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投稿日:2007年12月31日

2007年12月31日

少し前のニュースで、「自動鐘つき機」が売れているということを取り上げていた。
「鐘つき機」の鐘はお寺の鐘のこと。
「自動鐘つき機」は、一般家庭ではなくお寺が購入する品で、それが売れているのだそうだ。目覚し時計のように、ある時刻になったら鐘をつくしくみになっていて、テレビでは無人状態で鐘がゴーンと鳴らされるところを放送していた。
あの太い鐘つき棒、しゅ木が鐘に向かって発射されて
ゴォ〜〜〜ン。
ポルターガイスト現象のように。
人が居ないのに。
場所が場所だけに、何も知らずにそこを通りがかったらビビるだろう。これがお年寄りだったらもっとショックは大きい。私の想像では、鳥ガラのような首を伸ばして「祟りじゃー」と、それこそ化け物のような形相でビックラこく。
なんで、そんな自動鐘つき機なんて要るんですかと、一般人の私は単純に思うのだが、お寺も人手不足や住職さんの高齢化で、鐘をつく人が居なくなっている所が増えているのだそうだ。
そうか。
その家、その家には事情があり。
その人、その人にも事情があり。
ということなんだなぁ。
自分の目は、今年どれぐらいの幅を持って物事を見ることが出来ただろう。
「ゆく年、くる年」では、袈裟をまとった僧侶が鐘をついていた。こうして鐘をつくことは修行の一環なのだそうだ。
ゴォ〜〜ン。
2007年が終われば、2008年がすぐにやってくる。
部屋の窓を開けたら、遠くで鐘の音が聞こえた。
年越しの瞬間にジャンプして、「年越しの瞬間、私は地球に居なかった」というのを、またやりそびれた。
0:00が画面に出て、「あら、年が明けたわ」が第一声。
2007年、ありがとう。
2008年、おめでとう。


投稿日:2007年12月30日

2007年12月30日

今日は食料品に日用品、お正月の買い出しに行った。
ちょっと必要なものがあったので、3回に分けて3つの町にバイクで出たのだが、いつもは人が少ない時間帯だというのに、今日はどこも買い物客で賑わっていたのだ。
どのレジも混雑していて、カゴの中を見るとみんな結構な量を買い込んでいる。
私も同じく。
それで、お正月に誰が来るの?
いや。
ウチは一人と一匹が暮らす分のいつもと同じ買い出しでいい。それなのに、非常食を買い揃えるかのように、なんだかあれやこれやといろいろ買い込んでいるのだった。
その昔、私が子供の頃のお正月は、スーパーも商店街も軒並み休みとなり、店によっては1月の6日になってもシャッターが下りたままの所もあった。だから、お正月は年末に買い込んだ食料でやりくりをするといった、サバイバルゲーム的な面もあり、母も安心の為の買い物をしていたようだった。
まだ私は、その頃の正月休みの呪縛から解き放たれていないのだ。
今は2日になれば、ウチの近くのスーパーは開いている。元旦でもコンビニが開いているので、お正月だからと言ってもう何の不便もない。それなのに、そのたった1日の「スーパーのお正月休み」が気になって、買いだめをしてしまう、そうしないとなんとなく自分も落ち着かないのだった。
まるで、外出時の女性のバッグの中みたいに、「一応、何かあったらいけないから」の備えのように、スーパーのカゴに物が入っている。
そうして。
3回、買い出しに出て3回共、買おうと思っていた「切り餅」を買い忘れて帰ってきていた。
これもまた、外出時の私のバッグ中身と同じ。
<こんなに余計なものを入れているというのに、肝心の@@を持って出るのを忘れてしまった。>
お正月は非常事態?
余計なものまで買い込んでいるように見える、人々の買い物カゴの中なのだ。


投稿日:2007年12月29日

2007年12月29日

夜、東側の通りで声がした。
「火の〜用心」
カンカン。
去年もそう言えば、こうして誰かが巡回をしていた。
どうしてもやらなければならないものではないだろうに。だけど、暗く寒い夜道をこうして巡回してくれる人が町内に居るというのは有りがたいことだ。
「火の〜用心」
カンカン。
実家に居た頃は、その後に「マッチ一本〜火事のもと〜」という声が聞こえたが、ここは聞こえてこない。マッチを使うことが生活の中でなくなり、この「マッチ一本〜」は、消えていったんだろう。
「火の〜用心」
カンカン。
ゆったりとした”間”をもって、部屋に小さく聞こえてくる。
あぁ、年の瀬ですね。
ごくろうさまとも声を掛けはしなかったけれど。
私も気をつけなくちゃ。
ね、ダンボ。
締まった雨戸の向こうを、右から左へゆっくりと、その声は動いて言って、小さく遠くに消えて行った。


