Dーnaught、ワンマンライブ。昨日の最終リハーサルで最後の音チェックをしたが、今日のリハーサルも長時間をかけてやる。
私はかつてあがり症だった。
だいぶ治ったのは、10年程前に先輩ミュージシャンが話して下さったあることがきっかけなのだ。
その先輩ミュージシャンは当時既にいろんな現場をされていて、いつも平静で動じず見た目もその頃かなりブっとんだ感じの方だったが、一度とても緊張をする仕事場があったのだそうだ。
「えー!で、どうされたんですかぁ」と、私。
「今まで何十年もオレは練習をしてきたんだ。他はダメだったがコレだけは真面目にやってきたんだぞ。だからきっと出来る、出来る。」
と、呪文のように自分に唱えたら全部フっ切れたよと言われて、妙に納得をしたのだ。
私も、音楽に対する一途感については、今までの人生においてはまぁまぁあるんじゃないかなという思いはある。高校生の頃は、音楽を頑張ってするのなら恋愛にうつつを抜かしてはいかんと、勝手に自分に「恋愛禁止令」を出していたこともあったし、バイトはバンドの練習が入ると休むので転々としていたっけ。
もろもろ、「他はダメだったが、コレだけは真面目にやってきたんだぞ」という部分については、先輩と一緒だ。なので自分が緊張に押し潰されそうになる時には、先輩の方法を思い出すようになったのだった。
私には「音楽をやっている」ことで、あきらめた今でも悔いがちょっと残っていることがある。
それは、アルバイトニュース等に載っていた「長野で夏の1ヶ月、住み込みでアルバイトをしませんか」「スキー場での住み込みのバイト募集。若い仲間達と楽しく働いてみませんか」といった、長期住み込みバイトというのをやってみたかったというものであった。
牧草地に寝転んで雲が流れていくのを見てみたかった。
流れ星が夜空を流れるのを数えてみたかった。
実家のトイレの掃除はしなくても、牛の糞は他県に来たという喜びで苦なくやっていただろう。
東京の大学生と付き合って遠距離恋愛もしてみたかった。
今、あぁいう所に行けても、使えないおばちゃんとしてしか自分は存在しなくなる。
私が「音楽を頑張った」と思う時は、青春時代に住み込みバイトに行きたかったのをあきらめたのを思い出す時なのである。
ライブ前に、こうして何故か一人長野の山を想像して座っている時がある。
メンバーのko−派くんが「吉川さん、緊張してますねー。へへ」と笑う。
いえ、違うんです。最初緊張していましたが、今は青春時代の思い出に浸っているんです。邪魔しないで下さい。
ライブ前、私は楽屋でジっと座っています。
こんな時はたいてい生き霊を飛ばしている。夏の長野の高原の上で、私は「ヤッホー!」と叫んでいるのである。
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2008年05月30日
最近、化粧品コーナーにある品がすっかりキラキラピカピカ系になった。
男性にはあまりこの変化はわからないだろうが、コンパクトなどのケースが、どこのメーカーのものもお姫さまが持っていそうなキラキラ感のあるデザインに軒並み変わっているのだ。
ちょっとチープな匂いのするキラキラピカピカ系。で、女のコ達にとっては、この敢えて本物ではない所がまた可愛かったりするのだ。
携帯もそう言えば、こういうシールが沢山出ている。ハンドメイド資材のデパート、ユザワヤにもかつてはなかったキラピカデコレーションキットのコーナーが設置されているので、全般的に女子グッズはキラピカブームなのだと思う。
本物の宝石のような高級感とは違って、幼稚園の頃に買ってもらったようなおもちゃのネックレスやハンドバッグにテイストは似ている。
そしてこのキラキラピカピカブームによって、キラキラ好きの私は明るい電気に吸い寄せられる虫のように、前に立ち止まってキラキラピカピカを嬉しそうに眺めるようになったのであった。
「わー。きらきらぴかぴか」
「だーいすき」
「こっちもさわろう」
「わ、これも。」
で、ふと我に返る。
<あっ>
<あかん、つい少女になってもうた>
鏡を見て現実に戻りようやく売り場を離れるのだが、どうも私は”光りもの”に弱いようである。
キラキラピカピカ。
男性にはほぼ用のない化粧品売り場。
どんな状態なのかを一言で説明するなら・・・、今あそこはサバ寿司みたいな品が一杯陳列してあるということなのである。
