月別アーカイブ : 2013年9月

投稿日:2013年09月30日

2013年09月30日

ATG療法一日目。

朝、個室に移動をしたらまずアレルギーテストの点滴を落としてもらった。今日から使うメインの点滴、サイモグロブリンを薄めたものだそうで、特に具合が悪くなることもなかったので治療に進むということだった。

次に副作用やアレルギー対策のデカコート125mg点滴が入る。普段飲んでいるステロイドが10mgなのでこんなに大量のステロイドが入って大丈夫なのかしらとちょっと不安になるがしょうがない。30分程で点滴が終わって、サイモグロブリン点滴が始まった。

今から12時間の点滴、終わるのは夜11時頃かぁ。

手術と違って点滴を落としてもらうだけなので案外楽に終えられるかもしれないなぁ。

と、思ったのも束の間。

点滴を始めてしばらくしたら熱が37度台に上がっていた。悪寒がして吐き気もしてくる。お昼ご飯は食べる気にならず、熱はそのまま8度台に上がった。それからすぐに9度5分に上がって、吐き気としんどさにすっかり覆われてしまった。

こんなのが5日間も続くの?

身体がしんどくない感じってどんな感じのことだっただろう。

思い出せばちょっと楽になれるような気がしたが、思い出せなかった。

夕方になっても熱は9度前後を行ったり来たりしていて、吐くだけ吐いて夜も何も食べる気にならなかった。

眠れない状態でしんどいのに耐えるのってとても時間が長く感じる。

このしんどさって終わるのかしら。

終わらないんじゃないかという気にもなってくる。

ひたすら時間が過ぎるのを待ち、今日のゴールを待った一日だった。

点滴が終わったら楽になるかもしれない。

ようやく夜の11時に終わって解放されるかと思ったが、また別の点滴につながれモニターも身体についたままで、しんどい上に捕らわれの身であることがまるで拷問のように思えてきた。

むむむむむ。

メインの点滴が終わったのにまだしんどい。

癒されたい。いや、癒されなくていいから普通になりたい。

明け方になっても8度台が続く。

8度台が楽に思えてくるだなんてやっぱり変だよなぁ。

あまり眠れなかった。

ほとんど眠れなかった。

もうやめたいなぁ。

これは思った以上にしんどい治療だ。


投稿日:2013年09月29日

2013年09月29日

昨夜はあまり眠れなかった。

隣りのおばあさんがベッドのリモコンを度々押すのだがこのリモコン、しゃべるリモコンなのだ。

暗がりでボタンを押すものだから勝手がよくわからないらしい。

「あたまが、あがります」

「あしが、あがります」

「あたまが、あがります。あたまが、あがります。あたまが、あがります。」

シーーーーン。

「あしが、あがります」

「あたまが、さがります。あたまが、さがります。」

「あしが、さがります」

<赤上〜げて。白上〜げて。白下〜げないで、赤下〜げる。>

もうこれで何回目なのよ。
もういいじゃんか。そのままエビ反りになって寝ちゃおうよ。

「あしが、あがります。あしが、あがります。」

あぁあああっ、寝られへんん〜〜〜〜〜〜。

ま。夜眠れなくても昼間いくらでも寝られるからいいのだが。

ここは朝6時に「本日のお風呂予約」が解禁になるらしい。私も朝食前にじゃぁお風呂予約でもしようかと、受付に行ったら終日のうちもう残っていたのは一枠だけだった。朝7時にその日の浴室が既に満室。ちょっと驚いた。

今日も日曜日なので病院内はのどかに時間が流れている。検査らしい検査もない。定期的に看護師さんがやって来る検温の時間が平日と変わらないぐらいだ。

私の場合はそれに加えて明日からの治療の説明を先生から受ける。

明日から5日間、私はATG療法と言って再生不良性貧血のウサギさんの血清を使った点滴治療を受けるのだが、その治療の流れとその際に起きるアレルギー症状をはじめ様々な副作用について、詳細に教えてもらった。

ウサギさんの血清はサイモグロブリンというもので12時間かけての点滴になるのだそうだ。副作用止めにはデカコートというステロイドの点滴を使い、ネオーラルという薬の服用も同時に始める。

サイモグロブリンの副作用には、アナフィラキシーショックをはじめ血小板減少、白血球減少、発熱など割と出現しやすいらしく要観察で進めますということだった。他の薬の副作用は腎障害、肝障害、高血圧、高血糖、体重増加、多毛、精神症状・・など結構書いてある。

そのうちのサイモグロブリンの副作用の項目のところに「戦慄」という単語を見つける。

「戦慄」って・・ホラー映画のタイトルにあるあの「戦慄」?

