京都のアルファステーションで番組をさせていただいた頃にお葉書をよく送って下さった女の子から、ツィッターを通じて今度の日曜日に挙式をするというご報告をいただいた。
えぇええええっ!
当時、Aちゃんは中学生。番組にお便りを下さるリスナーさんの中では若い方だったが、文字がとにかく綺麗な女の子だった。その頃B#は「誓いのヴェール」という曲を出していて、番組の中でもよくかけさせていただいたが、Aちゃんは明々後日の披露宴のお色直しの入場の時に、この曲をかけるのだと教えてくれたのだった。
中学生の時、番組にお便りを送ってくれていた頃から自分の結婚式にはこの曲を流すんだと決めていましたと書いてくれていて、ただただ感激をした。中学生だった女の子がそんなことを当時思っていてくれていただなんて、そして本当にそれを実現させてお色直しの入場に流してもらえるだなんて。
自分が知らないだけで、自分の書いた曲を大事にしてくれている人達が居る。
そうか。
Aちゃん、もうそんなお年頃だったんだね。
ご結婚おめでとう。
幸せになってね。
それから。
ありがとう。
「あの店、まだあるのかなぁと懐かしい場所に行ったらまだその食堂はやっていて、あのおばあちゃんが元気に店を切り盛りしていて、なんだか嬉しかった。」
音楽を続けるという意味で、こんなおばあちゃんを目指したい。
感謝を込めて、私はこんな風に音楽を続けて行きたい。
月別アーカイブ : 2011年5月
2011年05月25日
狂犬病の予防接種と血液検査でダンボを病院に連れて行った。
ワンちゃんもいろいろ。
病院でも気にせずにくつろいでいる犬も居れば、他のワンちゃんに興味津々の子、飼い主さんが大好きでベッタリなワンちゃん、タイプは様々なのだが、ダンボはとにかく緊張でカチカチにかたまっているのだ。
注射は意外にも「キャン」とも言わずに無反応ですんなり終わるのだが、彼にとっての一番の恐怖は「爪切り」で、病院に来ると必ず爪切りをされるからそのことに怯えているのだった。昔は爪切りの度にウンチをチビっていた。今は私の目の届かないところで爪切りをされているので、チビったかどうかもわからないが、爪切りが終わるとダンボ自体がかなり消耗しているのがわかるので、出来るだけの抵抗はしているのだと思う。
今日は血液検査で少し肝臓の数値が悪くなっていた。ダンボは6歳頃に重度の肝障害になって一時すごく調子が悪かった。その時には数ヶ月間の投薬治療で数値を正常に戻してもらえたが、定期的に検査をしないとやはり何かしらのきっかけでまた肝数値が悪くなる。いつも無邪気な様子だが持病のある犬として注意をして見ていないと行けないなぁと思う。
膝の上でダンボを抱っこしているとジワンとあたたかい。
病院、嫌いだもんね。
でも私も本当はあまり連れて来たくない。公園の散歩の方が私だってそりゃぁいい。
またお薬を飲むことになったね。
でも帰れるよ。
帰ろうね。
病院で見かける犬は幸せな犬達だ。飼えなくなったからと捨てられてしまう犬達もたくさん居て、また十分な運動もなく名前もないままひたすら子供を生ませる為の道具になっている犬達も居る。
注射も爪切りも薬も・・・・。これでまた私のことを少し信用出来ないヤツだと思ったダンボだろうけれど。
この子の命だけは最後までしっかり預かって大事にしたい。
病院から家に一緒に帰る時、ささやかな幸せを感じる。
もう8歳を過ぎた。
いつまで一緒に居てくれるかなぁ。
出来るだけ長く、このあったかい白い子豚と楽しい時間が過ごせますように。
「1000smiles」の動画が完成しました
だんだん日差しが強くなってきましたが、みなさまいかがお過ごしですか?
