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投稿日:2007年05月31日

2007年05月31日

午後、父しげおっちの誕生日プレゼントを買いにチョイノリで家を出た。買う物は散歩の時に被れるような軽い普段使いの帽子がいいなと思い、本当は吉祥寺の百貨店に行こうか、いや高井戸のオリンピックにしようかと考えていたのだ。だが、交差点で右に曲がるタイミングを失い車の流れで何となく左に曲がってしまったのだった。
「あ、別の方に曲がっちゃった」
と、思ったが今度はUターンする箇所がなく、そのまままた車の流れに乗ってしまった。
どこで引き返すのがいいんだろう。
”左折、左折で戻ろう。”
だが意外に信頼の出来る大きな通りがない。大きな通りで左折をしたら方南通りと言って、これまた次に左折して上手く戻れる道がないことに気づいたのだった。
ブーン。
走りながらどうしよう・・・と考える。よくよく考えてみれば、そんな時は停まって考えればいいのに、その時はそれが思いつかなかった。
”吉祥寺からずいぶん離れているぞ”
”どうしよう”
と、思い走っていると・・
環七まで来てしまった。
”こんなところまで来てしまった。”
”帽子ってこの辺りだとどこで売っているんだろう。”
環七を渡ると方南町の駅のちょっと栄えているところがあったので、じゃぁ渡ってみよう。
渡ると栄えていると思っていた辺りは、それほど店がなく、その近辺に帽子屋さんはなかった。
”なんでこんなところまで来てしまったんだろう”
ここは家からも割と距離のある場所で、しかも初めて一人でバイクに乗って遠征したことで少し心細くなっていったのだった。
”このまま真っ直ぐ行ったら何か店が見つかるかもしれないな”
何故そう判断をしたのかはわからない。しかし、私はその時それが良策だと思ってブーンと家の方から更に遠くなる方へ進んでいったのであった。
”今日は天気がいいなぁ”
何道路というのかわからないが、この道は車では昔からよく通っている道だ。真っ直ぐに道がのびているので気持ちがいい道、そしてそのまま走って幡ヶ谷の友人宅の近くまで来ていた。
”で、帽子屋さんってどこにあるんだろう”
”どうしよう、考えているうちに・・・”
”こんなところまで来るとは思わなかった”
新宿のビル群が道の向こうに迫る場所まで来ていた。
新宿のビル達があまりに都会に見え、チョイノリでトコトコとやってきた自分がこの景色にいることが現実として繋がらず、急に遠くまで来てしまった後悔がよぎったのだった。
”帰ろう”
そこで何故、ここまで来たら新宿に帽子屋さんがあるという風に思わなかったのか。
曲がって着いた所は「初台」。
以前、電車の乗り継ぎを間違えて、家から一時間半かかってやっと辿り着いたことがある。二回目は電車の乗り継ぎを覚えて”今日は間違えなかった”と一人喜んでいたら、喜んでいるうちに乗り過ごしてしまい、結局その日も通常の倍の40分かかった街。「初台」は遠い街だったのだ。
帽子屋さんを探してなんとなく走っていたら今日は着いた。右折をしそびれて、こんな展開になると思っていなかった。
今日は「初台繋がり」の日。
どうも私は”まさか”の間違いを犯す時、最終的に初台に辿り着くようなのである。


