月別アーカイブ : 2015年3月

投稿日:2015年03月30日

2015年03月30日

外来日。

血液検査を終えて、血液内科の待合室で待っていたら名前を呼ばれた。

いつも検査結果にドキドキしながら、白い扉を開けていた。

今日も同じ気持ちだ。

丸椅子に座ったら、先生が結果を教えてくれた。白血球の数値が1000から1700に上がったこと、好中球の数字が20台から60台の正常値に戻っていたとのことで、まずは好中球が持ち直してくれたことで緊急の危険度数からは脱したということで、このことはすごく嬉しかった。血小板は0.3。血小板の輸血量を増やしても最近は効果が出なくなっているので、やっぱりいずれにしても治療はどこかの段階で受けて欲しいという話だった。

私の身体が頑張ってくれたんだわ。

とにかく来週までまた様子を見ましょうということで、急な入院は一旦保留になった。

今でも崖っぷち。

だけど身体が頑張ってくれて、引き上げてくれたことが何より嬉しかった。

少し前から桜が満開になっていた東京。

桜を眺めても、もうぼんやりと見ている感覚しかなかったのが、こんなに桜が綺麗なことにまた感動している。

今夜の約束は何度も考えて、夕べ「結果が最悪でもやっぱり断るのはやめて行こう」と決めた。

いつものように景色が戻ってきて、そして楽しい約束事に向かう。

奇跡を何度も起こしてくれてありがとう。

自分の身体に向かって何度もお礼を言った。


投稿日:2015年03月27日

2015年03月27日

今週の月曜日、いつものように外来に行った時、血液検査の結果がひどく悪くなっていた。それまでも血液の赤ちゃんを作る機能と血小板の数値が悪く、毎週の輸血で補ってもらってきたが、先月位から白血球の数値が悪くなっていて、月曜日は自分が見てもこれはさすがにまずいなという数値にまで下がっていた。

白血球が低いだけでなく、好中球の数値が一気に下がっていた。好中球は身体の中にある細菌などと戦ってくれる身体の味方なのだが、そういえば少し前に熱が出たりリンパが腫れて身体がだるかった。

いろいろ病態が行き来していたが、今は最重症の再生不良性貧血の状態にあるらしい。先生が平均余命がだいたい数ヶ月、だが風邪を引いたりして肺炎や敗血症に移行したら1週間で亡くなることもある。と説明をくれた。元気そうに見えると言われていたし、自分もそんな深刻な状態だとは思っていなかっただけに、さすがに受け入れられなかった。そして延命として前に受けた入院治療をもう一度勧められたのだった。

もう痛い治療はしないと去年の秋に緩和ケアの受診を受けるようになった時に、私は決めたのだ。もう痛い治療は終わりにしよう。痛い治療はもうたくさんやってきたから自分の身体にお疲れさまと言ってあげてもいいんじゃないか。

もう治療はしないと決めてからは、病気に対する恐れが和らいだ。そしてようやくいつも自分の中に重りとなっていたものから解放されたような気がしていた。以前のような「何が何でも生きていたい」という気持ちを手放したら「なるべく悔いのないように毎日を送りたい」という気持ちが沸いてきた。

治療はもう受けたくないんです。と答えていた。

だけど少しでも命をつなぐ方法があればそれを勧めるのが私の立場ですと先生はいつになく優しい口調で私を説得した。そして、感染をしたら治療ももう受けられなくなるから、一日でも早く治療を受けると決められたら病院に連絡を下さいと言われてその日の診察は終わった。

元気そうに見えると思っていたのに。

こういうことって急だなぁ。

さすがに心が混乱して翌日の約束を取りやめにしてもらった。

水曜日も木曜日も起きられなかった。

治療はやっぱりもう受けようという気持ちになれなかった。

そして今日、緩和ケアの先生のところに行った時にも「治療は、受けようという気持ちにどうしてもなれなくて」と話していた。緩和ケアに通うようになってからもう治療は受けないと決めたこと、そうしたら「生」に対する執着や病気に対する恐れからやっと解放されて楽になったということや、一日を大事にしようと心がけたらそれから今日までを振り返ると何故か悔いがないんですというようなことを言っていた。これが数日変わらなかった自分の気持ちだった。

重たい空気の中。

2000年に入院した時から父の代わりに家族代理として重要なサインや同席などをしてくれていたY氏が「どう、思われますか」と、先生から意見を求められた。

すると隣りに座っていたY氏が思いもしないことを言ったのだった。

「どうせもう悔いがないんだったら、治療も受けてみたっていいんじゃないのかな」

「えっ」

えっ?今、何て言いました?

そんなに・・・・適当な感じで、いいの!?