投稿日:2007年12月28日

2007年12月28日

今日が仕事納めという会社は多いので、明日から年末年始のお休みになる人も多いのだ。
子供達はといえば、25日に終業式を終えてもう既に冬休みに入っている。大学生になるともう今月の頭から休みの学校もあるだろう。
世の中みんなお休みなのだ。
しかし、
「休み」って何なのだ。
休みの日に文字通りゆっくり休んでいる人は、どれぐらい居るんだろう。私が普段周りの人達から聞く話だって、休みの日は平日に出来なかった用事を片付ける日に充てられている様子。たまにどこかに出掛けたという話も聞くが、いずれにしても休む間もなく休みが終わるという休日を送っている人は相当居るということだ。
一年間そうしてきたのだから、せめて一年の終わりぐらいはのんびりと休めたら・・・と思いきや、日本全国津々浦々、疲れきった体に一番休めない休み、正月休みがどどーんとやって来るのである。
冬休みの宿題に換気扇の掃除、友だちとのスキー旅行に年賀状の仕上げにゴミ出しに買い出し、バイトにも行かなくちゃいけないし、おせちの用意もせにゃならん。銀行に行ってお金を引出して、カーテンを洗ってしめなわを飾って・・・、来年は初詣に、それから福袋を買いに行くんだったっけ。
この中で、自分に該当する項目を引っ張り出し、「休み」の間にするという過酷な休み・・・。
換気扇周りと切れた電球をかえるのは、オトーサン。
一年の最後に粉じんをいっぱい被り・・・
「やれやれ、風呂でも入るか。」
いえいえ、疲れ過ぎた体に熱い風呂は逆に危険です。
オトーサン、ガンバッテ。
年間で最も過労死に気をつけないといけないのが、年末ではないかと私は思うのだ。


投稿日:2007年12月27日

2007年12月27日

今の時期は、情報番組やニュースの情報コーナーでは、大掃除特集と題して掃除の裏技を紹介するコーナーが多くなるのだ。
例えば、「新聞紙をちぎったものを水に浸し、それを床に撒いてから掃除をすると、床の小さなゴミまで綺麗に取ることが出来る。」
「カーペットやラグの毛やホコリは、掃除機をかける前に亀の子タワシでこすると、より効果的。」
他にも、浴室のタイルの目地のカビ予防には「ロウソク」を塗る、とかキッチン排水溝のぬめりには10円玉数枚を入れておく、などの予防策なども紹介され、これらのすごい所は、身近にあるものを使って今すぐに出来るアイデアだということなのだ。
最初に思いついた人は、掃除中にどうしたらもっと効率良くこの掃除が終えられるのかについて、掃除中にあれこれと頭を捻っていたのである。そして、身の周りにあるものを使って簡単に出来る方法を考えついたのだ。
多分、それは一度目で成功したアイデアではなく、何度も失敗を経て得たものなんだろう。とはいえ、特に眉間に皺を寄せてアーティスト風に生んだといったピリピリ感はなく、心にゆとりを持ちながら試行錯誤を繰り返していたと思われる。
掃除をしている間、では私は何を考えていたのかを振り返ってみた。
床掃除の場合。
”ほこり、発見”
”ほこり、取れた”
”ここ、綺麗になった”
以下、その繰り返し。
私の頭ん中に詰まっていたのは、「アイデア」でなく、全て目に映ったものに対する単純な感想だった。しかも内容に成長はなく、昨日も今日も同じことしか考えていないということがわかったのだ。
冷蔵庫の中のもので、ちょちょいと何かを作ってしまう人と、掃除の裏技を見つけられる人のことを、私は本気で天才だと思っている。
私も頑張ろう。
身近なものを使って、今日からお掃除の達人に。
今日は試しに”かたくり粉”でレンジ周りのタイルをこすってみた。
が、効果は特になく、辺りが汚れただけで終わった。
お掃除の達人になるまでの道のり、遠し。いろいろ試すということは、リスクも抱えるということ。掃除のつもりが余計に汚れていくこともあるのだ。
ところで。今年は、あともう何日?
クリスマスが過ぎてから大晦日までの数日間、私は毎年お掃除の達人になるぞと決心しているのである。