投稿日:2007年05月30日

2007年05月30日

今の家はどの駅からも遠い所にあるので、買い物をする場所も分散している。面倒な点が多いが、よかったこととしては、数軒のお気に入りのパン屋さんから店を選べるようになったことなのだ。
クリームドーナツなら阿佐ヶ谷駅構内のエディ、マフィンだったらパール商店街の中の店が一押し、五日市街道の好味屋では犬用クッキーが買えるし、浜田山西友の中のパン屋さんはロールパンがすごく美味しい。その店でしか味わえないパンがあって、他にもこのパン屋さんだったらコレを買って帰ろうというのが決ってきたので、今の暮らしは基本的に不便だが店を何軒か持つ豊かさが出来たのだ。
それにしても、出る方角によって店の中の客層はずいぶん変わる。
阿佐ヶ谷は何故か”50〜60代位のおばちゃん”が多い。気がする。「今日の夕飯」の買い物をするなら私も阿佐ヶ谷だと思う。それほどスーパーも八百屋さんも競合店がひしめきあっている。和菓子屋さんも5〜6軒はあるし、美味しい豆腐やうなぎもここで手に入る。だから50〜60代のおかん達がこの辺をサメのように泳いでいるのだ。
ところが浜田山方面に行くと”おかん”は消える。かわりに小さな子供を連れたお洒落ママ達が今度はいきなり増えるのだ。ママ達はその後20〜30年経っても”おかん”にならないであろう。子供もちょっと”いい服”を着ている。明らかに買い物客のタイプが違っているのだ。
しかし、陸続きなのに。
どこで人が変わるのだろう。
今日は以前から入ってみたかった住宅街の中にある”南フランス風”の小さなパン屋さんに入ってみた。すると、狭い店内は子連れのママ達で溢れていた。こんなに狭いのに、誰も押したりぶつかったりせず譲り合う余裕まであるお客さん達・・・。
”この人達は一体どこに住んでいるの・・・”
何げなく入った店内でかつてない程わんさかお洒落ママ達に遭遇をし、より一層客層エリアマップの境界線の位置がわからなくなったのだ。
どこに買い物に出ても、自分が溶けていない感じはある。
新しいパン屋さんの味を味わうより、今日は先に自分が庶民であることを味わったのであった。


投稿日:2007年05月29日

2007年05月29日

「いつセックスさせてくれるんだ」
「は?」
「いつ、セックスさせてくれるんだ」
「はい?」
ガチャン。
とうとう、こんなイタズラ電話が掛かってくるようになってしまった。テレホンなんとかの電話番号に近いのかなんなのか、引っ越した頃から「@@ですか」「利用したいんですけど」「あれ、テレホン@@じゃないんですか」という電話が掛かってきていたが、ついに私に直接エロ発言を投げてくるおっさんが登場してしまった。
若者ではない。
もしかしたら爺さんなのではないか。
私はもうエロ男からいっぱい間違い電話を受けて一年間修行を積んできたので、エロ発言が出たところで今更「きゃー」という初々しい反応にはならない。
「おじさんとしゃべろうよ」と、言ってそのまま相手が電話を切らないでいる方が、うんと「きゃー」になるのだ。
それにしても、知らない女性とエロ話がしたい男の人は後を絶たない。電話番号をかえると、いろいろお知らせをしたり手続きをし直さなくちゃいけないからとこの番号で頑張って来たが、今かえるとなると今の方がもっとお知らせするのが大変になる。引っ越しをするまでこの間違い電話に対応をしなくていけなくなってしまった。
はふぅ〜〜っ。
イタズラ電話のおっさんは、一回「いつ・・」を、言うごとに息が荒らくなっていき先にガチャンと切って、それでまた気を取り直して再度掛けてきて同じことをする。
ねぇ。電話ってそうやって切るものじゃないですよ。
「もう勘弁してよ・・・」といううんざり気分なのだが・・・、
”あんまり、持久力がないのかなぁ”
何故かしらクロールの息継ぎの練習に付き合っているような妙な感じになりながら、電話の受話器を持っている私なのであった。


