三重県の亀山市では、今年実験的に市内の小中学校の4月30日を休みにして、ゴールデンウィークを7連休にするのだそうだ。
これで学校が休みになった場合、親がどれだけ休暇を取れるかということを調べるらしい、ニュースでは「ゴールデンウィークが7連休になったら嬉しい?」と子供達にインタビューをしていた。
だいたいこういう時に使われるインタビューは「嬉しい」という返事のものだけになる。インタビューの編集の仕方も無理矢理こじつけて、その部分だけを抜き取っていることもあるので、あまり信用していない。だって私だったらあまり嬉しくない。「仕事が休みで7連休」だったら嬉しいが、私は学校が好きだったから、ゴールデンウィークや日曜日はたいして嬉しいものではなかったからだ。
だがインタビューに答える子供達は、長い休みが嬉しいらしい。
インタビュアーに「お休みになったら何をしたい?」と聞かれると、「遊びに行きたい」「ディズニーランドに行きたい」といった答えが戻ってきていた。
しかし、
一人だけ小学校低学年らしき小さい男の子が「家でゴロゴロしたい」と答えていた。
これにはちょっと笑えた。こんなに小さい子供が、休みの日は家でゴロゴロしたいという持論を持っているのだろうか。恐らくこの子はお父さんのことをいつもよく見ているんだろう。ここの家では休みの日になると、パパが「休みの日は家でゴロゴロするのが一番だ」と言っていて、どこにも連れて行ってもらえないうちに、そんなものなんだと達観したのではないだろうか。
子供の学校が休みになったからと言って、そんなに親は簡単に休みが取れない事情にある。せっかく平日に学校が休みになったけれど、家で寂しく一人で過ごす子供が増えただけの休みにならなければいいなと思う。
ゴールデンウィークはのどかな晴れが似合う頃。
私も平日の電車に揺られて、また”あてもなく出かけてみようツアー”を実施したいのだ。
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2010年03月30日
痩せようと思ってから20日が過ぎようとしているのだが・・・・。
ここ数日で、痩せ率が止まってしまった。
運動をしたら、美味しいものが食べたくなる。なるのだが・・・ひからびたおかずで我慢して過ごしているのだ。が、それでも体重が減らないとなると、大好きなスイーツを断っているいらだちとせっかちな性格も手伝ってか、もうだんだんヤル気がなくなって来るのであった。
私は子供の頃、ゴボウのような体つきだった。なので、少しポチャっとした女性らしい体型にあこがれたものだった。特に二の腕はポチャっとしているのが女性らしい。そう思っていた。今そのあこがれの”ポチャ二の腕”になれたのだ。
だから、それでいいじゃないか。
しかし、どうも思っていた感じと違う。
女性らしいと思っていた”二の腕ポチャ”なのだが、自分の腕についてみると女性らしいというより「強そう」に見えてしまう。黒いパンツを履いてポーズを取ったら、長州小力になるんではないだろうか。
はふ〜〜。
好きなものを食べたいだけ食べて、どこまで太るかという方向に転換したくなってきたのだ。
かつてはバレーボール部で鍛えてかなりズッシリした体型になっていた頃もあったが、運動もしていないのにその頃よりうんと馬力のありそうな体に、今や成長したのであった。
2010年03月29日
通販の雑誌を見ていたら、「風を通すレースの障子」という面白い物を見つけた。
障子と言えば「障子紙」しかないだろうという感覚だったが、これが障子紙ではなく通気性のいいレースの障子になるらしい。だから紙ではなく、生地ということになるのかもしれない。
ウチは和室がないので、試しに買ってみようかということにはならないが、網戸の季節になったら気持ちが良さそうだ。いろんなものを考え出すものだなぁと感心しながら他のページも眺めて行くと、今度は「水のたまらないサンダル」というのに目が留まった。これは底の部分に穴があいていて水がかかっても通すので、ベランダやお風呂場で使うのに便利な品物なのだそうだ。確かにベランダに出しているサンダルは雨の日のあとには水が溜まっている。ただ、私は汚れたら水洗いをして水切りすればいいかと、あまり気にしない方かもしれない。
次に目に留まったのは、排水口を洗う変形ブラシみたいなものだった。これは欲しい。ちょっとした細い溝の所のヌメリが上手く落ちないので、かゆい所に手が届く形のブラシは有り難い。ジューサーミキサーの刃の辺りの溝を洗うのも苦戦しているので、洗い終わったらそのことは忘れてしまうのだが、もう100回以上は「なんとかならないかしら」と思いながら洗っているのだ。
通販の雑誌や番組を見ていると、便利な品物がいろいろ紹介されている。
私自身”便利”なものは好きだ。が、それがあまり”時短寄り”の発想になると興味が湧かなくなるのかもしれない。ちょこっと自分が動けばいいことと、これは便利だなと思えることとの境目の微妙なラインが人にはそれぞれあるのだと思う。