19日に無事フランスより帰国致しました。なんせ20年ぶりの海外旅行!それなのに無謀にも個人旅行の一人旅。フランス語、話せません。英語は中学生レベルで止まっています。行く前にかなり下調べをしましたが、やっぱりいろんな「こんなはずでは!!」という出来事に見舞われて相当な珍道中となりました。また少しずつ旅日記は書いていきますので、さかのぼってご覧になって下さいね。
さて、少し前の3月のことになります。
震災が起きて私自身もいろいろなことを考える中で、ツィッターのリツィートを偶然目にしたことをきっかけに「1000smiles」プロジェクトの存在を知りました。写真家の川野恭子さんと山本まりこさんのお二人が発起人となって始まった「1000smiles」。これはお二人のHPをご覧になっていただき、この「1000smiles」プロジェクトがどういう経緯で生まれたのかを是非知っていただきたいです。
お二人の想い、そしてその想いの温度感に私自身大変感銘を受けました。
そして「私に音楽で何か携わらせていただけないでしょうか?」とメールを送らせて頂きました。
たくさんの折り鶴達でリレーしていくこの「1000smiles」を是非多くの方にご覧になっていただきたいです。お友達にも勧めていただければ幸いです。
想いで人は救えるのでしょうか?
過去に私は想いによって救われ、そして今幸せをたくさん感じることが出来る自分にもう一度生まれ変わることが出来ました。
人は自分一人では変われません。だけど誰かの想いの力で、絶望した人生をも変えることが出来る。もう一度だけ、もうちょっとだけ頑張ろうと思えた時、そこには必ず誰かの想いが自分の中に力をくれているのだと私は思っています。
毎日が少しでも幸せな方向を向いて過ごせますように。
最後にこの「1000smiles」の発起人である写真家の川野恭子さん、山本まりこさん、あたたかい鶴達をお寄せ下さった方々、素晴らしい曲を提供されたおつかれ〜ずの皆様にお礼申し上げます。
リツィートでご縁を下さった加奈ちゃん、本当にどうもありがとう!
川野恭子さんブログ
http://camera.na-watashi.com/
山本まりこさんブログ
http://blog.marikoyamamoto.com/?eid=1042900
2011年05月20日
昨日の午後に日本に帰って来て一日が経った。
フランスに行った時は時差ぼけで3日ぐらい身体がついていけなかったので、帰国してからもしばらくは体調がちょっと悪くなるだろうなぁと思ったら、こちらは全く時差ぼけもなく日本時間にすんなり入れている。帰国の分は一日が短くなるので、昨夜たっぷり眠ったらそれで日本時間のサイクルに戻れたみたいなのだ。
また日常に戻ったのだ。
今日までお休みなのでスーパーに食料品などを買い出しに行く。
今晩のメニューはムニエル。
今回の旅で唯一食べたかったがとうとう最後までムニエルに出会えなかった。
結局、「食べたいものは自分で作る」のがいいということなのだろう。
これも「旅の教え」ということにしよう。
そうですね。
そうしますね。
うんうん、美味しいわね。
それなりに自分で作ったものは自分の好みの味だしね。
こうして自分で作ったいつものムニエルを食したのであった。
2011年05月18日
今日は旅もいよいよ終盤、フランスを出国する日なのだ。
午後2時25分発のTGVに乗ってエクスアンプロバンスから空港に向かい、6時過ぎに空港に着いてから20時の飛行機で日本に発つので、今日は観光はなく移動だけで一日がかりになる。
11時にホテルをチェックアウトして、まずはタクシーで駅に向かう。14時台の列車なんだから早すぎるかなとは思ったが、駅に着いてからブラブラして過ごせばいいかと思ったら、TGVのプロバンス駅は駅しかない何にもない所だった。
まぁ、遅れるよりいいか。
待ち合いの椅子に座って時間をつぶすことにした。
ここまでの旅は危なっかしいながらもなんとか大きなトラブルにならずに済んできた。後は無事に空港に到着をして帰りの飛行機に乗るだけ。いつも詰めが甘い私なので、ここで「頑張ろう!」とあらためて自分自身に言い聞かせる。