2008年05月29日
渋谷のセンター街で道がわからなくなったので、誰かに尋ねようとした。
こんな時、何となく男性には声が掛けづらい。20代〜40代ぐらいの女性がいいなと思うのだが、こういう風に、道を歩いていて逆に自分が声を掛けられる側になるとすると、”何をお願いされるんだろう”とまず警戒をして、笑顔はなくなる。そして出来れば立ち止まらずにここをすりぬけたいと思う。
だから、声を掛ける側になると冷たくされるのは必至のことなのだ。
まず・・・・「すみません」と言って頭を下げて通行人に声を掛けてみるが、冷たくされる。するとその光景を遠くに見た人が「アイツ、要注意だな」と思う。で、その人がこっちに歩いて来たと思って声を掛けると、完全無視をくらい・・・。その姿を見た人がまた関わりたくないと思う。で、今度は50メートルぐらい手前からもう”話し掛けないでオーラ”をプンプンと放たれ・・・・。
そし〜て、僕は途方に暮れ〜る〜♪
のであった。
都会で道を尋ねる時は、「すみません」の後に間を置いてはいけない。「すみませんみちをおたずねしたいんですが!」と、十分強引な道の尋ね方をしなければ道は開けないのだ。
「すみませんみちをおたずねしたいんですが!」と言いながら更に「私は怪しい者ではございません。ほんの1分弱それきりのお付き合いで後くされ一切なしです」という文章をテレパシーで送る。
結局二人組のギャルが足を止めずに「あっちの方〜」とだけ教えてくれたのが唯一で、「あっちの方」ではさすがにわからない。
あっちってどこ。
なんじゃもう!
いいわ。
自力で探そ。
小雨が午後の渋谷に降っていた。
能面のような顔をして歩きつつも、心は雨に打たれた迷子の子猫ちゃんなのであった。
2008年05月28日
Dーnaughtのリハーサル。
事前にメンバーの方からセッティング案をもらっていて、今回のライブはTom−oくんのDJブースとキーボードセットが、それぞれかなり機材に囲まれた基地になっている。
キーボードエリアはキーボードが4台、他はコーラスマイク、ピアニカを使用するのと、初アイテムとしては小物パーカッションも加わったことだ。昨日楽器屋さんに行って初めてパーカッション売り場に足を踏み入れたのだが、タンバリンは各種振ってみて全部音が違うことを知った。あれは形と色の違いぐらいしかないのだと思っていたら音色の高さや雰囲気が一つ一つ違っていたのだ。
「シャリン」「ジャン」「ジョリン」などそれぞれ音が随分違う。いろいろ触らせてもらって「ジャリン」と音のするタンバリンを購入して、ドラムのシンバルのようにスタンドにつけて使用する形にした。
私の今回の機材は多分今までで一番使用楽器が多く、ふと休憩時間にセットしてある自分の機材達を見たら、何故か10代の頃に毎日のように自分の日記に、「頑張って練習をしてプロのキーボーディストになりたいです」と書いていたことを思い出した。
Dーnaughtのライブ用の音源作りや手直し、自分のライブやレコーディングのこともやることが尽きないので、少し忙しい日々が続いているが、それでも10代の頃のあの私が嬉しそうに笑っている。
一緒に頑張ろう。
ね。
今日も一日が駆け足で過ぎていった。
2008年05月27日
パソコンの液晶がチラチラし始めてから、日にちが経ってきた。
そんな大事なものが壊れかかっているというのに、今度はそれを修理に出して手元から一日でも離れるのが憂鬱で、何となく対処を先のばしにしているという矛盾した状態が続いているのだった。
フっ。
フワっ。
液晶がフワっとすると、私はそれを凝視している。凝視してどうなるわけでもないのに、ジっと見つめてまた安定するまで目をそらさずにそこで私も動きを止めていて、こういうことをするからより画面を見て目が疲れて行くんだろう。
虫歯だって自然に治らない。
液晶も、自然には直らないのだ。
今見積もりを出してもらった修理会社は代替えのパソコンを貸してくれる所なので、全くのパソコンがない生活にはならない。それに今使っているのも修理に出せば必ずよくなるのに、それでも無意味にぐずぐずしてしまう。
フっ。
フワっ。
液晶がフワフワするとジっと動かなくなる私。
「だ〜るまさんが、こーろんだ!」
もうパソコンとこうして遊んでいる場合じゃないのだ。