「これ、不便で困るわ・・・」
「何かいいアイデア、ないかしら」
私は何かしらのことで一日数回はこのことを頭の中でつぶやいている。
それが終わるとまた忘れ・・・。それを毎日続けていて、それがもう何年も続いているので、えっと・・・・・・・。
地球は回る。
私の頭の中も繰り返し回っているのであった。
2010年03月28日
私が高校生の頃、トレーナーを裏返して着るのが流行った時期があった。
その日は自転車で走っていると向こうから歩いて来たご婦人に呼び止められたのだった。
「ちょっと、あなた・・・」
「はい?」
「裏返しになっていますよ」
親切にそう言ってもらったのだとわかった。だが、一方で<あ、おばさんには私達の流行がわからないんだわ>というジェネレーションギャップを感じたのであった。
あれから時は流れ・・・・、
今では<私達の流行がわからないんだわ>と、心の中で思われる側に立ったのだなとしみじみ思うようになった。
ドクロマークは相変わらず、理解出来ない。ドクロなんて不吉で気味が悪い。自分のドクロだけで十分である。そして、今流行の”ボリュームまつげ”メイクも、これは、やりすぎてムカデの足に似ているという風に捉えている。長い爪にネイルアートを施したものに至っては、指にひっついた飴細工だ。
だがもし今街でズリパン姿の人に「パンツ、見えてますよ」と、声を掛けたなら、声を掛けた方がおかしい感覚になるのだから、妙な話なのだ。
数年前、私はワンピースの後ろのボタンを留め忘れて、腰から下が全部開いた状態でいるのを知らずにパンツ丸見えで井の頭線に乗って渋谷まで行き、道玄坂を上がってライブハウスまで行ったが、気づいた時には最悪な気分になったのだ。「わざとだと思われているから大丈夫だって」と慰めてもらっても、立ち直れなかった。
だが、やっぱりそれが普通の感覚だと思っている。
昔、トレーナーを裏返して着ていたご婦人には奇妙に映った私も、今は奇妙な若者ファッションに目を丸くし・・・。しかし、今ズリパンを履いている若者達も、いずれ私の世代になる・・・。
その頃、ファッションは一体どんな妙ちくりんなものになっているだろう。
最先端のお洒落女子達は唇にナメクジでも這わせているんだろうか、全く想像がつかない私なのである。
2010年03月27日
フワフワ、フワフワ。
家の前に出ると紙のゴミが道端にゆらめいていた。チラシか何かかなと思っていたのだが、ダンボが家の中から飛び出てそれに食らいついたのだった。
フンガフンガ言いながら、ダンボがその紙をペロペロと舐めているのを見て、それでその紙がマクドナルドのハンバーガーの包み紙であることがわかったのだった。なんてめざといんだろう。この犬は家の奥から飛んで来て、まっすぐ紙包みに飛び込んで行ったので、最初から食べ物の包み紙だったことはわかっていたのだ。
「こら!ダンボ。やめなさい!」
ダンボを引き離すと、急にこの紙ゴミが憎らしくなってきた。
ハンバーガーを食べるのは勝手だが、紙クズは責任を持って自分で捨てて頂きたい。一体、誰がこのゴミを捨てて行ったのか。
ここは袋小路になっているので、ただの通りすがりの人は居ない。かと言ってこの辺りの住人がそんなことをするとも思えない。じゃぁ、誰なんだろう。やはり通りがかりの人間が捨てたゴミが風に飛ばされてここに飛んで来たのだろうか。
家の丁度真ん前にハンバーガーの包み紙はヒラヒラしている。
<んもう!>
<私は、拾いませんよ>
<拾いませんからね>
見えない敵に向かって宣戦布告する。知らない人が捨てて行ったゴミを、それもよりによってハンバーガーの包み紙を<あら、ゴミが落ちているわ>と素直にササっと拾えるほど私の心は広くなく、<私は知らないからね>と一旦は見捨てる傾向にある。
<知らない!>
と、思ったらまたスキを見てダンボが包み紙にダイブして、少しでも多くこの美味しいソースを舐めようと必死にフンガフンガやっていた。
最初に拾っておけば、ダンボの二度目のダイブはなかったのに・・・・。
結局、<私は知らないですよ>は10秒ぐらいで終わり・・・・。とほほな気分でゴミを拾う自分に変わっていたのであった。
知らない人の捨てて行った物の後片付けは今までにもあったが・・・・。
今日ほど、腹が立ったことはなかった。
私も食べたかった。
ダンボはちょっとだけ味わえた。
犬の様子からしても相当美味しい食べ物のようであった。
自分が食べていない物のゴミの始末は、バイトでもない限り腹が立つということがわかったのであった。
食べ物の恨みは恐ろしいのである。
2010年03月26日
「ポチたま」の特番を見ていたら、番組の最後にお知らせがありますと言っていて、CMが明けるとサラっと「今日で番組が最終回となります」と突然挨拶があって、そのままあれよあれよと言う間に番組が終わってしまったのだった。
待っておくんなまし〜〜〜。
終わり?
