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投稿日:2012年03月22日

2012年03月22日

昨夜はクタクタに疲れていたようで、帰ってからすぐに寝てしまった。
父しげおっちはやはり私が帰ると早速、待っていましたとばかりに「ワシの話」を話し出していた。
「ちょ、ちょっと横になってもいいかなぁ」
かなり私はくたびれた顔をしていたようで、一応父も若干気をつかっているようだったが、簡単に解放してはもらえないのである。
「横になってからでええわ。そのあと話聞いてーな」
こうして私がくたびれていようとおかまいなしに、また父は「最近のワシ」について話すのであった。
応接室の床に布団を敷き、そこでウトウトしながらなんとなく愚痴を聞く。
「ふん」
「はぁ」
相づちを打ってはいるのだが、それが話し手にすれば物足りないらしく、「ほんでな」と言いながら、しげおっちは座っていた椅子から移動をして枕元に座って話しを続けるのだった。
「ちょっと。あんた。聞いてるの」
寝させてくれー。
頭の中に言葉が既に飽和してハエのようにブンブン飛び回る現象が、いつもより早く訪れる。疲れているのでギブアップも早いのだ。
「おとうさん、話は明日の朝ちゃんと聞くから明日にしようよ」
父は「つまらない」と口にしたがめずらしく引き下がり、そして今朝「お父さん、では9時になったらお話を聞きましょう。」と8時に起きてからそのように提案をしたのだった。
愚痴や話し合いは夜にしてはいけない。
結果、素晴らしい驚きである。
今朝、そのように時間を決めて朝の時間帯に「好きなだけしゃべってもいいコーナー」を設けることによって、びっくりするほどしげおっちの話は普通の長さに収まったのである。
これからはこの作戦で行こう。
しつこい話し相手に対峙するには「朝」がよい。ゴールデンウィークに帰った時もこのテで行くのだ。
実家の辺りも建て替えや売りに出されたりで、住んでいる人達の顔ぶれもちょこっとずつ変わってきた。
でも時間は東京での生活よりのんびり穏やかに過ぎている気がする。
今日は帰京日。
また東京での日常に戻るのだ。


投稿日:2012年03月21日

2012年03月21日

今日は久しぶりにライブの後一日を空けていたので、京都観光をして実家に戻る予定だ。
今回同行してもらったSさんは、それほど京都に滞在したことがないということで、銀閣寺や哲学の道や京大の辺りを案内するつもりでいたのだ。だが、昨夜の打ち上げで京都人の3人から「おすすめは伏見!」と揃って聞かされた。
え!伏見!?
伏見近辺は全く考えてもいなかったが、「今位の時期の通の京都めぐり」はココがおすすめだということで、昼食の美味しい店まで紹介してもらい、それで私も行ったことのない伏見の酒蔵や寺田屋の辺りに行くことに急遽変更をしたのだった。
ホテルを出て道中、東寺の弘法市に寄る。
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毎月21日は「弘法さん」の日、境内では骨董や古着屋いろんな出店が並んで賑やかな縁日の日なのだ。木細工の昆虫のお店で買おうかかなり迷ったあと、またブラブラとする。器など小物もあるが、古い掛け時計や箪笥などの少し大きなものもある。可愛いアコーディオンを見つけてまた足を止める。また後ろ髪ひかれながらも後にする。
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カブトの横にはキューピー人形。このごった煮な感じが楽しい。
今日は青い空がまぶしいぐらい天気のいい京都だ。
お昼ご飯は、昨日京都人のOちゃんに「絶対に行ってみて!」とおすすめされた「鳥せい本店」へ。東寺から車で20分ぐらいだろうか?もう既に伏見の酒蔵近辺は独特な景観で「通の京都」の中に居たのだ。
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お昼を終えたら酒蔵の辺りをブラっと歩いて疎水の方へ。
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舟に乗れると聞いていたが、今日はお休みの様子。でも屋形船が泊まっていて今後の運行の予定が張ってあった。風情あるエリアだ。
その後、寺田屋へ。
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中は宿泊も出来るらしい。
だから閉館時間が早いのかもしれない。移築されたそうで、当時の建物のままというわけではないそうだが、弾痕があったりちょこっと複雑な館の間取りなども楽しめた。
夜は以前からいつか時間を作って行きたいと思っていた、寺町四条を上がった所にある「キムラすき焼き店」へ。ここは私が20代の頃、キーボード講師をしていた時の生徒さんだったKくんのご実家で当時高校生だったKくんも今は家業を継いでお店を切り盛りしている。店に入ると靴を脱いで階段を上がる。畳の間があってちょっと寺田屋の部屋にもダブる雰囲気のあるレトロな店内だ。
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Kくんにも会えたし、それにすき焼きもとっても美味しかった。
あぁ〜あ。楽しかった。丸一日、京都を満喫した気がする。
Y氏とSさんはこのあと、どこに飲みに行くのかでもう既に解放感あふれる様子だったが、私にはこのあと実家に帰ってしげおっちの「ワシの話」を聞くという大きな苦行が待っているのである。さんざん帰りたくないとブツブツ言いながら2人とは別れて、阪急電車に一人乗った。
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いつからだろう。駅が新しく一つ増えていた。
これが意外と最近のことでなく、もう10年以上前の出来事だったりするから、たまに浦島太郎気分を大いに味わうことになるのだ。
木目調の阪急電車は大好きな電車。
帰ってきたよ。
また懐かしい実家へ。