列車の中や駅構内では割とワンちゃんを見かけた。こちらではケージに入れることなく、リードで散歩をするのと同じ状態で犬を連れていられるので、臆することなく犬がトコトコ歩いていたりする。日本でもどこでも、私は外で犬を見るとダンボのことを思い出す。ダンボに会いたいなぁ。もうすぐ会えるよ、ダンボ。なんてことを思いながら電車のチケットを何度も確認して眺める。
2時近くになってようやく私が乗る前後の列車が電光掲示板に表示され始めたので、確認に行った。まさかこんなに早く駅に着いて乗り遅れたりしたら本当に自分のことがイヤになる。そんな失敗はしないぞ。ここはしっかり行こう。
だが・・・・、電光掲示板に表示された自分の乗る列車の情報がちょっとおかしい。
時刻はチケット通りなのだが列車番号がチケットにある「5019」ではない。こういう場合はどうしたらいいんだろう。列車情報を更に細かく見てみると、14時25分発のTGVは8両編成でやって来るとある。ホワイ、何故?私の席は16号車、それじゃあ私はどうしたらいいのでしょう。
よくわからないので取りあえずホームで電車待ちをしていたペネロペクルス風美女に尋ねてみたら、親切に一緒に駅員さんのところに尋ねに行ってくれた。結局駅員さんが言うには、どこの号車でもいいから乗っていいですよということだった。8両編成の電車に16両編成分のお客が乗っても大丈夫なのでしょうか。で、これは別の列車ですがちゃんと空港に行くんでしょうか。
はっきりした答えが得られないうちに14時25分発の列車はやってきて、あんなに早く駅に着いたのに最後は遅刻ギリギリの気分で乗り込んだのだった。
電車に乗ったはいいが落ち着かない。
だって私の席はないのだ。
本当はあったのに。
ちゃんとお金も払ってあるのに。
席がない。
今座っている席は誰かが乗って来たら立たなくちゃいけない。
そして実際に途中の駅で「僕の席です」という人が現れて何か悪いことでもしたかのように気まずく席を立ち、空いている席を見つけて座ったものの駅に着く度に「この席も追われるかもしれない」と落ち着かないまま過ごしたのであった。
そして移動時間は過ぎて。
パリ・リヨン駅を過ぎたら次が私の降りるシャルル・ドゴール空港。
次だわ。
パリ・リヨン駅を列車が出発すると降りる用意を始めてふと腕時計を見た。
すると。
時刻は18時5分をまわったところではないか。チケットを見直してみた。そこにはシャルル・ドゴール空港到着時刻が18時5分と書いてあった。
外を今列車が出たばかりの駅のホームが流れていく。
待ってーーーー。
私の降りる駅はここだったみたいです。
今、確かにパリ・リヨン駅だったと思ったのに・・・・。
オロオロしながら車内で目が合った乗客に「空港は今の駅でしたか?」と尋ねたら、「次ですよ」と答えてくれた。電車が遅延しただけのことだったのだが、何のアナウンスもないので思わず混乱したのだ。よかった。よかった。私にはまだ帰れるチャンスが戻ってきたってことね。というか、帰れなかったらまずい。
空港駅に着いてそこから私の乗る第一ターミナルまでが少し距離があるという前情報を元に、ひたすら案内板を見ながら第一ターミナルを目指して移動をする。案内通りにエスカレーターに乗ったり下りたり乗ったり下りたりして、気づいたら駅のホームに立っていた。
そこに電車がやってきた。
何故、電車を下りたのにまた私は電車のホームに私は居るのだ。
ここはどこ。
ここでまたうろたえる。
近くに居た人に、この電車は何なんですかと尋ねたら第一ターミナルに行く電車なのだと教えてくれた。またもや百聞は一見にしかず。空港の第二だか第三ターミナルと第一ターミナルの間は電車が走っていてそれに乗って移動するということを知った。
はふぅ〜っ。ちかれたび。
こんなにギリギリになってなおヒヤヒヤすることにばかり遭っている。もうちょっと旅が終わることで感傷的になるのかと思っていたが、ちゃんと帰れますようにとお祈りばかりしている一日だった。
7時近いのにまだ外は夕日がまぶしく差している。
電車の窓から夕日を眺めながら、あともうちょっとでドタバタだった一人旅も完結するんだなぁと思った。
そしていよいよ帰国の路へ。
飛行機は全日空機。なので機内に入った瞬間日本語が飛び交っていた。後は日本に連れて行ってもらえるだろう。そう思うとホっと安心をした。
楽しい旅だった。
メルシー!オールヴォワール!
