月別アーカイブ : 2008年11月

投稿日:2008年11月30日

2008年11月30日

今日で新幹線の初代0系の定期運行が終わるのだそうだ。あとは12月に臨時運行があるのみ。大阪駅には0系を見おさめようと集まった人達がニュースで映されていた。
「びゅわーん、びゅわーん、は、し、るー」
「青いひかりの超とっきゅう〜」
子供の頃、妹がよく歌っていたっけ。
東京のおばあちゃん家に行く時に乗ったのが新幹線。ある年は夏休み、ある年は春休み。学校が休みになると母と妹と3人で1週間ぐらい練馬の祖母の家に行っていたので、毎年一年のうちのどこかで新幹線に乗ってはいたと思う。
山崎駅からJRで京都駅に出る。通路を渡って新幹線のホームに上がると、しばらくすると向こうの方から新幹線がホームに入って来る。
「わー。速そう」
座席がみんな前向きになっている所が、いかにもかっこいい「特急」で、その椅子に座ってお出掛けを今からするだなんて、当時は贅沢な感じがしたのだ。
「ビュッフェ」という響きも他で聞かない言葉で、特別な感じがした。
車内販売のアイスクリームを買ってもらって食べながら、大人になったら「ビュッフェ」に行ってみたいなと、あこがれたのだ。
東京駅に近くなったところで、新幹線が減速をする。その辺で右を向くと銀座の不二家が見えてきて、「タンタタンタタンタタンタ」とオルゴール音楽が聞こえてきたらもう駅に到着だ。
「びゅわーん、びゅわーん、びゅわーん」
「走れー」
乗ったら座っているだけで、遠くに住むおばあちゃんに会いに行けた。
東京ってビルや家がぎゅうぎゅうにあるんだなぁと驚いた。
夢の超特急、0系新幹線。
私にとっては何でも追い越して行く無敵の電車だった。
同じレールを走りながら、周りの景色もたくさん変わったね。
ありがとう。
長い間、おつかれさまでした。


投稿日:2008年11月29日

2008年11月29日

大久保のスタジオで西川峰子さんのレコーディング。
大久保のON AIRスタジオは、随分前に来て以来なので久しぶりだ。最後に来たのは「愛を守る嘘」のレコーディング。一番最初はオープン当初に来たことがあったと思う。
ここはスタジオのコントロールルームからも、外の景色が見える。レコーディングスタジオは、窓のない所がほとんどなので、外の景色が見えるのはやっぱり閉塞感がなくて気持ちがいい。
今日の天気は晴れ。
前半はデータの流し込み作業などオケの録音、夕方からは歌録りに入る。
本日もとてもスムーズにいい歌が録音出来た。
峰子さんも歌うのが楽しいと言って下さったので、そういう良い気、迷いのない気持ちが歌に寄り添っているとその歌はきっとより生き生きとすると思う。
峰子さんが帰られて、エンジニアの方の作業タイムとなって、待っている時間に少しスタジオの外に出てみた。
すぐ近くが新宿なのに、思ったより静かだ。
もうすぐ12月とは思えない、風のあたたかい夜だった。


投稿日:2008年11月28日

2008年11月28日

クリスマスイルミネーションの飾りつけをする家が増えた。
バス通りにある「年中クリスマスイルミネーションの家」は、もうイルミネーションブームが終わったようで、この時期になっても夏と変わらない。いいや、むしろあれから切れた電球の分だけチカチカが減ったかもしれない。とにかくすっかりここのお家のイルミネーションは中途半端になってしまったのだ。
だが、かわりにスーパー近くにあるイルミネーションの館は、年々パワーアップしてきている。
程よい感じってどういう感じ。
こういうのってなかなか数値に出来ないが、私の中での判断基準としては、「レストランかな?」と間違える辺りがボーダーラインであろう。
「何の店なんだろう?」と不思議に思ったら、もうその家のイルミネーションが私にはtoo muchに映っているのだと思う。
スーパー近くのイルミネーションの家は、今や電飾だけでなく手作りの看板みたいなのも立て、その上花も所狭しと飾っている。しかしそれらはビッシリと詰められていて、綺麗というより「出したら片付けなさい!」と言った方がいいぐらい散らかった様子になっているのだった。
イルミネーションは「あたたかい」イメージなのだが・・・やりすぎると、暑苦しくなる。
私の家の近辺は一軒たりともイルミネーションの飾りつけをしている家がない。それどころか門灯がついている家自体が何故か少ないのだ。
そうね。私も切れた門灯の電球をそろそろつけかえなくっちゃ。
「年中クリスマス」の家があれば、年中「夏休み」の家もある。
お隣りもお向かいも、まだ朝顔の鉢。
あぁ、私の家にもありますよ。
角っこの二軒の家では、今日も「チリンチリン」と風鈴が鳴っているのであった。


