ」に家から直接来れた喜びでいっぱいになったのだ。
北は亀岡の山越えを数回した。高槻には高槻〜亀岡ラインというのが走っていて、途中にはイノシシ鍋の看板があったり砕石場もあれば怪しげなラブホテルがポツンとあったりして、行きはまだ明るいからよかったが、帰りは真っ暗の山道となり、後悔しながら走ったものだ。
万博公園一周もよくやったし、バイクが趣味というのでもない普通の原付女子にしては、かなり遠出をした方だったと思う。
今日は、バイクが家にとうとうやってきた。
雨が上がったので、早速ガソリンを入れにスタンドに行ったが、二輪の乗り物に乗ること自体が7年半ぶり、駒なし自転車に初めて乗れた時と同じ位の技量に落ちていた。
ヨロヨロする。
もう帰りたい。
タスケテー。
心は運転に表れる。
私も怖いが後ろから来た車も、ビビっていた。
自転車に追い越されながら蛇行運転の15キロ走行、車の運転と交通法規も少し違い、二段階右折含めどうするんだかわからないことが割とあったのだ。
「昔、乗っていたの」、全く意味なし。
浦島太郎、今まで走ったどの道よりも恐ろしい体験であった。