ありがと、さよなら。
また来るね。
ようやく寂しいなという気持ちが沸いてきた。
そして定刻の20時、飛行機はまだ明るいパリを後に日本へと飛び立ったのであった。
2011年05月17日
昨日は自転車を借りることが出来なかったが、今日は朝にはあるということだったので、昼前にフロントに行った。
「ボンジュール!」
自転車はもう届いていますかと女将に尋ねたら「ええ、ちょっと待ってね」と言ってそれからどこかに電話を掛けている。優しい綺麗な女性なのだが、その電話の相手にだんだん強い口調になって最後はあきらかに怒っている様子だった。
電話を切ると女将は言った。
「ごめんなさいね。自転車は届けてもらえないから街にあるお店まで取りに行っていただけないかしら」
えぇええええ。
今日も自転車はないんですか。
多分、自転車のレンタルの店がズボラなんだろう。明日だったら行けると昨日は言っておいてそして今日はそのまますっぽかしたと思われる。しょうがない。これが「日本ではない」ということなのだ。
そうして結局私はタクシーで街に出ることになったのだった。
自転車の件ではガッカリしたが、かわりに街に行けば「円を両替してくれる両替所」があると女将に教えてもらったので、気分が晴れやかだ。どっちみち今日じゅうには街に行っておかなければならなかった。
プロバンスの街は噴水があちこちにある。青い空が似合うまぶしい日差しで高いビルなどはないが人で賑わっていて、私にとってこの密度感は丁度いい。両替所で両替を済ませたあと念の為にクレジットカードでキャッシングをしてから自転車のレンタル店に向かった。
(スムージーメーカーをよく見かけました。美味しかったです)
(仏像好きフランス人も居る)
少し人気が少ない細い路地に入って歩く。
しばらく行くと、鼻歌を歌いながら自転車の蛇行運転をするドレッドヘアの危なそうな男の人とすれ違う。
またしばらく行くと店を見つけた。
ここかな?
確認をしていたら声を掛けられた。さっきのドレッド男だ。
ドレッド男は「自転車を借りに来たんだよね」と言って店の鍵を開けて、そうして中に私を入れてくれた。この人が自転車レンタルの店主だったのだ。そして私が来ることを知っていながら鍵を締めて昼ご飯を食べに行こうと出かけたところで私とすれ違ったので戻ってきてくれたのだが、あやうく店が閉まっている状況になるところだった。セーフなのだ。
そしてようやく自転車を借りて街をまわることとなったのだった。
フランスでは自転車は車と同じ。車と同じ右側通行で車道を走る。日本も自転車は車両の一種で左側通行をしないといけないのだが、街では守っている様子もなく野放し状態。だがフランスでは一方通行も厳守なので厳しいルールの中で自転車は走っている。
途中でmacの店の前を通る。日本の店舗とは違ってこじんまりとしてブティックの様な外観。だがi-pad2のポスターはちゃんと貼ってある。確かにmacのプロバンス店なのだろう。
坂道を登ってセザンヌのアトリエで持ってきた岡本太郎氏の本を読む。観光地になってはいるけれど、なんだかとても和む。建物の感じや庭のちょうどいい草木の自然な感じが、私の好きな温度感だったので外のガーデンチェアで結構長く過ごしたように思う。鳥のさえずる声と緑が気持ちよかった。
今日でフランスも最後の夜。
たくさんの景色を見ることが出来た。早かったなぁ。名残り惜しいがまた来ればいい。「ボンジュール」「ボンソワール」「メルシー」。言葉はほとんど話せなかったが覚えた言葉はとっても自然に口にすることが出来るようになっていた。
ホテルに帰る前に「サーモン専門店」を見つけた。
「ムニエル!」
反射的にムニエルに惹かれて店の前に行ったが、そこはスモークサーモン専門店であった。
カフェではどの店も相変わらず人が入っている。
アコーディオン弾きのおじさんがフラっとやって来て噴水の広場で演奏を始めたら、ものすごく上手かった。
冒険は今日まで。
明日は帰り支度の日。
2011年05月16日
ボンジュール!