最終回?
今日は普通に特番だったんじゃなかったの?
心の準備が全く出来ていなかった。
ただの番組なのだが、かなりショックを受けた。だって「ポチたま」は私にとっての癒し番組だったのだ。夕飯を食べたあとのちょこっと気分が緩むモードに、ちょうどほっこりした風を運んでくれる番組で、家に居る時は番組の時間に合わせて予定を立てるほどとっても楽しみにしていたのだった。
もうどんな素敵な恋愛ドラマを観ても、”自分に置き換えられなく”なったが、”ポチたま”は観る人を選ばなかった。疎外感なく<見においでよ!>と間口広く受け入れてくれていたのがこの番組だったのに・・・。
3月は番組の改編で最終回を迎える番組がある。
数日間見ていなかっただけで、キャスターの人が新しくなっていたりして何事もなかったかのように番組が進行していたりするので、一瞬自分が異次元に行って帰って来たSF小説の主人公かと錯覚するのだ。
かつて、自分がおしゃべりをさせていただいたいくつものラジオ番組達もこの時期に番組が終わって寂しいなという気持ちになった。「始まったら必ず終わりがある」あるプロデューサーさんにそう言われて、そうだと思いながらもやっぱり心はそんなに割り切れないまま、思い入れを整理出来ずに後ろ髪を引かれたものだった。
あれから今、HPを持ったり、ブログを書いたり、ネットラジオをやったり、それらを続ける根底にあるものは<自分がやめると決めるまで続けられることがやりたい>という想いから来ている。
自分のやっていることも、ある日終わったら寂しいと思う誰かがきっと居る。「終わる」経験を積んでいくうちに、ささやかでもいいから自分で決定権を持てるものをちゃんと持っていたいと強く思うようになったのだった。
だから今は本当にささやかだけど、この環境が気に入っている。
「ポチたま」が終わったら寂しかった。
いつか全てに終わりがあるかもしれないけれど、その終わりを何度も挑戦して越えたいなと、こんな時には思うのだ。
2010年03月25日
信号待ちをしていたら、”自転車の傘さし運転や携帯電話をしながらの運転は禁止です”と書いた警察の宣伝カーが目の前を通って行った。
待っておくんなまし〜〜。
私にはもう一つ付け加えて欲しい禁止事項がある。それは自転車に乗りながらのイヤフォン禁止だ。自転車に乗りながら音楽を聴いている人は結構居る。だが、この中のどれぐらいの人かは、道路を走っていることを途中からすっかり忘れている、と思うのだ。
あなたの近くには車も走っているんですよ。歩行者も居れば、原付も居る。音楽を聴いていると多分それらの存在が希薄になるのではないだろうか。私はイヤフォンをした自転車人が見えたら、ものすごく警戒しながら走っている。だって、今までに何度もヒョイっと「なんで急にこっちの方に進路を変えたのだ!」と驚く形で目の前に出て来られたからだ。本人は音楽を聴きながら有意義に移動時間を使っているつもりなんだろう。だが実際は周りが見えていない迷惑者になっている。結果的にゲームの敵キャラぐらいこの人達は行く手を阻むので、本当に困るのだ。
傘さし運転と携帯電話がダメなら、音楽を聴きながら運転するのも、それから信号無視も、それから車道でマラソンの練習をしている人達も危険行為なのだ。
待っておくんなまし〜〜〜。
市民の声を聴いてくんなまし〜〜。
宣伝カーは信号待ちをしている間にブーーンと去って行った。
そしてまた今日も。
私の横をイヤフォン自転車がス〜っと通って、いつものように信号無視をして颯爽と去って行ったのであった。
2010年03月24日
春休みはいつもポッカリ穴のあいた感じのする休みだった。
日差しが柔らかくなって季節的には穏やかな時期。だがその分肌に感じる、風のほんの少しの冷たさが余計に印象に残る。
今度@年生。
この間まで@年生だった。
今の自分の位置があいまいなことが、少しはがゆかった。
後に大人になって触れるいくつもの「グレーなもの」の最初の「グレー」が、この春休みだったのかもしれないなぁと思う。