副作用、戦慄って何だろう。恐怖にかられるということなんだろうか。

治療中、そして治療後しばらくの間に、順次副作用が出現するらしい。

なるべくそれらが軽く済んでくれたらいいなぁ。

明日から個室に移って治療がいよいよ始まる。


投稿日:2013年09月27日

2013年09月27日

昨日、廊下側のベッドに案内をされたが、今日は4人部屋の窓側の2人が退院をされて、それで窓側のベッドに移ることになった。

ベッドに腰をかけると遠くに見える山が筑波山なのだそうだ。

窓に近づいて右手を見れば東京スカイツリーがある。

今日は採血があっただけ。

平日なのに静かな一日だった。


投稿日:2013年09月26日

2013年09月26日

入院日。

入退院受付に予定の10時に行くと、今日入院をする人や退院する人で人が沢山待っていた。最近はスーツケースで入院をする人が多いので、待ち合いロビーに座っているとなんだかこれから旅行にでも行くのかなぁという錯覚に陥って来るのだ。

だってあの人も、この人も。

みんな元気そうにスーツケースを引いていて、隣りに座っている初老の男性はお洒落ないでたちに帽子まで被ってお出かけルックではないか。家から入院ルックでやって来た私の方が明らかに浮いていた。みなさんこれから本当に入院するんですか?

案内されたのは血液内科のある15階。
今日はこのあとすぐに肺の内視鏡検査が待っている。

検査を受ける前に、私は血小板の数が今減っているので血小板輸血を受ける。血小板の輸血を受けるのは初めて。黄色い色をしているのを知った。

血小板の輸血が終わると出血傾向がだいぶ改善されるので、それで内視鏡検査を受けられる状態となった。

肺の内視鏡は初めてだ。胃や腸の時に七転八倒したので、肺だとどんな怖いことが待っているのかと暗くなる。

すると、今回の検査はまず最初に病室で”ボーっとする”お薬が点滴のラインから入れられたのだった。それからしばらくしたら、今度はまた別の看護師さんがやってきて”ボーっとする”筋肉注射を注射して去っていった。

「じゃ、検査室に移動しますね」

と、車いすに乗った頃には薬がかなり効いていて、さっきまでのドキドキはどこかへ去り、いつしか気分はべらんめぇになっていたのだった。

「お薬、ちょっと効き過ぎちゃいましたかねぇ」

という会話が聞こえてくる。

何か言おうとしたら「うえぇ〜っ?!そぉですかぁあっ?」という酔っぱらいの口調になっているのが自分でもわかって、首もすわらずグデングデンに酔っぱらっていたのだった。

内視鏡室に移動をしたら直前にもう一回”ボーっとする”薬を使って、それから検査に入った。

<グデングデンになってるよぉおおねぇえええ>

ゲホ!息が出来なくてバタバタしたのが一回。

<あれぇええ。もう終わりぃい?>

病室に帰ったらそのままグースカ眠って、目覚めたらようやく元の自分に戻れたのだった。

まぁ、何はともあれ検査が無事に終わってよかった。

入院初日はこれで終わり。

私が今回受ける治療、ATG療法は今日の検査や血液検査で特に問題がなければ、予定通り来週月曜日から始めるということだった。

入院をしたら急に病人を自覚する。

今日からまた私に与えられた課題に向かうしかない。

もう何度目の入院になるのかな。

いつも、昨日まで近くにあった日常から遠く離れてしまった気持ちになるのは変わらないのだ。


投稿日:2013年09月24日

2013年09月24日

今日はダンボを病院へ連れて行く。

ダンボも高齢犬となってきて病院と薬のお世話にならないといけないのだが、不思議と私の状態が悪い時には彼は元気に過ごしてくれているので、やっぱりダンボには助けられているのだなぁと思う。