投稿日:2012年03月20日

2012年03月20日

本日、京都拾得にて「吉川みき with friends special session」。昔からの音楽仲間10人に参加をしてもらってのライブをした。
拾得は蔵を使ったライブハウス。京都の大学に通い始めて知ったいかにも京都のライブハウスらしい小屋で、「ライブハウスってどうしたら出られるの?」と憧れるようになったライブハウスがここ、拾得だった。
ある日、勇気を出してお店を訪ねた。店主のテリーさんに「どうやったら出させてもらえるんですか」と尋ねたら、デモテープを持って来て下さいといきなりの訪問にもかかわらず、ちゃんと対応してもらえた。もしあの時ぞんざいな対応をされていたらギリギリの勇気は打ち砕かれてまたその後の私自身の道も変わっていたかもしれない。
そうしてデモテープを作り、テリーさんに聞いてもらい、私は念願のライブハウスデビューを果たしたのだった。
あれが原点。そしてそれから本当に沢山の出会いに恵まれて今日も音楽を続けられている私がいる。数年ぐらい前から、拾得でライブがしたいなと思っていたが今年は黒川あっちゃんとの2マンライブと、そして今日のwith friendsのライブの私にとってやりたかった京都でのライブが実現するので、とても楽しみにしていたのだった。
頻繁に会わなくても、またこうして再会をして「今」を共有し合える喜び。今の年齢だからこそ感慨深く大事に思えたりもするだろう。そして、血がつながっているわけでもないこの友人達がとても身近で大事な人だったんだということに気づいたりもする。ご縁がある人ってきっといるんだなぁと最近はよく思う。顔見知りになることも、すれ違うこともなく同じ時を生きながら出会わない人の多さに比べて、どこかで出会い、何かしらの思い出を持ち、ぽつりぽつりと人生のどこかしらで再会をしながら関わって過ごす人がみんな誰しも居るのだ。
出会った場所や時期が少しずつ違えど、今日のこの会場は出演者、お客さん、スタッフ関係者みんなが、何かしらで繋がっている。それもあったかい何かで繋がっている。
拾得に入るといつも蔵独特のひんやりした空気をまず最初に感じていた。
白熱灯の明かりがあったかく、ずっと前に店内に張ってあった幽霊の掛け軸はなくなっていた。「電気ブランあります」の張り紙もなくなっていたけれど、変わらない拾得の店内で、ライブを終えたあとも今と昔が行き来するそんな時間だった。


投稿日:2012年03月17日

2012年03月17日

よく「しゃっくり」が止まらない時には、周りの誰かに「ワッ!」と驚かしてもらったり、息を止めてみたりと、”しゃっくりに効く”と言われている方法も試したものだった。
しゃっくりが一日じゅう続いたら死んでしまうんだって。
誰かがそう言っていたことがあって、しばらく止まらない時にはちょっとドキドキしたりもしたっけ。
しゃっくりは横隔膜がけいれんを起こすことで起きるのだ。と、聞いていた。一昨年の手術の時に、両方の横隔膜が既に麻痺をして機能していなかったことを教えてもらってから、しゃっくりはもう二度と起きないのだなぁといいことのようなそうでないことのようなちょこっと複雑な思いになっていたのだった。
そう言えば、もう10年以上しゃっくりをしていない。
と、思っていたのだったが・・・・。
数ヶ月程前に一度だけしゃっくり現象が起こった。
「ひっく・・」
あれ?
今のはしゃっくり?
次を構えて待ってみる。
が、それはその一回だけであった。
しかしそれを機に一回だけのしゃっくりが一ヶ月に一度程出るようになった。
そして今日。
もう何年ぶりになるだろう。久しぶりにしゃっくりが止まらないということが起きたのだった。
しゃっくりは横隔膜がけいれんして起こるのだが、厳密には他の呼吸補助筋がけいれんを起こして起きることもあり、横隔膜がもうない今の状況からすれば後者がけいれんを起こしたと思われる。
<わぁ、しゃっくりって久しぶりだなぁ>
あんな鬱陶しかったしゃっくりが今日はそうでもなく感じる。そうして同時に私の身体のどこかの筋肉が横隔膜筋の分まで働いてくれていることを自覚したのだった。
声が出なかった私の身体。
左側の声帯含め、かつては私の声を出していたパーツたちのいくつかはもう動かなくなり、更に肺の一部もなくなっているのだが、10年の月日をかけてゆっくりゆっくり他のパーツ達がもう動かなくなってしまったパーツの働きを独自で学習をして、そうして今は「昔の声に戻った」と友人からは言ってもらったりするのだ。
つくづく、人間の身体のすごい力を感じる。
そしてそれに習って私も、個々の力はその人自身の持ち物で成長させたり進化させるのだということを肝に命じて、いわゆる一般的な方法にマスキングされてしまわないように、それから持論にも覆われてしまわないように、そんな目で物事や人を見つめていかなきゃいけないなぁと思うのだった。
しゃっくりって鬱陶しい。
ほんと、鬱陶しい。
あぁ〜あ、止まってよかった。
幸せな不満をつぶやいて、私は一人笑顔になっていた。