日が暮れても、毎日部屋ん中で「だるまさんがころんだ」をやっている。
だけど。
もし私が動いたらどうなるの。
鬼に捕まえられて、それでどうなるのですか。
パソコンの画面から手がヌっと出て来て、私は食べられて居なくなってしまうのかもしれない。
フっ。
フワっ。
私は身動ぎもせずパソコンを凝視している。
パソコンに喰われてなるものか。
”液晶のチラチラ”は近頃、だんだんホラーチックな展開になってきたのである。
2008年05月26日
新しく買った音源ソフトが上手く動かず、解決出来ないまま土日が過ぎた。
ようやく今日はお客様センターに繋がる。
朝ご飯を食べ終えて、メールチェック後に早速電話を掛けてみたのだった。
「もしもし」
私は基本的に音楽ソフトの会社の電話対応係の人は嫌いなのだ。専門的な分野だからなのか、対応が初心者にでもわかるような優しさに少々欠けると感じたことが何度かあった。専門用語と専門用語を繋げて話されてもわからない時があるのだ。それで話が通じないとなると鼻で笑ったりする輩まで居る。初心者を導いてなんぼだろう!と言いたくなるが、こんな風に嫌みな天才が窓口に出ることが多いのだ。
「もしもし」
今日は声の小さい天才が出た。昨日一昨日と休みがあったんだろう。月曜日の朝からは切り替えてお仕事頑張ろうよと言いたくなるぐらい覇気がない。そうしてやはり天才だったが、初心者にはわからない答え方しかしてくれず、いくらかの説明をサササっとして後はこの手順で出来ると思いますよ。と言って電話を切る方向に仕向けるのであった。
そんな・・・・。
冷たすぎない?
電話を切った後で言われた通りにやってみたが、まだ解決しない。さっきの電話が冷たかったのでもう一度電話を掛ける勇気がなくなっていたが、悩んだ末また電話をすることにした。
「もしもし」
あれ。
今度はさっきの人じゃなかった。
一人目の彼とは違って、今度の人は説明が上手な人だ。うんうん。そうなんだ。そっかー。うん、言う通りにする〜。さっきの人が冷たかったので、すぐに私は心を開いておった。
彼ってとっても頼れる人!
なんだか辛い恋の後にすごく素敵な出会いを得たような充実感。
彼に出会えて本当によかった!
と、思っていたのだが最後の最後になってちょびっと割愛が入り、後の手順だけ教えてくれて、急に彼ともなんとなく別れることになったのであった。
みき、英語がよくわかんないんだもん。
彼がいた時はあんなにスムーズに事が進んでいたのいうのに、一人になるとまたつまづいて先に進めない。初心者はとにかく応用がきかないのである。なんで彼はあともうちょっとだったのに、私を捨てて去ってしまったのか。
彼が恋しい・・・・。
もう一度やり直せないの?私達。
と、思ったら時刻は12時を回っていた。お客様センターは1時間の昼休みになり、この間は無情にも電話が通じないのである。
昼休みをはさんでまた電話攻撃をする。
「もしもし」
今度は声の小さい元彼が電話に出た。ここはもしかしたら二人で電話を取っているのだろうか。「彼に代わって!」と言えずにまた元彼とやり直すことにしたが、専門用語や略語で話すこの彼とはやっぱり会話がスムーズに運ばないのだった。
教えてよ。
私からのリクエストはそれだけなのだ。
全部で5回ぐらい電話をしたと思う。今回の件は最後までメーカーの人に付き合ってもらわなければ解決しないというパターンだったと思う。向こうも疲れただろうが私も疲れたのだ。
だが。
ソフトが目出度く動き始めた。
素晴らしい。
どんなに辛い恋にだって、
そうよ、明日は来るの。
急に去って行った彼のことや、天才だが冷たかった彼のことをもう忘れて、私はまた新しい人生の一歩を踏み出したのであった。
2008年05月25日
家の電話には、3種類の電話が掛かってくる。
一つは私宛ての電話。もう一つは普通の間違い電話。そしてもう一つはどういう所なのかしくみがわからないが、知らない女性とエッチなお話が出来る場所だと思って掛けてくる男性からの間違い電話。
引っ越して初めて掛かってきた電話が「2ショットテレクラですか」というもので、この間違い電話が今も絶えないのだが、もう最近は電話を取った時に3つのどれに当たるのかが電話口でわかるぐらいになったのだ。