10日からフランスに滞在しています。フランスはもちろん、英語もダメなのに無謀にも一人旅決行中です。事前にかなり準備と勉強をしたのだけど、まぁ自分でも驚くほど失敗だらけの珍道中になっていますが、なんとか過ごせています。
帰ったらまた珍道中日記をアップしますが、写真にてフェイスブックで旅の景色を少しずつアップしていますので、よければご覧くださいね(^O^)/
miki yoshikawaで検索して頂くとヒットするかと思います。
2011年05月16日
プロバンスのホテルは街からうんと離れた場所にあるので、残った2日間は何にもしないボーっとした時間にしようと昨夜は思っていたのだが・・・。
朝起きたら天気がいいのでやっぱり出かけたくなった。
とはいうものの、このホテルは車を持っている人達が休暇でやって来るようなところらしく、車がない私の方が浮いている感じがする。みんな車がある人達なので送迎バスみたいなものもない。山を下りてもバス停はそこからまた少し歩かないとない。
車がないと不便なのだ。
せめて自転車でも借りれたらなぁ。
試しにフロントに行って聞いてみることにしたのだった。
相変わらずフランス語も英語も幼児レベル以下だが、ジェスチャーがだいぶ言葉代わりになってくれているようで、自転車って借りれたりするのでしょうかという質問も上手く伝わったようだった。ホテルの女将さんが言うには、ホテルでは貸し出しをやっていないけれど街のレンタル自転車屋さんから借りることが出来るということで、選択肢としては「タクシーで街まで行って直接店に自転車を借りに行く」か「ホテルまで自転車を持って来てもらう」かのどちらかが選べるということだった。
結局「ホテルまで持って来てもらう」方を選び女将さんからは「じゃぁ、自転車屋さんに電話をして今から来てもらうよう伝えておくから、お部屋にいらしてください。自転車が届いたらお部屋にお電話しますね」と言ってもらってそれで部屋で待つことにした。
それから30分が過ぎ、1時間が過ぎ・・・・。
遅いなぁ。
いやいや、日本に居るときのような時間厳守的な発想はやめよう。フランス人だからお昼休憩は休むのかもしれない。「すぐに」「今から」というのは「お昼休憩」はカウントされないんだと思うことにして、もうしばらく電話を待つことにした。
そうして1時半になり・・・。
すぐにと言ってから3時間ぐらいになるのだが、その後どうなったんだろう。もしかしたら自転車はもうずいぶん前に届いているのではないか。だったら少しでも早くフロントに取りに行った方がいいだろう。と、フロントに自転車が届いたかどうか尋ねに行くことにしたのだった。
「ボンジュ〜ル」
さっきの女将さんが居たので、自転車の件を尋ねたらなんと女将さん、「自転車は今日は来なくなったんですよ。明日の朝に届きます」と笑顔で話すのであった。
え!それは笑顔で話すことなのですか。
というか何故その電話をしてくれないのですか。
ここは日本ではないのだ。このアバウトな感じにカリカリしちゃいかん。自転車は明日の朝には来ているのだからもうこのことについては忘れよう。待ちぼうけの時間がとてももったいなかったと感じたが仕方が無い。近くに大型ショッピングセンターがあって今日はそこが開いているので、せめてショッッピングセンターのカルフールに行って来よう。
こうしてまた、i-phoneの地図をお供にトボトボと山をおりて歩いてカルフールに向かったのだった。これは、”東京に観光に来たが、借りる予定のレンタカーが店に行ったら全て出払っていて、しょうがないのでそこから歩いていける「西友」に東京に来た記念として買い物に行く」というようなもので、旅としてはおかしな行程だと思う。こんなとき、つくづく一人旅でよかったなと思うのであった。
i-phoneをお供に歩いたら結局、行き止まりで行けなくなり、所要時間の3倍はかかってようやくカルフールスーパーに到着した。i-phoneは頼りにしたい時ほど私に修行の場を設けているように思うのだ。音声翻訳変換ソフトも2つ入れていたにもかかわらず、いざ使おうと思って話しかけたら延々「識別中」のままだったり「識別出来ませんでした」だったりとちっとも役に立ってくれていないのだ。旅の供としてはやっぱり機械はあかん。そう思う。
カルフールは日本にも数年前まであった大型スーパーで、日本にやってきた頃は店員さんがローラースケートか何かを履いて店内を移動しているというのがずいぶん話題になった店だ。ここでマクドナルドに入る。フランスに来てから何度か目にしている光景なのだが、こっちの人はまだレジでお金を払っていない品物をつまみ食いしたりしている。バナナを食べながら歩いている人も居たし、クッキーを食べている人もいて、ここマクドナルドでも私の前に並んでいたカップルがハンバーガーが出来上がるまでにポテトを食べていた。別に悪いことではないらしい。
カルフールから帰ったら今日は!今日こそは!