<なんだろう、この感じは。>
胸の中がどうも落ち着かずにムズムズした。
私は春休みには、あまり馴染めなかった。
唯一、宿題がない休みだったのに、それはあまり大きなプレゼントのようにも思えなかった。
春休みはあまり好きにはなれなかった。
遠い昔のことだ。
2010年03月23日
8キロ太ったのにショックを受けてから2週間。
カロリーコントロールにも真面目に取り組むようになったが、やはり水中ウォーキングと毎朝体重を計るというこの二つがダイエットに効果があると思うようになったのだ。
1時間の水中ウォーキングを始めたら、割と順調に2キロ体重が落ちた。
するとなんとなく身体が重たいのがなくなった。
私の場合、水中ウォーキングを始めると、3キロぐらいは割とすんなり落ちてくれるのだが、その後は横ばいで落ちなくなる。そう言えば去年もそうだった。変化がなかなか得られない時期が続くと、今度はふともうこのまま食べたいだけ食べて、だったらいっそ見た目も相当変化があるぐらいに太ってみようか、という「押してもダメなら引いてみな」的な考えが浮かんで来るのだった。
お店に入って、店員さんに「Mサイズでよろしかったですか」と尋ねられていたあれは、普通の確認の言葉だと思っていたが、店員さんにとって私はボーダーにあったということだったのか。
<本当の本当に、あなた、Mサイズって言っていますけれど、大丈夫なんでしょうね>
日本語は難しい。
相手がお気楽者だと微妙なニュアンスが通じない。
さぞ、空気の読めない客に映ったことだろう。
数年前、通販で買ったスカートが写真で見るのと全然形が違っていてガッカリしたが、体型が戻って履いた時に始めて、自分の身体のせいでシルエットが変わっていたのに気がついた。
痩せたら、新しい服を買ったのかと思うぐらい洋服のシルエットが変わる。
私はこの数年で、そういうことが言えるぐらい伸び縮みする身体になったのであった。
2010年03月22日
以前、HPに書き込みをしてもらって知った鬼子母神の手創り市に行った。
境内に手づくりのグッズのお店がいろいろ出店していて、アクセサリーのお店に手づくり石けんのお店、ハンドメイドの洋服や帽子のお店etc・・・、可愛くて個性的な品物を置いているお店ばかりだ。お店の人が、きっとこれらの品物を作っているんだろう。美大生の学生さん風の女の子も居たりして、お祭りの出店とはまた雰囲気が全然違っていた。
オリジナルの判子を作ります。というコーナーがあったり、陶器の器の店があったり、木を上手に削った器なんかも売っている。
「ハンドメイド」商品は雑貨屋さんでも見かけるが、ここで売っているのはみんな街の雑貨屋さんで見る値段より安い。
グルリと回って、衝動買いしたのは犬グッズとオリジナルのレターセット、買うものはやはり街に出た時と同じようなものしか買わなかったが、私の好きなテイストの手作りがあふれていたので、次回の市にも来たいなと思ったのだ。
品物を眺めていると、店の人達の会話が聞こえてきた。
都内で定期的に開催されている手作り市に出店をするのが職業になっている人も居るのだそうだ。雨が降るとこういう市はお休みになるから、困るらしい。「次は渋谷に出します」なんて会話がちょこっと耳に入って来たので、渋谷の方でもこういう市があるんだなぁということがわかったのだ。
楽しい手創り市。
今日は2時過ぎに自宅で打ち合わせが終わって、次は5時にまた家に戻っていないと行けなかった。手創り市が4時までだったので、今回はあきらめようかかなり迷ったが、思い切って行ってよかった。
可愛い雑貨を思いついてサササっと作れる人達ってたくさん居るんだなぁ。
寒かったけれど、置いてある品物達は「作ることが好きな人たち」の心が感じられてあたたかい感じがした。
梅が近くのお寺で咲いていた。
この次はもっと時間に余裕を持ってゆっくり回ってみたいなと思う、楽しい市だった。