どっちでもいいと思うよ〜みたいな。

生きるとか死ぬとか、こういう大事な局面の時に真面目に話している中で、突然「今日の昼飯、カレーでもうどんでもどっちでもいいんじゃない?」的なまさかのノリに意表をつかれた。と、同時に私は大笑いしていた。

「わはははは!わははは~~!そんないい加減な!」

すごく笑ったら先生も看護士さんも大笑いになった。

Y氏は泣いていた。大笑いしながら私は思った。

そうだわ。悔いがないんだったら、人生の終わりのことをそんなたいそうに考えなくたっていいんじゃないの。自分があんなに大笑いするとは思わなかった。そしてあんなに揺らがなかった決意がたいした選択じゃないと急に思えたのだった。

緩和ケアの先生がその後でフォローするように、治療を受けることも含めて悔いのない人生に組み込めたら一番いいと思いますと言った。

治療、もうここまで来たんだからどっちでもいいよね。

どっちでも納得出来るわ、私。

ただし、月曜日まではやっぱり保留。

それはもう一つ私が信じて願っていることがあるからだ。

それは私の身体が白血球と好中球の数値を頑張って上げてくれること。1月に保ってくれていた数値までもしかしたら自分の身体は元に戻せるかもしれない。その兆しを月曜日まではあきらめずに信じて待ちたい。

それで駄目だったら、治療を受けてみたっていいんじゃないかな。

別に、それぐらいの気持ちでいいんだなと思えるようになっていた。


投稿日:2015年03月23日

B#ライブ2015のDVD完成しました

B#ライブ2015 同窓会de show!~あの頃の君に会いに行こう〜

お待たせ致しました!ライブDVD、本日23日(月)夜遅くなりましたがさきほど完成し、ご予約のみなさまにようやく無事に発送完了させていただきました。到着まで今しばらくお待ちください!

台風での延期だけでなく、1月のあのライブには実は続きがありました^^ライブ後の収録機材のトラブルで不備があり、「さて、どうしようか」とみんなで打ち合わせを重ねて結局計3回京都に集まりました。あらためてメンバーと一緒にライブDVDを仕上げられたことを誇りに思います。

ライブだけでなく、お宝映像はもちろんメンバーへのインタビューも入っています。

今回のライブDVDは限定版にさせていただきました。ご希望の方はinfo@b-sharp.main.jpまで、お名前、郵便番号、ご住所、お電話番号、メールアドレス、ご購入枚数をご記入を上、メールをお送り下さい。後日詳細メールを送らせていただきます。数に限りがございます。ご了承ください。1枚4000円(税込み)+ゆうメール料金180円=4180円になります。(お振込手数料はご負担下さい)

楽しんでいただける一枚になりますように!


投稿日:2015年03月19日

2015年03月19日

久しぶりに髪を切った。

もともと髪が多く、ある一定の長さになったら束ねていたのでその先は束ねることであまり自分自身、不便を感じていなかったのだが、髪を洗うときに「髪がとても重たい」感じがしてきてシャンプーの量も多くなり、だんだん髪を洗うことが面倒臭くなってきていたのだった。

1年半、切っていなかった。

用事を終えた帰り道、時間があったので「今日は近くの温泉にでも行こうかなぁ」と歩いていたら、たまに前を通る美容院に吸い寄せられて「予約していないんですけど、今日、これからでもお願い出来ますか?」と尋ねてみたらいいですよと返事をもらえたのでそのまま髪と切ってもらい、トリートメントをたっぷりしてもらったのだった。

ふぅ〜っ。

生き返ります。

髪がまとめやすくなって、何よりも頭が軽くなった。

これからは、定期的に美容院に行こう。

って1年半前にも思ったっけな。

これからは、定期的に行こうと今日もかたく胸に誓ったのであった。


投稿日:2015年03月16日

2015年03月16日

外来日。

一昨日ぐらいから寒気がしたり、頭痛がしたり、ちょっと体調が悪いなぁと思って出た血液検査の結果。白血球数が1.3まで下がっていた。血小板数が減りが早くなってので前回から1.5倍の輸血をしてもらったが、こちらも0.6。血液の赤ちゃんを作る網赤血球数は0.5。白血球は2台をずっと保っていたのでどうして下がったのか。またどこかが悪くなったのかなぁと考える。

筋無力症についてはそれに対して今は寛解状態、10数年前何をやってもダメだったのが不思議に悪さをしなくなった。

1つはよくなったんだから、感謝しなくちゃね。

それにしても、血液検査の数値はかなり悪い。

だって輸血を受けなくてそのまま家に居るだけで一週間で死んでしまう数値だからだ。それが輸血を受けることによって「元気そうに見える」までになる。実際にしんどくない日はしんどくないし、輸血後2日目ぐらいには息切れもしない。