1はこちらが「もしもし」と出ると普通のテンポで先方は話し出す。2は一瞬間があってそのあとに弾んだ声で間違えましたと言われたり、@@さんですかと尋ねられる。そして3は間がだいぶ開く。何も言わずに切ったりまたすぐに掛けてきて最後にはテレホンなんとかではないのですかと尋ねてきたり、どういうシステムですかと言われるのだ。3は必ず男性で少しドキドキしながら電話をしてきたという緊張感が漂っている。相手が電話に出た!というドキドキが何故か伝わってくるのだ。
今日は、電話を取った時に「あぁ、3だな」とわかった。緊張した間が数秒あって、もういつものことなので”このまま切るのかな”と思っていたら、小さな声でその男性は「田中さんですか」と私に尋ねたのだった。
「いいえ、違いますよ」と答えるとすみませんでしたと男性は言ってそれで電話は終わった。
恐らく3のパターンだろう。電話を切ってそう思ってまた用事に戻る。
するとまた電話が鳴った。
「もしもし」
私が答えるとまた今の男性だったが、今度はすごく明るかった。
「あれっ!すみません!!」
2も3も再度掛かってくることはよくある。男性の声を聞いて、あぁ本当にこの人は田中さんの家の電話番号と間違えた人だったんだと理解したのだった。
「あ、はい。いいですよ」
さわやかに電話を切ると、また静寂が戻ってきた。
今、私は仕事中なんです。
集中している所、中断するのは本当はちょっぴり迷惑。さ、また気を取り直していきましょう。
10分後。
電話が鳴った。
「もしもし」
出るとまたさっきの男性だった。
今度は2回目の電話の爽やかさは消え・・・、
「あのう・・・。」
「エッチしませんか」
「は!?」
思わず脱力した。
なんてややこしい。
おどおどしてみたり、爽やかに振る舞ってみたり。
でも最後は結局そういうことなのか。
「番号、お間違えですよ」
そう答えて電話を切ると、もうその後は掛かって来なかった。
しかしこの人はこんなことで10分位、また電話を掛けようかどうしようか迷っていたのか。
きっとこの人は知らない人間にはいきなりこんなことが言えるが、好きな人には結局好きとも言えないままだったりするのだろう。
で、電話を切ったあとどうしたんだろう。
これで終わり?
腹減ったなーとすっかり切りかわってラーメンでも食べるんだろうか。
どうしているのか、想像不能。
私だったら、こんなややこしいことはしない。
男の人の習性がますますわからないのであった。
2008年05月24日
サンプルタンクという音源ソフトが届いた。
これはパソコンにインストールして使うもので、この土日で稼働させたいなと思っていたが、インストールが上手く行かずその先に進まないのであった。
なぜ。
なんで。
多分なのだが、原因は一つ考えられる。それは届いたソフトが自分が注文をした品よりバージョンが上がっており、それだと今度は自分のパソコンが上手く作動しないのだ。
メカが壊れたら叩いて直そうとするほぼゴリラな私が、冷静にそんな推理が出来るようになっただなんて、ものすごく成長をしたと我ながら思う。
うーーむ。
でも。
だからと言ってどうすればよい。
だいたいその推理が合っているのかどうかが、まだわからないのだ。ここのソフト会社は土日は休みになっているので、お客さまセンターも月曜日にならないと開かない。
よくわからないが、それでもあれこれトライしてみる。だがこういうソフトは、登録やら使い方やら、いつも英語の画面が出てきて疑問文で聞いてくるのだ。
英語はよくわからないんですよ。
二者択一なので、50%の確率の当てずっぽうでクリックをしているが、選択に失敗をしてたまに突然外に放り出されたりしているのだった。
はぁーーあ。
自分の家に居ながらにして迷子になったような心細さに覆われる。
「あともう一回だけ頑張ろう」
こんなもの、そこの会社の人ならちょちょいのちょいでトラブル解決をしてしまえるんだろう。だがその人達は今日は会社が休みで横浜にでもドライブに出掛けているのかもしれない。
何回頑張ってもダメであった。
メカに弱い人間はインストールなどをする”お日柄”は選んだ方がよい。お客さまセンターに電話が繋がる日程で事を進めるべし。
土日はDIYかガーデニングに費やすのが、やはりいい時間の使い方なのだということが、今日は身にしみてわかったのであった。
2008年05月23日