投稿日:2007年12月26日

2007年12月26日

財布の中からこんにちは。
あら、あなたは福引き補助券さん。
<遅いよ、今頃>
昨日が福引きの最終日だった。夢の紙は期日を過ぎると、どこに持って行って出しても、店の人に困惑される紙切れとなる儚いものなのだ。たった一日違っただけで、もうどこにも使い道がなくなってしまった。
福引き補助券さん達は11月の終わり頃、みんな同じ顔に印刷をされてズラーーっと生まれてくる。
オギャー
生まれた時から「勝つ」ことだけを教えられ、後に始まる戦いに向けて一時みんなクリーニング店やパン屋さんやお肉屋さんなどに、それぞれ里子に出されるのである。
「お前と組めたらいいな。」
「おう、オレもそうだよ。」
「今日でお別れだな」
「お前はどこに行くんだ」
「薬屋で機を見る」
「そうか、オレは惣菜屋だ」
「とにかく、また会おう」
「おう、必ずな」
補助券さん達は、”なんとかレンジャー”みたいに、5人とか10人集まらないと戦いに挑めないので、再会を誓い合って別れたのであった。
私の財布に入った時、きっと思っただろう。
「オレは今日一歩前進した」
「待ってろよ、みんな」
すみませんね・・・・。
<なんで忘れたん>
う〜〜ん。
とにかくごめんなさいね。
せめて夢の島でみんなと再会して下さい。
ぽい。
”うっかり福引きが期日を過ぎてしまった。”
こんな時、残念がっているのは人間だけではない。一番ガッカリしているのは、この為にだけ生まれ、”なんとかレンジャー”にもなれずに用なしになった補助券さん達なのである。


投稿日:2007年12月25日

2007年12月25日

クリスマス。
バス通り沿いに年中クリスマスイルミネーションの家がある。去年の5月にここに引っ越して、その後このチカチカの家を見つけて以降、私は前を通る度にこの家を見てきたのだ。
蝉がジンジン鳴く中、チカチカ。
ウロコ雲広がる空の下、チカチカ。
晩秋になり、ようやくチカチカは季節に馴染み、私も安心して見られるようになったのだ。そして去年は、その頃からイルミネーションの数が増えて、キノコやコビトのライトに二階から架けられたチカチカ、電動で伸びたり縮んだりする光るサンタが設置されたのだった。信号待ちの間、驚いた顔でその家を見ている人の顔を私は何人も見たのだ。
クリスマスが終わり年が明けても、この家のチカチカは「メリークリスマス」と挨拶をしていた。梅が咲きウグイスがホーホケキョとやってもメリークリスマス。しかしその後、この家をよく見たら「謹賀新年」というイルミネーションもチカチカしていることを発見。もう桜の季節になってこの家がチカチカしていても、さほど驚くことはなくなっていったのだった。
雨にも負けず、風にも負けず。
今日もチカチカ、ご苦労さまです。
梅雨を越え、猛暑の中も光り続けて秋になり、やっともうすぐあなた達の出番になるよと、イルミネーションに心の中で話し掛けていたのだが。
この一家のイルミネーションブームは去年がピークだったと思われる。この一年は年中イルミネーションがついたまま、ちょっとずつチカチカの電球が切れて行った。去年異彩を放ったキノコの軍団と伸び縮みするサンタは、一年の間に西日に焼けてすっかり色褪せし、排気ガスでずず黒くなったまま、ついに旬のこの時期になってもチカチカと電気をつけることはなかった。
この家の子供達がサンタを信じていたのは、恐らく去年までだった。夢は今や完全になくなり、この家のイルミネーションは電球が切れた時点で終わるという、ただの生き残りイルミネーションの家となったのである。
サンタさん、もうお暇をもらって国にお帰りよ。
近所の人達が、しぼんだサンタの前を通りながら、一年間胸を痛めてきたことにはきっと気付いていないであろう、罪なこの家の家族なのであった。