ホテルでムニエルを食べよう。ムニエルがなかったとしても魚料理は何かしらあるだろう。そうしてホテルに戻ったらディナータイムに合わせてレストランに行ったのだった。
しかし。
結果から言えば今日も私はムニエルに出会えなかった。
何故かコースの選択肢は肉料理もしくはニョッキで魚料理は一品料理もなかったのだった。肉料理は骨付きのラムか何かでどうも気が進まずにニョッキを選ぶしかなくなり、またしても「フランスに来たんだからイタリア料理は食べない」と決めていたのにイタリアンなチョイスをしていたのだった。
もうムニエルはないよね。
恐らくこのまま日本に帰って杉並の自宅でムニエルを食べることになるのであろう。
旅もあと残す所わずかとなってきた。
ところで、そろそろ両替をしないとユーロがないんですけれど。
フロントに行って旦那さんに両替のことを尋ねに行くと、ホテルでは円からユーロへの両替はやっていないとのことだった。じゃぁ街に行けば両替所はありますかと尋ねたのだがこれがまた不安なことに「さぁ、円はやっているかどうか・・・」という返事でムニエルどころか現金がないことが悩みの種となる。こちらのタクシーはカードが使えないので、現金支払いでないとダメなのだ。ところがホテルをチェックアウトして列車の駅までのタクシー代が結構かかる。この分のユーロが足りないと思われるのだ。
i-phoneで調べたが、プロバンスの街に両替所があるという情報に全然出会えない。そうだわよね。これだけ日本に海外から観光客が来ているというのに、浜田山駅には「exchange」と看板が出ている店なんてないし、吉祥寺にも阿佐ヶ谷にも高円寺にもないんだから、パリであんなに見かけた「両替所」がプロバンスにないということは事前に考えておかなきゃいけなかった。
お金、ないんだわ。私。
帰れるのかしら。
急にとっても不安になってきた。
調べても調べても両替所情報に行き着かず、半泣きになっていたが・・・・・。最後は眠くなってほとほと疲れたことで、もういっか。と急にレットイットビーな気分に覆われてきてそして寝ることにしたのであった。
2011年05月15日
朝、グルノーブルを出発する前に生方さんがグルノーブルの朝市を案内してくれた。
野菜や果物、ソーセージからお花まで、丁度日本で言えば”縁日の屋台”のように店が出ている。地元の人達が普段の生活食材を調達していて、生方さんも行きつけの店があるのだそうだ。歩きながら店の人と挨拶をかわしたりしている。ここでは私は美味しそうなチェリーを買った。
グルノーブルのマルシェの次に、アラブ人の朝市を案内してもらう。
ここは日用品から洋服、貴金属や雑貨小物、骨董品に布地もあって、フリーマーケットの会場のよう。たくさんのお客さんが来ていた。
今日は昨日とは変わって天気がいい。グルノーブルはアルプスに近く街の景色も「フランス」というより「スイス」のイメージ。一昨日まではすごく暑かったそうだが、今日は日本の11月のようなひんやりとした澄んだ空気だった。
朝市を楽しんだ後、駅へ向かう。
道中、今回のこれまでのドタバタな旅の話を生方さんに聞いてもらう。すると生方さん曰く、それでも私の旅は何事もなく順調な方で、”乗るはずの列車”が、今日は走らなくなって電車のかわりにバスが走ることになったりすることもよくあることらしい。
もしも日本でそんなことがあったら大変な事件だ。
早めに駅に着いたのでカフェでお茶をする。たった一日だけのグルノーブルだったがとても思い出深い時間になった。思えば今回の旅は”どこか海外旅行に行きたい”という漠然とした気持ちがスタートだった。ツィッターで「杖の一人旅でも大丈夫な街はありますか」とつぶやいたところ、グルノーブルは人が親切であることを生方さんが教えてくれてそれで急に「行ってみたい!」と興味を抱いたフランスなのだった。
来てよかった。名残惜しいです。
いいや、また来ればいいんだわ。
そうして電車の時刻も迫って来たのでグルノーブルを後にするべく改札へと向かうのであった。
ところで、どのホームに行けばいいんでしょうか。
”何番ホーム”を意味するアルファベットのホームをさっきから探しているのだが、それがないのだ。どこのホームなんだろう。
と、思っていたら「もしかしたら!」と生方さんが声を上げて急いで駅員さんに何かを聞きに行ってくれたのだった。
まさかのまさか。
さっき話に聞いた「乗るはずの電車が走らないことになってかわりにバスがその区間を走る」ケースなのだった。
出発まで何分。急げ急げ。バスってバスって、どこから出ているの。