血液検査の結果、投薬は必要なものの体調は安定しているということでホっとして帰ってきた。

またもうすぐ離れてしまうことをダンボは知らないけれど。

なるべく早く帰って来るから待っていてね。

ダンボは多分なのだが、ご飯をくれたらそれでその人が割と好きになり、普通のワンコちゃんのような「ご主人様が一番好き!」という感覚がない犬なのだ。今まで離れた時間を過ごした時にも、私の方は再会をとっても喜んでいる中、<あ、どうも〜・・・>という感じで挨拶に来てくれる程度。喜んでいる姿は一度も見た事がないのだ。

まぁ、それぐらいが気が楽でいいんだけどね。

どうか元気で待っていてね。

夜、父の容態を妹に電話で聞いてみた。父は今一般病棟の大部屋に移ったらしい。丁度父がそばにいるということで、電話を変わってくれようとしたが、「いらん」と言っておしまいだった。2度も心臓破裂を起こして今また再び大部屋に戻って来られたという生命力には本当に驚かされるのだ。

この一週間弱、めまぐるし過ぎて頭が混乱しそうになる。

一つ、一つ、クリアしていこう。

この言葉を繰り返し思い出してなんとか乗り越えて行きたい。


投稿日:2013年09月23日

2013年09月23日

「じゃぁまた来週!」

先週いつもと同じように終わったレッスンだったのに、その一週間後に私の担当の生徒さんたちには「今日で最後のレッスンになるんです」と話していた。レッスン前に連絡をしていただいていたので事情は理解出来ているとはいえ、繊細で感受性豊かな子達にまたもや急な環境の変化を強いてしまった。

心細くさせてしまったことが何より胸が痛い。

夢を持ち、明るい未来を描きながらまた不安や心細さも同居する生徒さん達。どの生徒さんも自分が重なって見えるところがあった。

明るく前を向ける時と自信をすっかりなくして途方に暮れてしまう時が、交互にやってくる。一生懸命頑張っていることほど、その揺れの回数も多くなってくる。一途に好きなものがあるということは、そういうリスクがついて来る。夢を追うには体力も気力も、それから持久力も思っている以上に必要なのだ。

家からここまでの距離を通い、毎週をレッスンの為に時間を空ける。お金もかかるし、限られたレッスン時間が終わったら帰り道もまた長い。

だから、ただここにやって来るだけで、どれだけ頑張る気持ちを奮い起こして来たんだろうと、生徒さんがドアが開けて入って来る度に思ってきた。教えるという仕事を単なる仕事でなくさせてくれたのは、いつも一途に頑張る生徒さんの姿だった。

若い人には未知の可能性がたくさんある。どの芽がギュっと伸びるかも想像の範囲では決して収まらない。

頑張って夢を一つずつ叶えて欲しい。

何より笑顔でいられる日が一日でも多くあってほしい。

担当になったことは何かのご縁があったからこそ。
その分やっぱり想いは深くなる。

「じゃぁ、また来週!気をつけて帰ってね」

レッスンが終わると、いつも声をかけた挨拶の代わりに生徒さんからあたたかい言葉をいただいた。彼女達の優しさや思いやりが痛い程伝わってきた。そして、自分が気づけていなかったみんなの感受性の豊かさをあらためて知った。

めまぐるしく、こんなに状況が変わっていった数日間はない。

一昨日、昨日、そして今日。

最後の生徒さんが帰ると、”あぁ、もう来週からはここには来ないんだなぁ”と、静かになった部屋でようやくそんな風なことがようやく頭をよぎった。

片付けをして、いつものようにスタジオを出て、受付のスタッフの男性にお世話になりましたと挨拶をして帰ろうとしたら、誰かが居たので何気なく顔を向けると待ち合いルームの所にお世話になったDさんとNさんとYさんが、忙しい中時間を作って本来の職場から離れたスタジオまで来て下さったのだった。

「あっ」

なんだかあったかくて泣けてきた。

なんとか冷静にご挨拶が出来る自分に立て直そうと思うのに、逆にどんどん泣けてきてしまう。そのまま戻れなくなってワンワンと泣いた。

作品を作るアプローチとは違い、組織の中での一端に携わらせてもらう仕事は他の音楽の仕事とはまた別の楽しさがあった。ただ持論だけでもって自分流のレッスンをするのではなく、どうしたらその組織の役に立てる人間になれるかを考えながら、なおかつレッスンとしてもしっかり成果を上げる。”俯瞰で物事を見ながら組み立てる”という物の見方をこの数年間で学んだ。ここでお世話になれたからこそ真面目に考えることが出来たのだと思う。