投稿日:2007年05月28日

2007年05月28日

金子みすずトリビュートライブを観に行った。
金子みすずさんは大好きな詩人なのだ。
平仮名の言葉と文章で、ストレートに投げかけてくる。何の雑誌での紹介なのか忘れたが、金子みすずさんの詩が載せられているのを見て、すぐに本屋に探しに行ったのが10年程前になるだろうか。金子みすず全集は、好きな詩に折り目をつけ病室でも読んだ少ない本の一つだ。
感性の豊かな人だったのだと思う。詩を読んで繊細な心が伝わってきたが、残念だったのは彼女が自殺で一生を終えたという点だった。感じやすい心をそこに向けちゃだめだと、詩を読むたびに一層思ったことだった。
今回はトリビュートアルバム発売記念ライブで、アルバムは金子みすず作品に何組かの女性アーティストが曲をつけたり、朗読をしたりしたオムニバス形式になっている。
本当は自分も参加したかったというのが本音だが、やはりみすずさんの詩は耳で聴いてもスーっと入ってくる。参加メンバーの方々が大事に作品を音にしたという所も大きく、アルバムを上質なものだなぁと感じているので、今日のこのオムニバス形式のライブも非常に楽しんだのだ。
最近はよくライブのお誘いを頂く。今日は全て女性ボーカルばかり、そう言えば私は数年前まで女性ボーカルのライブには行けなかった。歌えないことが自分の頭によぎってしまうのではないだろうか。個人的な感情に覆われてしまうのではないだろうか。心がどれぐらい穏やかでいられるかに自信がもてずに、出掛けて行けなかったのだった。
今はその呪縛から解放された。もうほぼフラットだ。
金子みすずの詩にある”みんなちがって、みんないい”のセンテンスが無理なく等身大の私の心にやってきてくれたのだろう。
今日は久しぶりにエポさんとお話をさせてもらった。エポさんは学生の頃からのファンで、初めてお目にかかった時にサインをもらった憧れの人だ。だから緊張のあまりつい堅い口調になってしまう。
”みんなちがって、みんないい”
この詩はエポさんが朗読をしている。
どのアーティストも、”みんなちがって、みんなよかった”。
エポさんは今日のライブでも、歌が平仮名で耳に聴こえてくる歌人だった。


投稿日:2007年05月27日

2007年05月27日

アンテナを見つけた。
070605-211608.jpg
こんにちは、アンテナさん。
あなたはすごいね。
見えないものをちゃんと受け止めることが出来る。コンスタントに。
私にも自分のアンテナがあって、それなりに見えないものをキャッチしてくれるけれど、曇った日にはそのアンテナはあてにはならないのです。
間違えてとらえてみたり、一部しか受信していなかったりで、雨が降ればもうアンテナはすっかり休んでしまうのです。
ねぇ。
そこから、何が見えるのかな。
じゃぁ、今の私の心ん中もキャッチ出来たりするの?
空がたくさん見える場所はいいね。
いつもそういう場所にいたら、多分、どれぐらいかは心を広くさせてくれる作用があるはずだよ。
それに、私んちからは行けない遠くの方まで見える。
水色の空が好き。
夕やけの空もいいけれど。
見えないものを正確にキャッチ出来たらいいのにな。
と、時々思う。
そうしたら、
正しい距離を作れたり
正しい言葉が言えたり、
正しいことが出来たり、
「正しい」は、自分にとっての「迷いなく決めた”よい”こと」でしかないけれど。
アンテナさん。
またね。
また、晴れた日に。
お会いしましょう。


投稿日:2007年05月26日

2007年05月26日

京王井の頭線は、渋谷〜吉祥寺間を走る電車なのだ。
全部で17つの駅があって、途中駅には東大の校舎のある”駒場東大前”、芝居関係の人と親不孝系の若者が集まってくる”下北沢”、明大生と何の職業なのか判別不能な大人がわんさか電車に乗って来る”明大前”、若貴兄弟の今も住んでいるのかわからないがマンションがあるという”浜田山”、少し古いドラマになるが「愛していると言ってくれ」のロケ地でもあった”井の頭公園”など、東京をあまり知らない人でもなんとなく聞いたことのある場所を繋いで走っている電車だ。
関西でも、路線によって”ちょっとガラが悪い”、”なんとなくハイソ”といったカラーがあるが、この井の頭線は東横線までは行かないが、”ちょっとお洒落””若い人が多い”イメージがある。
あるのだが・・・・、
この井の頭線、車内はとても冷たい。優先座席など、メールやi−podに忙しいようで「杖ぐらいでどうした」といった感じで譲ってもらうことはまずなく、今日は10人掛けの長椅子の前に同じく並んで10人が立っていたが、私以外の9人はその後空いた瞬間に席に座り、席取り合戦で最後まで敗退し続けたのだ。
買ったばかりの洋服を落として戻って来なかったのも、ここ。
杖を蹴る子供が居たのもここ。
足は普通に踏まれる。
でも、ポールにはせめてつかまらせてよ。
こっちもあぶないんだから。
京王井の頭線。
路線を人格で言うとすれば、見た目は可愛いが陰で同性にイジワルをする女の子といった感じか。
”別にいいんだけど、なんだかねぇ・・・”という気持ちになるところがぴったんこ!なのである。