驚いた。一人だったら機転は利かなかった。そのまま駅で電車を待ち、電車はもちろん代わりのバスにも乗れず、移動手段を失ってこれまた半泣きになって途方に暮れていたはずだ。
楽しかったグルノーブルでの一日。生方さん、ありがとう。
無事に代替バスに乗って、今日の行き先エクスアンプロバンスの途中駅、Valenceへと向かったのであった。
ヴァランス駅からはマルセイユ経由になる。いつからか外の景色のたまにポツっと見える集落が南仏独特のオレンジがかった壁と屋根の家並に変わっていた。
マルセイユ経由でプロバンスに到着したのは時刻で言えば夕方。だが今は日が長い時期なのでまだ1時過ぎぐらいなのかなと思うような日差しだ。ここから今日から泊まるホテルにタクシーで向かったのだった。
フランス旅ももう後半となり、到着してから続いていた時差ボケもようやく落ち着いて体調的にも身軽になってきた。ホテルは思っていた以上に駅から遠く、しかも最後は山道をのぼった所にあるが、敷地内にレストランやプールもあるホテルだから食事はもう街に出ずにここで取ればいい。
そうだ、今日こそムニエルを食べよう。
ホテルの階段の所に張ってあるレストランの写真には、私が食べたかったような白身魚のポワレなどの洋食メニューが写真で載っていた。
よ〜し。
今日はレストランで美味しいものを食べるぞ。
そうしてとてもウキウキしながらレストランに向かったのであった。
「ボンジュ〜ル」
もうレストランは開いていますか。
そう尋ねたのだが・・・・・。
なんと。レストランにコックさんとウエイターの男の子は居たのだが、どうも困った様子で私に何かを話している。わかりやすく説明をしてもらうと、今日は日曜日なのでレストランも休みだということだった。その時にフランスでは日曜日は店が休みになることが多いということを思い出したが、それがホテルに泊まっていても同じだったとは思いもしなかった。だから今日はムニエルどころかコーヒーしか出してもらえないということなのだ。
ニッコリ笑って明日は開いていますと言われたが・・・・。
うむむむむむぅうううううーーーーーー。
私はお腹が空きました。今回の私は修行や断食の旅ではなく、ひたすら「ゆる〜いいい加減な旅」がしたかったのです。ある意味、食べ物にありつけないというのは「ゆる〜いいい加減な旅」とも言えるが、今日こそはムニエルがあると自信さえ持っていただけにレストランも休み、売店などもないと知ってガックリ来たのだった。
およよ。
およよーーーーーーー。
しばらく部屋に戻ってジっとしていたが、あめちゃんを食べて空腹をしのぐと思うと急に侘しくなってきた。そうして私は一人歩いて山をおり、知らない道をひたすら歩きその後小さな商店街まで1時間ぐらい歩き続けたのであった。
そこで一軒だけ開いていた洋菓子店でシュークリームを買った。
本日の夕飯はシュークリームだった。
”夕飯にシュークリーム”はやっぱり違和感があった。
食べながら<どうして夕飯がシュークリーム?>と自問した。
かつてマリーアントワネットが「食べ物がなければ、ケーキを食べればいいじゃない」と言ったその言葉を思い出したのであった。
2011年05月14日
今日はパリからグルノーブルに移動をする。今日はライブに参加させてもらうので、いつものような失敗は出来ない。まずは列車に乗り損ねることのないよう1時間早めにホテルを出てパリ・リヨン駅に向かった。
ここから「TGV」という日本でいう新幹線に乗るのだが、ここパリ・リヨン駅は構内が広くまたチケットなど改札のシステムが日本とは違うということで、勝手がわからず苦戦した日本人旅行者は多いみたいなのだ。
フランスに来る前に、私も旅のブログを書いている人達の文章で注意点などをチェックしていたが、百聞は一見にしかずとは本当にこのことで、今のところ全てのことにおいて実際に経験してみてやっと書いてあったことが理解出来たという後追い状態になっている。
実際に駅に着くとやはり何かしらわからないことが浮上してくる。つたない言葉と親切に教えてくれる人達のおかげで、第一関門であった「乗る予定の列車に無事に乗ること」が出来た。
数日前に魔女と交渉して手に入れた席はclass1の席。魔女がくれたわけでもなく私がクレジットカードで買ったただの高いチケットなのだが、グリーン車的乗り心地で電源の差し込み口までついていて椅子もフカフカで気持ちがいい。
ところで。
今日私はグルノーブルに行くのですが・・・・。