投稿日:2008年11月27日

2008年11月27日

麻布のスタジオで、午後からはホーンセクションの録音でその後は西川峰子さんの歌入れがある。
麻布はレコーディングスタジオがいくつかあるのだが、レコーディングで来る以外には機会がないので、この辺りも久しぶりだ。
”そうそう、こんな景色だったなぁ”
麻布方面に向かう道で、ようやく記憶にある建物や交差点と繋がった。
”あっ”
そう言えば、私は以前この辺りの交差点で「小林稔侍」を見たんだった。
テレビではその頃、少し情けないオヤジ役どころが多かったので、電車の中で見掛けても違和感なくくたびれた感じで吊り皮につかまって居そうなイメージを抱いていたが、本物の「稔侍」はスラっと背が高くパリっとスーツを着こなして颯爽と歩くとっても素敵なおじさまなのであった。
ヨレヨレのスーツで猫背気味に歩いていると思ったら全然違っていた。
”か、かっこいい!”
交差点で信号待ちの時に見掛けて、信号が変わって渡り終える頃には稔侍にすっかり夢中になっていたのだ。
吸い寄せられるように、交差点を稔侍の歩幅に合わせて後をつけたような気がする。
稔侍、待って〜。
あぁ、そうよ。
そんなことがあったんだわ。
「丁度、この辺!」
私が思わず叫ぶと、車の運転をしていたY氏も「そう!」と突然叫んだ。
「え?」
「稔侍でしょ。ボクも丁度思い出していたんだよ。」
「え!あの時って一緒に居ました?」
稔侍しか見えて居なかったので、私の記憶からはY氏が消えていた。だが、Y氏曰くその日もレコーディングだったからその辺りを歩いていたということだった。
当たり前なのだが、稔侍は今日は居なかった。
でも
また、レコーディングで来れて嬉しい。
上石さんのホーンアレンジがすごくかっこいい。ホーンセクションは上石さんがディレクションをしてくれたので、安心してお任せ出来るので作業もスムーズに進み、仮で自分が弾いていたシンセブラスから大進化した。すごくいい形にして頂いたのだ。
峰子さんの歌も出足からすごくよかった。
とてもいいオーケーテイクが録音が出来たと思う。
東京タワーが近くに瞬いていた。
歌録りは大好きだ。
歌録りに携わっていると、ふと私の音楽観はここに集約されているのかなぁと感じたりする。自分でも不思議なぐらいジャッジの軸がブレないからだ。
一年のうちでも数少ない、自分が最も得意としていることに携われた充実感のある日だった。


投稿日:2008年11月26日

2008年11月26日

明日からレコーディングが続くので、スタジオに持って行くOKデータの最終チェックと打ち込みの残りの作業をして一日が過ぎた。
ヘッドフォンがボロボロになっているので、新しいのを買わなきゃなぁといつも思う。だがヘッドフォンを外したらもうそれでそのことを忘れてしまっているので、「新しいのを買わなくちゃ」ともう3年ぐらい思っているんじゃなかろうか。その間にもどんどんヘッドフォンはボロボロになって、今では両側共「sony」と書いたフタが取れ、右側の耳の所の接触も悪くなってしまっているのだった。
いよいよ、さすがにもう買わなくちゃいけないだろう。
この機種はヘッドフォンのスタジオ仕様の定番で、最初の頃は音の違いが全くわからなかったが、今ではこのヘッドフォンの音質が自分のもろもろのジャッジのものさしとなっているので、私の音楽作業の重要な鍵を握っている。
イタチにさんざん噛まれた跡も残っている悲惨なヘッドフォンになってしまった。
お疲れさん。
来月になったら、新しいヘッドフォンに交代出来るようにするから、あとちょっとだけ頑張ってね。
家での作業の時、いつも「独り」だと思っていた。
あぁ、だけどそうじゃなかった。
一番にキミがその音を伝えてくれていた。
一緒に聴いていてくれた。
とてもよくやってくれた。
音を伝える無言の相棒。
このヘッドフォンがいつもそばで支えてくれていたのだった。