投稿日:2007年05月25日

2007年05月25日

雨。
今日はチョイノリに乗れないのだ。
うちの辺りはバイクが数台ある。袋小路の道は私有地なので、そこに住んでいる人達のバイクが置いてあって、私のを入れると5台のバイクになる。
バイクの駐車場はこの辺りは月極だと2万円前後が相場で、駐車場のことを考えていなかったが、ここはバイク置き場付きということになる。これで益々引っ越せなくなったのだ。
私のうちは一階なので、そのまま敷地内に入れて軒下にバイクを置けるので、全くの雨ざらしにはならない。
でも、やはり雨はかかる。
バイクに乗っている人は、自分のバイクを大事にしていている。二階の男の人も、ぞうきんで汚れを拭いたりして綺麗にしているのだ。
私もチョイノリを労ろう。
乗らない雨の日に、軽く拭いてメンテをしよう。
新車だからね。
買って一ヶ月。
だが。
「え!うそ!」
まだピカピカの新車だと思っていたが、右フロントに大きなこすり傷が二本ついているのを発見したのだった。
誰!こんなことをしたのは!
・・・・。
誰か知っている。
私だ。
この間、停めてあった自転車に挟間って無事に出られたと思った、あのガリガリ音がそうだったのだ。
しょんぼり。
こけずに上手くバイクを守れたと喜んでいた。
雨が降る向きで縦に二本。デカい傷。
酸性雨が溶かしたせいじゃないよなぁ。
私だよなぁ。
バイク好きのKさんが、盗まれた自分のバイクを自分で発見したことがあると言っていた。ナンバーもかえられていたのに、どうしてわかったんですかと聞いたら、”自分のバイクはわかるんですよ”と笑っていたっけ。
私もこれで自分のバイクが盗まれても、わかる。
と、いうことか。
でもしょんぼり。
やっぱりしょんぼり。
ピカピカの新車というのは、傷がついてはじめてその人の物になるのだと・・・。
思うことにしたのであった。


投稿日:2007年05月24日

2007年05月24日

チェウニさんのライブを観に渋谷DUOに行った。
渋谷DUOには何度かライブを観に来ている。先月は西川峰子さんのライブで初めてステージ上を体験したが、天井が高くゆったりとした空間で、私もとても好きなライブハウスだ。
チェウニさんの新しいアルバム「恋とワインとミステリー」が昨日発売されて、今日はその発売記念ライブのツアー初日。今回のアルバムに私の曲を入れて頂いたので、それが聴けるのも楽しみなのだ。
歌詞と曲の両方セットの楽曲提供は久しぶり。2月中旬に原宿にあるテイチクレコードに行って、プロデューサーのMさんにいろいろお話をしてもらった時に、「はい、頑張ります」としか言えなかったが、帰り道は”こんな曲を書いてもらいたい”というMさんの口から出た言葉達がもう頭の中でいっぱいになっていたのだ。
関係者入り口から入ると、通常の入り口ではもらえない今日のライブの曲順をもらう。ライブコンサートでは、こうしたお客さんには配られないメニューがあらかじめ渡されることが多く、いつもならなんとなくメニューを眺めているのだ。
曲のデモを作った時、自分で仮歌を入れたが上手く歌えなかった。チェウニさんはロングトーンがとてものびやかで、それでロングトーンでこんな風に・・・と思った箇所があったのだが、デモでは自分でそこの息が続かなかった。自分では歌えない曲だ。
チェウニさんはライブでもとてものびやかな声、それに日本語の発音が綺麗だ。だから言葉が歌になった時に胸にスーっと入って来る。MCでも「小さい頃から歌が大好きでした」と言われる通り、歌を歌う人、歌を歌って届ける人だなぁという気があらためてしたのだった。
今までの作品、そして新しいアルバムからの曲をレコーディング裏話を交えながらステージは進み、本編最後に自分の書いた曲を私は聴いた。
迂闊にも自分の曲に泣きそうになっていた。
チェウニさんが歌ってくれたことで、この曲が曲になった。切り離して考えていたつもりだった私個人の歌に対する想いまでもがよぎってきて、それも乗せて、チェウニさんが歌を歌い届けてくれていると感じる歌だった。
どの作品も「出来ました」と言って聴いてもらうだけだが、その過程は私にとって七転八倒でしかない。人に渡す曲も自分が歌う曲も、今までにスラスラ書けたという曲は一曲もない。多作になれないことを悩んだこともある。やり方をもうちょっと別の方法にしたら楽になるんじゃないかとも思ったこともある。だが、誠実に曲作りをしてきたという自負はある。同業者同士もし腹の中を見せ合うことが出来たとしても、そこには自信がある。
だいたいが葛藤の波の中に居る中で、自分のやり方はコレでいいんだと思える時が、ほんのたまに、ほんの時々ある。だがそれは本当にたまにしかやってこない気持ちだ。
今日はそのたまにの日だった。
ステージに、個人的に涙が出そうになったライブだった。