事前にわかっていたのは、東日本大震災支援チャリティライブに生方さんと一緒に出るということだけ、場所も時間もそれから生方さんと2人だけなのかバンド構成なのかも全く知らないのだ。山の上の方に行くとだけ会話の中で知ったので、自分の頭の中でつたない山の絵が浮かびそこに小屋があるのを想像してみたりする。
だが。
実はTGVに乗ってから、モヤモヤが私の心をうす~く覆っている。
というのも、パリに来てまもなくに一度連絡をし合って以降、生方さんと連絡がつかなくなっているのだ。
どうしちゃったんだろう。
もう向かっているんですけど。
列車の到着時刻も連絡したんだけどなぁ。
駅に着いたら待っていればいいのかしら。
TGVに乗ってからもメールしてみたが返事がないまま、グルノーブルに近づいていきいよいよ不安になってきたのだ。
しばらく暗かった。
暗かったが。
ようやく「ま、会えなかったらその時はしょうがないか」と気持ちの整理をつけ始めた頃に生方さんから電話があった。どうも私からのメールは紛れてしまっていたらしい、加えて私は私でfacebookを通じてもらっていたメールに気づいていなかったとその電話で知ったのだった。
ホっ。
ヒヤヒヤのあとに幸せはやって来る。
よかった。よかったのだ。
グルノーブル着。
ホームに生方さんが迎えに来てくれた。生方さんとは多分15年ぶりぐらいになるのだと思う。私にとっては大先輩の音楽家なのだが、温厚な人柄な方なので緊張せずにいられる方なのだ。最近は楽器は「テルミン」を弾かれることが多いみたいで、ピアノパートは今日は私が演奏させていただく。ということで、ちょっとピリっと緊張する。相変わらず今日はどこで誰と何時から演奏をするのか知らないが、ホテルにチェックインしたあとで生方さんのフランスの友人パスカルさんの車で「どこか」に向かって移動をした。
今日はフランスに来て以来初めての雨。
車窓からは田園風景もなくなり高い山が見える私の抱いていた「フランス」とは全く違う風景だ。
山を登っていく時の景色は六甲に似ている。少し離れた山の中腹に古城が見えていた。
グルノーブルから30分程走った山の上の方の小さなホールが今日の会場で、今日は4月から開催されていたグルノーブル日仏協会主催の東日本大震災支援チャリティコンサートの最終日だということをようやく知ったのだった。そして出演はグルノーブル在住の日本人の音楽家の方々、最終回の今日と偶然旅行の日程が合ったということで私もお仲間に入れてもらってのコンサートとなったのだった。
お琴のSちゃんにピアノのKさん、バイオリンのYさん。それに車でここまで連れてきて下さったパスカルさんの奥さんもみんな日本人。みなさんご縁があって今はフランスで暮らしているのだそうだ。
そんな選択肢についてはこれまで私は思いもつかなかった。
例え思いついたとしても行動には移せなかったと思う。
すごいなぁ。素敵だなぁ。
生方さんとのライブは生方さんと私とのユニット形式。テルミンとのコラボは初めてだが音程がフワフワした自在な楽器とのセッションは個人的に好きなものだった。それに生方さんの曲は聴いた時はシンプルな印象があるのだが、演奏がやけに難しい。普通のコード進行やラインに行かないのでコードネームがつかない小節が結構ある。演奏中はだから気が抜けずとても難しかったが、独特の世界観がある生方さんの曲を私はとても好きになった。
コンサートが終わるとパスカルさんの家でのホームパーティにそのまま私も参加をした。
実は今日コンサートをした場所と、そこから近いこのパスカルさんの家のある此処がどこなのか、まだ知らない。グルノーブルから車で30分ぐらい山を上がった辺り。生方さん以外はみな初対面の人ばかり20名程の中に混ざって、キッチンでお手伝いをしたりお料理を食べたり笑ったりしている私は一体誰なのだ。自称人見知りの私はどこへ行った。
フランスに来て「美味しいもの」にありつけていなかったが今日は久しぶりに「美味しいもの」を一杯いただいた。
友達も出来た。
思っていた一日とは全然違っていた。
一昨日は「野宿することになるかも」と焦り、今日は今日でパリからの移動中のTGVでは生方さんと連絡が取れないことで、「グルノーブルに着いても誰とも会えないかも」と暗くなっていた。
知らない景色も旅の素晴らしい思い出になるが、やはりそこに人との出会いがあればもっともっと素晴らしい思い出になるのだとしみじみ思った。
ところで。
此処は何と言う地名なんだろう。
ここ、どこ。
結局知らないままなのだが・・・・。
ま、いいか。
他でヒヤヒヤ緊張している旅だから、アバウトで構わないところは思いっきりアバウトなままでいいのだ。