投稿日:2008年11月25日

2008年11月25日

夜、冷蔵庫にあったヨーグルトを、「今日で消費期限が切れるから」と、普段食べる分よりかなり多い量を食べた。
この量だと、ヨーグルトだけじゃ飽きちゃうなと、同じく冷蔵庫にあったブルーベリーのソースとブルーベリーの果実を入れ、上にホイップクリームを乗せてちょっとしたデザートにしてみたのだが、あまり多い量を食べると体って冷える。どれも冷凍されていなかったが、食べているうちにだんだんアイスクリームを食べている感覚になってきたのだった。
あらま。ヨーグルトを沢山食べると、ある時点から舌と頭はフローズンヨーグルトを食べている感覚に変わるのだ。
フローズンヨーグルト。
あまり食べる機会に巡り合うことはないが、私が10代の頃に梅田の阪急ファイブにフローズンヨーグルトの店があって、女の子達に大人気だったことを思い出したのだ。
電車に乗って隣り町の高槻に買い物に行くのが、せいぜいのお出掛けだったので、梅田の阪急ファイブなんかに行った時にはそこに来ている女の子達も店もみな洗練されていて、歩くだけでドキドキだった。
フローズンヨーグルト専門店は、あこがれのお洒落な場所だったのだ。
ヨーグルトを大量に食べながら、舌と思考がだんだんマヒをしてきたことで、こんな思わぬ思い出を思い出すとは・・・・。
もう、さすがになくなっているだろうなぁ。
あのフローズンヨーグルトの店。
フローズンヨーグルトは、アイスクリームケーキを同じぐらい食べる機会があまりなくて、だが好きなデザートなのだ。


投稿日:2008年11月24日

2008年11月24日

渋谷駅構内の店達もこの時期はより華やかになるので、つい予定外に吸い込まれてしまうのだ。
今日は雨。
傘が増えるとそれだけで動きが鈍くなる。
京王井の頭線を渋谷で降りると、道玄坂に抜ける一番近い出口がある。道玄坂にあるライブハウスに行く時は、ココから出ると駅からの上り坂分をほぼショートカット出来るので、すごく楽なルートになるのだ。
だが、ここの駅ビルを出たあとに信号まであるちょっとした道の横にあるオブジェのような鏡には、いつも驚かされる。いや、鏡というよりも、厳密には鏡に映った自分の姿に愕然とするということなのだが・・・。
ここの鏡は通路に沿って建っているので、歩きながら顔を向けると自分と目が合うようになっているのだが、照明の角度なのか、照明の色なのか、鏡なのか原因はわからないが、10〜20歳ぐらい自分が老けてみえるというかなりショッキングな映り方をするのだ。
懐中電灯を顔の下からあてると幽霊顔になる。丁度あのようなパターンで、顔色もやや悪く見える。
「えっ、これ私なの?」
ここで私は還暦を迎えた頃の自分の顔に出会ってたまげたのだ。
どの鏡でも見たことのなかった自分の顔だ。
異常なまでに「私、鏡を見るのが嫌いなの」と鏡に映った自分の姿をイヤがる人もいくらかは居るが、私もここの鏡は本当に見るのがイヤになる。
うーーーむ。
行きはいつも見ないのだが、帰りに必ず見てしまう。
年を取るタイムマシン的トンネル。
実サイズより若干小太りで背が低く見えるのも不思議に思っている。


投稿日:2008年11月23日

2008年11月23日

ニュースを見ていたら、渡り鳥のように長距離を移動する蝶々の話題をやっていた。
春から夏にかけては日本列島を北へ、秋になると南下するこの渡り蝶々は「アサギマダラ」という蝶々なのだそうだ。
移動範囲は主に日本と南西諸島、台湾間の行き来で、同じ個体が行って帰る渡り鳥と違うのは、行き来は子供に継ぐ形でなされるらしく、寿命の関係があるのかもしれない。が、それでも海を渡る蝶々である。信じられないのだ。
このアサギマダラを調査している団体の発表では、台湾からそれぞれ鹿児島、滋賀県に渡った個体を確認したということで、一体どんなお化けみたいな蝶々なんだろうと思っていたら、その姿はモスラ風でも何でもない水色と茶色っぽい二色で羽色を作る「綺麗なチョウチョウ」だった。
大きさは4〜6センチ。とても見た目からは長距離を移動出来るような感じはしない。
親から子にバトンを渡し、大移動をするのが彼等の宿命なのか・・・・。
こんなに可憐なフワフワした蝶々なのに?!
飛んで、飛んで、飛んで。
1000km以上もの遥か遠い道程を旅する。
それが生きている証のアサギマダラという蝶々がいるのだ。