投稿日:2007年05月23日

2007年05月23日

エクスパックをよく利用する。
だが利用する度に不便に思っている点があって、それは宛名を書く場所の下にある保管用シールがはがしにくいことなのだ。
あれは爪を長くしている人なら難無くはがせるのかもしれないが、私はいつも爪を短く切っている。だから「爪」を道具として持ってはいないのだ。だから、はがし口と書いてある所を、繰り返しカリカリと引っかいて、運良くペロっとめくれた時に「なんてラッキーなの」と有りがたい気分ではがしているのだった。
カリカリカリカリ・・・。
あ、やった!
火をおこす原始人っぽい。
いや、原始人の方が楽に火をつけているかもしれない。
<もっと最初からはがしやすくしてもらいたいわ。>
<誰からもクレームは来ないのかしら>
<やっぱり取りにくい!>
<別にこんなシール、はがしてまで保管しなくていいんだけど>
カリカリやっている時は、”無心に”というよりこんな不満が脳みその90%を占めていて、どちらかと言えば怒り気味になっているのだが・・・。
やった!
はがれると同時に、それまであった頭の中のことがリセットされてすっかり忘れてしまうのだ。
エクスパックのシールははがしにくい。
私のように、はがれたらそれで全て忘れてしまう人間が居るので、クレーム率が低く改善されないままなのかもしれない。
爪を伸ばしてもいいのだが・・・、
シールを上手くはがせるようになる前に爪をはがして、痛い思いをするだけなのである。


投稿日:2007年05月22日

2007年05月22日

あれ・・・これは・・・。
去年の秋にポストの所に、勝手に「101」「吉川」とペンで書かれていた。
表札はつけていた。一応ローマ字にしたのは、これでも女一人暮らしの防犯対策で「吉川」「良川」「好川」のどれかを特定しない為のローマ字だったのだ。
大きなお世話。
一体誰が書いていったのか。ポストに入れることが仕事の誰かなんだろうが、それがどこの誰なのかがわからず文句も言えなかったのだ。かと言って消そうかと思ったが、自分宛ての郵便物が迷子になるのも困るので、しょうがなくそのまま放っておいたのだった。
それが。
今日ポストの所を見たら、隣りの「101」はそのまま落書きされたまま残っているというのに、「吉川」だけが消えてなくなっていた。
勝手に消えたとは思えない。これは誰かが”消そう”という意志を以って消さなきゃ消えないのだ。
私んちのポストに。
WHO?
WHY?
ウチのポストは玄関脇についている。玄関入り口のすぐのところにポストはあって、まさに「家のそこ」にあるといった風なのである。ゴシゴシ消している時に私が外に出たら「あなたは誰なのですか」という恐怖でいっぱいになる反応をしているのだ。
そんなリスクを犯してまで、今度はどうして消すのであろうか。
意図がわからないので、余計に気持ちが悪い。
不思議だったので、ポストの前でしばらくボーっとポストを見つめ立っていた。
書いたり消したり。
勝手に判断するな。
「それって、気のせいだったんじゃないの〜?」
「吉川」の字が消えたことで、これでいくら人に言っても「気のせい」と言われれば、私の狂言ということで話が終わるのである。