このままなんとか繋げたらいいなと思っていたけれど。

そうは簡単に行かないものなんだなぁ。

だけど筋無力症を診てもらっている神経内科の先生は言っていた。自己免疫疾患は年を取る事でだんだん病気の方が収まってくるケースが割とあるんですよ。あとはお薬が日々めまぐるしく進化しているので、繋ぎながら待ちましょう。と。私はこの先生は割と好きで移動で昨年の4月に担当になってからのおつきあいだが、飄々として、だけど言葉遣いが「負」でない。だから病気のことで気分が沈む時にこの会話を思い出してまた気分を立て直すことが何度かあった。

輸血を終えるともう5時半。

また私は命の続きをもらい、そして家に帰るのだ。


投稿日:2015年03月10日

2015年03月10日

以前から結構気になっている店がある。

タイミングがなくてなかなか入ることが出来ないでいるのだが。

それは「小諸そば」というチェーン店のおそば屋さんだ。

東京都の中心部のいくつかの区にしか店舗はないのだが、中心部にやく100軒のお店があるので、近辺を通るとよく店舗を目にする。

そして、都内には他にも大手チェーン店があるのだが、私の周りでは「小諸そば」の人気が断然高い。

だが、気になったきっかけになったのは私の場合、「そこ」ではなく、看板に書いてある「小諸そば」の文字がどうしても自分には「小諸そば」に見えずにいつしか遠目にそう読める「小諸詣で」という風に頭に焼き付いてしまったということなのだ。

小諸までは読めるのだが、次の文字が「誓で」にも見える。「誓ぢ」か。「鷲で」なのか。うぅうう〜〜む。やっぱりどんなに頑張っても「そば」とは読めないってところがずっと気になっている。

もうちょっとそのことが話題に上がってもよさそうなのだが、残念ながら「あそこが一番うまい」ということだけが耳に入って来る。

看板が気になって、ずーっと気になって・・・。

そんなに美味しいのなら一回行ってみようかと思ってから随分になる。

行ったところで私の気になるところは解消出来ないと思うのだが。

東京に仕事に来る人には是非、「小諸詣で」が美味しいらしいので一度食べに行ってもらいたい。そしてあの看板がどう読めるのかについて、是非意見を伺ってみたいのである。


投稿日:2015年03月07日

2015年03月07日

春が来た。

気がする。

私の部屋の中に。

セントポーリアの花が咲いたからだ。

これ、ただのセントポーリアではなく、私にとってお守りのセントポーリアなのだ。

今から10年以上前、お世話になっているご婦人から挿し葉で増やしたというセントポーリアの芽が出たばかりの赤ちゃん苗を二ついただいた。前の前の家に居た頃の2004年ぐらいのことだ。

「咲くまでにとっても時間がかかるんだけど、咲いたら愛着がわいてね」

そう言っていただいた。どれぐらいで花が咲くのか尋ねたら半年じゃぁまだ無理、8ヶ月ぐらいかしらねぇということで、そんなに長くかかるのかぁと咲くイメージがその時はつかなかった。

外ではなく家の中のいい場所で。だったらやっぱり南側のレースカーテンの側がいいに違いない。窓辺に置いて”そのとき”を待つことにしたのだった。

半年が過ぎ、8ヶ月が過ぎ、葉っぱは立派にたくさん伸びてくれたんだけどな。

花が咲かない。

そして1年が過ぎ・・・新しい家に引っ越す時も花は一度も咲かなかった。

咲かなくても、枯れなかっただけでなんだか愛着がわいていたので、引っ越し先に葉っぱだけのその二鉢も持って行くことにした。

新しい家は窓が多い家だった。が一階で住宅が密集していたので、すごく日当りがいいというわけでなく、一つはキッチンの東の出窓に、もう一つはキッチンの北側に暫定的に置いてみたのだった。

それから2ヶ月経った7月のある日。

東の出窓に置いたセントポーリアがついに花をつけたのを見つけたのだった。苗を頂いてから2年が過ぎていた。もう咲かなくていいや。枯れずにいてくれたら。そう思っていたが、そうして接してきた葉っぱの鉢植えが「ピンクの花だったのかぁ」と答えを見せてくれたことにものすごく興奮した。すごく嬉しかった。北側に置いていた鉢も花をつけた鉢の横に置いたら、その少しあとに花を咲かせてくれ、最初の鉢はその後1年間ずっと花を絶やさず常にたくさん咲かせてくれたのだった。

それから花は休眠をしたり、また花を咲かせてくれたりして、花が咲いている時の私の体調は同じようによかったりと体調が花の咲き具合に同調している気がするようになってからは「お守り」のような存在になっていったのだった。

そうだ、このお守りの花の葉っぱを挿し葉にして、私も誰かにあげよう。

何人かに声をかけて、事務所のY氏が欲しい!と興味を示してくれたので、私がもらった時のように挿し葉から芽が出るのを待って、同じように「咲くまでが長いんだけど、咲いたらすごく愛着がわくから」と渡したのだった。だいたい挿し葉をしてから芽が出るまでに3ヶ月かかる。とても気を長くしないとこの花とはつき合ってはいられない。