たくさん学ぶことがあった。
生徒さんから教えられることもたくさんあった。

寂しいと言えば寂しいけれど、決して寂しいだけじゃない。

感謝を込めて。

とにかくいい出会いがたくさんあった。

あたたかい人の想いに触れ、”頑張りたいな”と思わせてもらった現場だった。


投稿日:2013年09月20日

2013年09月20日

午前中、輸血と検査で病院へ行く。

血小板の数値は2.1。輸血をしている間に先生がベッドのところに来た。

「26日に入院して下さい」

これで入院日が決まった。

毎週金曜日に教えに行っている学校へ今日も行く。もし入院日が少しでもズレたなら来週までの授業はと考えていたが、それはなくなった。

病院を出て学校に向かったが着いたのがレッスン前ギリギリだったので、まずはレッスンに入る。学校の授業担当の方と丁度行き違いになってそのまま次の授業に行く。学生さんには授業前に”さっき決まったことについて”の経緯と来週から休講になる説明をする。ついこの間一緒にステージで歌って、終わった時に次のコンサートのことを話したばかりだったのに・・・。

またここでも迷惑をかけてしまった。

授業を終えてようやくHさんと話をすることが出来た。Hさんには去年の入院時にも休講のフォローをいろいろ手配してもらったのだが、今回の入院の件について相談をしたら、「10月一杯を取り敢えず休講にしましょう。その後補講で年間授業を合わせてもらえたら問題ないですよ」と言っていただいた。

今日の授業でしばらく休講になる。

学生さんたちのあたたかい気持ちが今の脆い自分に力をくれる。

学生さん達には”ステージに立つ”という経験をなるべくさせてあげたいと思ってきた。早く戻って取り戻そう。

治療、頑張ります。ありがとう、みんな。

つくづく人は一人では生きられないと、今回も感じている。

自分一人では、決して物の見方は広がらない。
変わらない。

必ず自分以外の誰かの存在があって、見えなかった物が見え、また力が湧いて来るのだ。

少しずつシンプルな心になっていく。

現実を受け入れることが出来るようになって、きっとそこからだ。

家に帰ると昨日相談に行った事務所から連絡があった。

今回は受け持ちの生徒さんを別の先生にお願いして、次の月曜日のレッスンを最後に担当していた生徒さんを振り分けるというお話だった。

今一番のベストな方法というのは、弱った一人の心では決められなかったと思う。

よかった。
これがベストな方法だ。

ちょっぴり心の中がぽっかりと空いて。

それからほんの少し私は気が楽になった。


投稿日:2013年09月19日

2013年09月19日

今日はレッスンでお世話になっている事務所の打ち合わせ。

昨日の段階でわかったことをメールでお伝えはしたが、こちら側で言えるはっきりしたところがまだわかっていない。それが更に迷惑をかけてしまうことになるのだが、なんとか一番いい方法をと考えても自分一人ではベストな答えが出せる自信がなく、現状をそのままお伝えして相談をすることにした。

今までにも度々迷惑をかけてしまった。急に入院をしたり体調を崩したりする度に調整をつけてもらってきたが、そのフォローは私の知らないところで大変な作業だったと思う。

担当のDさんからは”こんな時間まで仕事をしているのか・・”と思うような日や時間にメールがよく届いた。

もう前回と同じことをしていてはダメだと思う。

お世話になったのであればなおさら一番いい方法を見つけなくては。

今自分の中にある情報をとりあえず全てお話をして、そうして検討してもらうことにした。

明日はまた朝に病院、そこで多分なのだが、”26日頃”と不確定だった入院日が決まると思う。

また明日は明日で今後のレッスンの相談に行かないといけない場所がある。

状況に澱んでしまうことなく建設的に頭が働いてくれますように。


投稿日:2013年09月18日

2013年09月18日

骨髄検査で外来に行く。

骨髄検査は二回目。うつぶせになってベッドに寝ているのでどんな処置がされているのかは見えないが、麻酔を打ったあとに腰骨からグググっと針を刺していると思われる。麻酔が効いているので感覚は鈍いのだが、イメージとしてはドライバーぐらいの太い器具が差し込まれている感じで、針を身体に押しこまれる度に”どうにかなってしまう!”という恐怖に覆われる。