投稿日:2007年12月23日

2007年12月23日

山口晶くんとのリハーサル。
今日は車で一緒にスタジオに行く予定、晶くんとY氏に家まで迎えに来てもらった。
家の前の角を曲がると、
「おーい」
道の向こうに晶くんが立って手を振っていた。
晶くんと会うのも久しぶり、電話やメールで会話はしていたが最後に会ったのが4月。半年以上も会っていなかったことになるのか・・・。
髪が少し短くなったかな。
お久しぶりと挨拶はしたものの、あまり間が開いている感じがしなかった。会った瞬間に気を使わずにいる自分に気付いて、「あぁ、気のおける仲間なんだなぁ」と、あらためて思ったのだった。
11月には自分のライブのピンチヒッターで急遽出てもらったりと、今年も晶くんには何かと無理を聞いてもらった。1月にはラジオの収録で観覧車にも一緒に乗ったっけ。結局半年以上会っていなかったが、今年の初めは晶くんと一緒に何かをして、一年の終わりも一緒に何かをする、そういう繋がりになったのだ。
リハーサルが始まって。
リハーサルが終わって。
スタジオを後にする。
会話ややることの中身は違うのだが、晶くんとの時間はいつも穏やかでゆっくり流れる。
3人でリハーサル帰りのなごんだ車を、晶くんは「黄昏ワゴン」と呼んでいる。
黄昏ワゴンは幸せワゴン。
そろそろ、お腹も空いてきたね。
日が沈んだ環七を走って行った。


投稿日:2007年12月22日

2007年12月22日

土日を平和だなと感じる時。
それは近くの幼稚園の前を通る時・・・・。
平日、ここの幼稚園の前の道は、午後のお迎えの時間になると、ママ達の自転車と走り回る幼児達によって占拠されるのだ。そしてママと子供により、この道は勝手に歩行者天国になるのだった。
誰が女子供をかよわい生き物だと言ったのか。幼稚園のお迎えの時間にここを通ると、女子供が地球を回していると私は確信する。
道の片側には自転車がズラリと並び、ママ達が道路の真ん中で井戸端会議をしている。「おにいちゃん」を待っている間に更に妹だか弟だかのミニ人間が、道をヨロヨロと走って来る。
ママ、ちゃんと見ていてくださいよ。
ママ、見ててってば!
ママはおしゃべりを始めると、視界が45度ぐらいにせばまる傾向にある。
あぶない!
一体、何をたくらんでいるのですか。
新手の当たり屋として取り締まってはもらえませんか。
彼等は半分宇宙人、何をしでかすかわからないので本当に怖い。スクールゾーンは子供でなく、こっちが危険を感じているゾーンなのだった。
今日は静かな幼稚園の前。
よかった〜。
安全をかみしめてブーンと通過する。
が、しかし。
宇宙人一派は、幼稚園が休みの時には出没場所が変わるだけ。
土日はあちこちの道や角が歩行者天国になるのであった。


投稿日:2007年12月21日

2007年12月21日

24日の「キャシーズソングラウンジ」のライブに、急遽参加することになったので、今日は急遽D−naughtとのリハーサルがあった。
何回、音楽と離れたかなぁ・・・。
離れては戻り、離れてはまた戻り・・・。
音楽と私。
病気が間に入るようになってから、妙な関係になった。
自分の意志がいくらあっても、遠く手の届かない場所に行ってしまう時がある。そうかと思えば、不意に目の前に戻って来る時もある。離れるのも、戻るのも、ここ数年私の意志は決定権を持たなかった。
それでも、
まだ縁があるのかな。
いや、「あるのかな」でなく「あるんだ」だと思おう。
縁は大事にした方がいい。
あまり深く考えずに。
4歳で初めてオルガンに触った。
「ド」のとなりは「レ」。
黒い鍵盤を弾く時は、手を奥に滑らせて。
そう習った。
久しぶりに鍵盤の前に座った。
「ド」のとなりは、今日も「レ」。
あなた達はとなり同士になってから、もうどれぐらいになるの。
離れてから気付くのでなく、
近くにいる時に大事に出来れば素晴らしい。
アガったり、緊張したり、そうじゃないもっと柔らかい気持ちで、縁あって出会った音楽と、付き合っていきたい。