夜、bassの植田くんの家のポストに、データと譜面を入れにバイクで出掛けた。
東京に来てから、こんな仕事があるんだと驚いたものに「バイク便」という仕事がある。4000円ぐらいだったかの値段でその日に集荷に来てもらってそのままバイクの人が、物を届けに行ってくれるという超特急便で、高額な料金なので自分では利用をしたことはないが、バイク便で急ぎの資料を受け取ったり、バイク便で納品をして下さいという指示で利用したことはあるのだ。
都内の道路ではこのバイク便の人をよく見掛けるので、需要は結構あるのだろう。
音楽データは最近は「宅ファイル便」「ファイルオクール」などで送れるようになり、バイク便を使うことはほぼなくなったが、今日は譜面もあったのでバイクで届けることにしたのだった。
セルフバイク便。
夜も10時台となったので、資料を投函したらメールで「入れたよ」と連絡をすることになっている。
のだったが、
セルフバイク便、詰め甘し。
植田くんの家が近くなって来た時に、度々家を訪ねているにもかかわらず、部屋番号が何番なのかを忘れてしまったのだった。
多分、201。
いや、多分じゃダメだ。
何番だったかな。
いつも何かしら抜けていて人に迷惑をかけているので、ここはなんとか、また「部屋番号、忘れちゃった」などといった間抜けな連絡をするのは避けたい。
結局部屋番号を思い出せないまま、植田くんの家に着き、ポストに名前が書いてあることに望みを繋いで、マンションに入って行ったのだった。
すると。
なんとラッキー。
マンションのゴミ置き場にゴミ捨てをしに、まさに本人がこっちに向かって歩いて来るではないか。しかも夫婦揃って本当に「バッタリ鉢合わせ」ぐらいのタイミングで偶然に会えたのだった。
向こうからは<ヘルメットをかぶった配達の人っぽい人が、こっちを見てニコニコして>見えたのだそうだった。
はい、まさしく私はその「配達の人」です。
二人はそのまま散歩に出るところだったそうなので、あそこで会えなかったら携帯に電話をしても通じず、すごすごと家に帰るしかなかったのかもしれない。
本日はナイスタイミングで事が運んだ。
素晴らしい。
例え「仏滅」でも、このように良い形で一日が終わることがある。お手本のような日であった。
2008年05月22日
ただいま。
ただいま!
ただいま〜
おーい。
<シーーーン>
おかしいな。
私は犬と暮らしているはずなのだが。
今日もちょびっと侘しい気持ちになる。
私は今まで3匹の犬と一緒に暮らしたことがあり、ダンボは4匹目のワンコになるが、家人が外から帰って来ても完全無視をする犬はダンボが初めてなのである。
犬って、誰かが帰って来たら尻尾を振って喜んで迎えてくれるのではなかったか。
もちろん私が帰って来たことは気付いているはずなのだ。だっていつも一緒に居る時には、ほんのささいな音にも反応をして真っ先に吠えながら飛んで行く。だが、ダンボは私が家に帰って来た時には、布団から出て来てくれもしない。私が家に帰って来たことに対して、全くリアクションがないのであった。
最初の頃は、ダンボの具合いが悪くなったかもしかして死んでしまったのかもしれないと思って、必死にダンボの名前を呼んで探した。あちこち探した後で布団をめくると、漬物石のようにデンとある犬の姿が目に入る。目だけこっちにやるが、寝ていたのに邪魔をされたといういかにも欝しい顔でそのまま動かないダンボが居たのだった。
だが、ヒーターのスイッチを入れると0秒で布団からいきなり飛んで来る。
「うれしい!帰って来てくれたんだー」と、飛び跳ねて私にジャレて来る。
「オヤツ」という言葉を口にしても、0秒で布団からピョーンと飛んで来る。
だが、「私が家に帰って来た」ということは、ダンボにとっては価値がないらしく、まず布団から出て来ない。そうして10分位何のリアクションもなく、その後ようやく足元にやってきて、急に「嬉しい。帰ってきたんだー」と軽い挨拶をしに来るのであった。
ダンボ。
ただいま。
帰ったよー。
ダンボちゃん。
しーーーーん。
この頃はヒーターのスイッチを入れなくなったので、コンスタントにもうワンコのお迎えはない状態となった。
なんでダンボは無視をするんだろう。
犬のしつけの本にも載っていないケース。
私は基本的に用なし。か・・・・。
真冬よりも寒い、帰宅時の我が家の風景なのであった。