投稿日:2008年11月22日

2008年11月22日

来週は西川峰子さんのレコーディングの歌入れがあるので、今はその準備でデータや譜面の整理をしたりする時間が多くなっている。
昔はレコーデイングスタジオに行ってからやっていた作業が、機械が優秀になったおかげで自宅でも出来るようになった。なので今自宅作業をしている音楽仲間は、家で一人でこの作業をしている人がすごく多いのだ。
だが、いくらメカが賢くなろうとも「音を録音する実時間」だけは省くことが出来ない。
この行程は地味ながらもかつてはレコーディングスタジオで誰かと一緒に作業をしている連帯感が持てた。救いはそこだったのに、今では独りマラソン状態で黙々と進めるだけの、より地味な笑いのない暗い作業になったので、友だち間でも”我慢風呂タイム”と表されているのだ。
録音の行程は、ドラムを例えば打ち込みにした時の録音は、一曲分をそれぞれバラバラに録音をするので、ハイハットの「チッチッチッチッチッチッチー」を途中エラーがないかをチェックしながら、4分ぐらいその「チッチッチッチッチッチッチー」を聴いてまず録音をする。それが終わると次はバスドラムの「ドっ。ドドっ。ドっ。ドドっ」を4分聴き続け、それから今度はスネアドラムの「・・・スタン!・・・スタン!」を4分。
家での録音は、音色が変わりつつこれらの作業を数時間することになるので、演奏もせずただ監視するだけって本音を言うとすごーく眠たくなってしまうのだ。ヘッドフォンをかけて一人で聴いていたら、そのうちに「ひつじが一匹、ひつじが二匹・・・」「ヒツジガイッピキ、ヒツジガニヒキ・・・」「hitsujigaippiki,hitsujiganihiki・・・」効果に変わってくるのだった。
今日はよくレコーディングでお世話になっている西司さんにお願いをしていたコーラスデータを頂いた。
毎回本当に素晴らしいコーラスワークに感動するが、今回も圧倒。すごい才能の人だ。
コーヒーで一服よりこういうことでエネルギーって補給されるものなんだ。
「よーし、もうちょっと頑張るぞ」
今日はまた夜になって元気が沸いて来たのであった。


投稿日:2008年11月21日

2008年11月21日

金曜日の夜は「太陽にほえろ」。
毎週楽しみにしていたのに、一度だけ見られなかった回があった。
その日の私は何をしたのかもう忘れてしまったのだが、母にえらく叱られて「出て行きなさい」と追い出されたのだ。男の子でも家から追い出されることなんて、あまり聞かないのだが、とにかく私はやんちゃをして母の怒りを買うことが多かった。
しかし、納屋に入れられたことはあったが、夜に門の外に出されるのは初めて。小学生だったからそりゃぁそん時間に外に出たら心細い。
”追い出されちゃった”
隣りの空き地にしょうがないのでしゃがんでいた。
”おばけ、出ませんように”
”おなか空いたな”
”いつか家に入れるのかな”
”あーあ。”
”こんなはずじゃなかったのにな”
どれぐらいしゃがんでいただろう。近所の足立さんが犬の散歩で、この空き地の前を通り掛かったのだった。足立さんは母より少し年輩のご婦人で、挨拶しかしなかったが、言葉の感じや表情から「優しくて賢いおばちゃん」という印象があった。
夜に空き地の真ん中でしゃがんでいる姿はさぞ滑稽だったと思う。
「みきちゃん、どうしたの」
黙ってうつむいていたら、それ以上のことは何も聞かずにお家に帰りましょうと言って足立さんは私を連れて、家のインターフォンを押してくれたのだった。
「はい」
母が出ると、「みきちゃんが外にいらっしゃったから」と柔らかい口調で足立さんは言った。
「まぁ、すみません」
母は恐縮して慌てて門の所まで出て来た。
足立さんの振る舞いは終始まるで迷子の子供を送り届けたかのように、実に大人なやり方だった。
足立さんのおかげで、ようやく私は家に入ることが出来たのだった。
家に入ると、テレビがついていた。
時刻は「太陽にほえろ」が半分終わったあたりだった。
その日の夕飯はカレーだったのを覚えている。
一人だけ居残りでカレーを食べ、気まずかった。
「太陽にほえろ」も見れなかったし。
最悪と言えば最悪だったけれど。
その日私は、寒くて暗い空き地でピカピカと輝く女神さまを見たのだった。