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投稿日:2007年05月18日

2007年05月18日

インターネットラジオ「この歌この想い」の収録で渋谷に行く。
渋谷駅を背に246号を渡って線路の脇を少し行くと、ビルの4階にスタジオはある。いろんなラジオ番組の収録がここでされていて、家で録っているネットラジオとは環境が違って、ここは防音設備もしっかりしたブースの中でおしゃべりをしている。
自分の座っている部屋からは、ガラス窓を通してディレクターさんの居る部屋が見える。その部屋には録音機材やスピーカーなどのメカが揃っていて、向こうの部屋の声は私のヘッドフォンから聞こえる。私の声はマイクが拾ってあちらの部屋に届き、それで密閉された部屋同士で会話が出来るようになっているのだ。
今まで何人ものディレクターさんと一緒に番組をさせてもらったが、私が「この人と一緒に番組をやっているんだなぁ」と実感するのは、「キュー」をもらう瞬間だ。
「キューを出しますんで」
「キューを送ります」
「キューで、どうぞ」
ラジオのスタジオで、私は「キュー」という単語を覚えた。合図のことだ。
FMでもAMでも、ラジオでおしゃべりをしている人は、勝手に一人でしゃべり出すということはなく、窓の向こうに見えるディレクターさんの「キュー」をもらって話をし始める。だからラジオを聴いている時、曲のイントロが流れてその次にパーソナリティのおしゃべりが聞こえて来る時は、その直前にディレクターさんからの”はい、ではここから話し始めて下さい”という合図が出ているのだ。
”そろそろですよ”の時に手が上がる。手の形は「待て。」私がダンボに餌をあげる前に「待て!」と言って出す手の形と同じだ。その後、餌の場合は「よし!」と言って「手招き」の格好になるが、ラジオにおける”よし!”は「どうぞ」と下から伸べる手の形に変わる。
このジェスチャーはディレクターさんの数だけあると言っていい。手の高さ、送る時の手の形とスピードがみんなそれぞれ違っている。
一緒に番組を始めた頃には、キューをもらうと一瞬頭のどこかで「あぁ、このディレクターさんのキューはこんな感じなんだ」と少し第三者的に思っていたりするのだが、だんだん回を重ねて来ると、「あぁ、このディレクターさんのキューだ」という”馴染み”の感じ方に変わってくる。
K氏のキューは胸から真っ直ぐ前に出されるキュー。そして最近は「あ、このキューだ」と思いながら話を始めている。
こんにちは。
おはようございます。
こんばんは。
私は遠くの街まで、時間関係なく飛んでいける。
はじめまして。
おひさしぶり。
言葉と音楽の間にはキューが入っている。
これも見えない電波の一つなのだ。