Y氏の家でも咲くまでにかなり時間がかかったようだったが、咲いたら写真に撮って送ってくれた。とても嬉しかった。

それから季節問わず、我が家のセントポーリアもよく咲いてくれた。洗い物をしながら視線をちょこっと上に上げると花が咲いていてくれる。「頑張れ頑張れ」と応援してくれているようで、いつも嬉しくなった。なんだか心強くなれた。

ところがある日、一鉢が枯れてしまった。どうも病気になったようで数日の間にだめになってしまったので、一鉢だけが残ることとなった。頻繁に咲いてくれる方もメインの鉢が残ってくれたのが救いだった。

だが2013年にもう一つの鉢も急に枯れてしまったのだ。水をやり過ぎてしまったのか、病気になってしまったのかはわからない。

私のお守りはなくなってしまった。

それに同調するかのように、私の病気も深刻な方へ進んでいった。

昨年の春、Y氏が挿し葉から育てた赤ちゃん苗をくれた。

唯一、私のお守りの生き残りがY氏宅にあったとは。

今は東側の窓がなく、咲かない時期を長く作った南側の窓辺しかないが。

咲いてくれたらいいな。私のお守り。

10ヶ月ぐらいかかったのかな。

咲くとはあまり期待せずにつき合ってきたから。

でも一週間ぐらい前に蕾みを葉っぱの奥で見つけてから、ず〜〜っと楽しみに待っていたんだよ。

お帰りなさい。私のお守りさん。

またお守りさんが帰ってきてくれたから、きっと元気になれる。

春が来た。

私の部屋に。

セントポーリアはそんな花。

少し地味だけど、私にとって愛着のある花だ。


投稿日:2015年03月06日

2015年03月06日

あっという間に3月になってしまった。

ダンボも私も一つ年を取った。身体はお互い万全!とは言えないが、お日様に当たって一緒にほっこりしたり、遊んだり、なんだかんだ言って穏やかな日常を送れているのだと思う。それに少しずつ春の気配も感じるようになってきた。

現状としては、いただいた年賀状の返事をまだ少しずつ書いている次第で、facebookにいただいたバースデーメッセージにも全然お礼を送れていない状態だ。たくさ〜〜んメッセージをいただいたので、まだ時間がかかるだろう。が、こんな時ぐらいしかいつもfacebookで繋がっている人とマンツーマンのやり取りはなかなかないので、時間がかかっても顔を思い出しながら返事を書いていこう。

その中に「ブログによく出て来たお父さんはその後お元気ですか」という文章があった。

ワシの話が大好きなかなり変わったしげおっちは、今は施設で過ごしている。一昨年の夏の心臓破裂から緊急手術、それから一週間後にまたしても心臓破裂を起こし緊急手術をして、私達娘2人はいよいよ「覚悟」をしていたがその後施設に入って、今年の1月に面会に行ったらお世話になっている職員さんから「お父さんね、血液検査を先日もしたんですけど、悪いとこいっこもないそうです。お元気にしてはりますよ」と説明を受けた。87歳、手術の頃からボケ出したしげおっちだがすごい生命力だ。

「この方は誰ですか」

職員さんに尋ねられて、ニコっとしながら「あぁね、この人はワシの妹ですねん」と言うとった。昨年の秋に訪ねた時は、「あんたが誰かワシにはわからんし、娘やと言われてもそんなことあんたが勝手にいうとるだけやろ!」と言っていた。全くの他人から身内になったので、この日はご機嫌だったっけ。

おかしいな。

昔、ワシはもう上手く歩けへんねん。と言って片足をひきずる歩き方をしていた。それは私は東京に帰る日の少し前ぐらいになると確かにびっこをひいていたが、台所に何か物を取りに行く時は普通にスタスタと歩いていたよなぁ。

施設に入って以降、びっこをひいていない。

スタスタと早歩きをしているこの爺さんは本物の父なのか。

部屋に入るとテーブルの上に、箱に入った「涼宮ハルヒ」のフィギュアとその横にもちっこいフィギュアが飾ってあった。

何も尋ねていないにもかかわらず、「こ、これはな。ワシが買うたんちゃうねん。預かってって言われて、ほんで預かっているだけや」としきりに弁解をしていた。

これ以上触れると、性格的に逆切れをするのでその話題が終わるようにしたのだが、どういういきさつでこれが飾ってあるのかは最後まで想像がつかなかった。

みんな、なんだかんだ言いながらもこうして笑って生きている。

もうすぐ春。

生命力に溢れた春。

たくさんのエネルギーをもらって春を喜びたいのだ。