検査が終わると、1時間止血の為にベッドで仰向けになって過ごした。

検査の結果はまだ先になるそうだが、血液検査の結果今日も血小板が減っていた。

その結果で”自然治癒の可能性”はなくなったということだ。

入院は避けたかった。

入院をすると仕事をキャンセルすることになる。周囲の人達に迷惑をかけた上、随分仕事もなくしてきた。

入院治療を受けないといけない患者に「入院をしてください」というのは正しい判断だ。そりゃぁ私だって病気は治したい。ただ、病院からは「仕事は休んで下さい。」と簡単に言われてしまうと、素直に「はい」と言ってうなだれて現実を受け入れられない自分もまたいるのだ。

「仕事」ってそんなに簡単に休めるものなのか。

自分の仕事ってそんなにちっぽけなものなのか。

いや、私は目の前の仕事に誇りを持って、少なくとも自分に出来る目一杯の誠実で向き合ってきた思っている。

だけど、それを誰に向かって叫べばいいのか。

この怒りにも似た気持ちを誰かにぶつけたいのに、
ぶつける相手が居ないのだ。

それが

病気を抱えて生きるということだ。

病気は治さないといけないと思う。

そりゃぁもちろん、私自身常に治したいと願ってきた。

だから。

たまに毎日こうして過ごしてきたことが、机の上の埃を払うかのようにフっと吹き飛ばされてしまったと感じる時、どうしようもなくむなしくなる日がある。

入院は私にとってはやっぱり大きな出来事だ。

頑張ったけれど届かなかった。

何かが空っぽになってしまった。

冷静になんかなれない日がある。

もう何度目になるのかなぁ。

たまに堰を切ったように涙が溢れ出て来る日がある。

駐車場に行くまでの敷地の道を私は声を上げて泣いた。

すっかり顔見知りになった数人の駐車場の係員さんが居たが、心の中を隠すことも出来なくなっていた。

今の私にはもう一度溢れ出した涙を止めることは出来なかった。


投稿日:2013年09月13日

2013年09月13日

山本かおりちゃんのコンサート。

会場の古賀政男音楽博物館、けやきホールがある建物は井の頭通り沿いに建っていて、週に2日は前を必ず通っていた。

入り口から見たら半地下に階段を降りるとそこがホールだ。

かおりちゃんとは何年か前にJam For Joyというイベントで知り合った。その後、ある日の夜にドラムの滝山くんが「美味しい餃子のお店」に、かおりちゃんと私を誘ってくれて、そこで3人でご飯を一緒に食べて初めてゆっくり話をしたのだった。

連絡先を交換してそれから会ってはいかなった。ご飯を食べた時も他人にとっても気を遣う女の子だった。私が「怖い姐さん」に見えていて、ビビッているのかもしれないと可哀想に思っていたぐらいだ。

だから、サポートピアノとして今回誘ってもらえたことがとっても意外だったし何より嬉しかった。


(ベーゼンドルファー。一番下の鍵盤が黒いモデル225だと思います。黒鍵盤は使いませんでしたがこのモデルは初めて弾きました!)

初めてのホールでのコンサート。路上ライブを重ねてきた彼女にとって、ライブに慣れていたとしてもやっぱり場所が変わるわけで、きっと緊張とプレッシャーの連続だったのだと思う。でも餃子屋さんで会った時の気遣い少女は、連絡事項のメールを送ってくれる時も、リハーサルの時も、本番日も変わることなく気配りを常にしながら主役をしっかり背負っていた。

ときどき目の前の不安に押しつぶされそうになりながら、なんとか頑張って踏ん張って課題を乗り越えてゆく。

はたから見ているととても危なっかしくて心配になるのだけれど、気が強いだけの女性には決して持つ事が出来ない本当の意味での強さ、私の尊敬する「強さ」を彼女は持っている。

本番中、ステージ上のメンバーのあたたかさ、お客さんのあたたかさが私の座る下手側のピアノからよく見えた。一生懸命、目の前のことを頑張るかおりちゃんが居る。「頑張れ」と応援しているはずが、いつのまにかこちらが癒されている。

音楽はいろんな力を持っている。

その中で「ねじ伏せる」という力だけは、音楽にはふさわしくない。

北風と太陽でいう「太陽」のようなあたたかさ。

真夏の太陽じゃなく、春や秋の穏やかな日のような日差し。

退館したら出待ちのファンの方が何人かかおりちゃんを待っていた。

「おつかれさまでした」

そうかけられた声もあたたかかった。

人をあたたかくさせる力は尊いものだと思うのだ。