投稿日:2012年03月16日

2012年03月16日

妹からメールが来た。
来週ライブで関西に戻るので、その時に実家に帰ると知ってのことだとは思うのだが・・・・。
読んでみるとやはりそうであった。
父しげおっちは今実家で一人暮らしをしている。隣町に住む妹が度々今後のことについて話をしているのだが、「ワシ」は今の家での一人暮らしがいいらしい。去年の正月には妹一家の家で賑やかなお正月を迎えたはずだったのだが、テレビのチャンネル権がないことを不満に早々に実家に戻っており、その割にはちょっとしたことで妹を電話で呼びつけているらしい。内容は他愛のないことばかり、いや「ワシの身体の調子が悪い話」ばかり。これはもう私が中学3年生の頃からこんな感じなので、聞いているほうとしてはうんざりしてくるのだ。
こうしてずーっと私達娘に、聞いていてもつまらないだけの「ワシの暗い話」を話してきたしげおっちだが、今度は孫に対しても同じようにやっているらしく、ついに妹のメールではもう孫達にも煙たがられているらしい。
で、妹から直々のお願いで、今度帰ったらおねえちゃんが少しじいちゃんと話をしてはくれませんか。
ということだった。
どんより。どんよりする。
しげおっちは本当によくしゃべるじじいなのだ。会話のキャッチボールはない。延々「ワシの暗い病気の話」について聞かされる拷問なので、ライブに行く楽しみの上に重たくのしかかる暗雲となって私をくらーくさせるのだ。
あのエネルギーの吸い取られ方は尋常でない。しげおっちは私にいつまでしゃべるかと言えば、いよいよ言葉が飽和して頭の中をハエが飛ぶように回り出し「具合が悪くなったのでもう話をやめてもらってもいいですか」とギブアップするまで、「ワシは調子が悪い」と言い続けるのだ。アンタよりよっぽどワシの方が調子が悪い。そう腹ん中で叫び続けながらジっと耐える苦行が待っているのか・・・。
どよ〜ん。
メールをもらった時、ババを引いた感覚になった。
あぁああっ、引いてもうた!!
ババを引いた私は、来週ジジに会いに行くしか道はないのである。


投稿日:2012年03月15日

2012年03月15日

今度のライブの個人練習をしに行った帰りにミスタードーナツに寄ってみた。
思えばミスドは私が高校生の頃から通った店だった。
当時はいくら以上購入をしたらもらえるというカードの点数を集めて、グッズをもらうのがささやかな夢で実際にグッズは雑貨として可愛かったし、周りの友達もみんな夢中になるプレゼントだった。お弁当箱に水筒、ミニバッグに・・・etc。もしかしたら実家のどこかにまだ何かは残っているかもしれない。
私が高校生の時から好きなのは「エンゼルフレンチ」と「エンゼルクリーム」もうなくなってしまったようだが、かつては「ヨーグルトクリーム」という名前のものも確かあったと思う。今でもエンゼルフレンチとエンゼルクリームは買うので、私は食べ物に関しては全く冒険心がなく延々気に入ったものを食べ続けると思われる。だからもしも仮に「笹」が好きだったら、それこそパンダの食生活になっていたのだ。
オールドファッションは若い頃は喉を通る時のカサカサした感じがどうも重たくて、好きじゃなかった。せっかくクリームがいっぱい入っているドーナツがあるのに、どうしてこれを頼む人がいるのか理解出来なかった程だが今はオールドファッションもよく買う。
高校生の頃は電車に乗って高槻駅のバス通りの南の店によく行ったなぁ。
大学時代には北大路店には夜中に仲間と行ったし、それでももっとよく行ったのは河原町今出川の女子大生の人気パスタ店「セカンドハウス」の隣りのミスド。セカンドハウスで食べたあと、友達と他愛のないおしゃべりの続きを楽しんだものだった。
同じ味がするなぁ。
きっと好きなドーナツは、今後も変わらないだろう。
懐かしめる店があるのはいいな。
限定商品の桜フレンチを食べたらちょっぴり酸っぱくて、大好きだったヨーグルトクリームを思い出していた。


投稿日:2012年03月14日

2012年03月14日

夕方、税務署が閉まる少し前に滑り込みで確定申告をしにやってきた。
ホッ。
セーフ。
最近宿題をギリギリまで放っておくということはなくなった私だが、今日は全部仕上がっていない状況でとりあえずは税務署が閉まってしまってはいけないと、未完成のままいくつかの計算を残してやってきたのだ。
手順はわかっているから、あとは時間がなくて書けなかった部分の記入をすればいい。人がまだこんなに居るのなら安心してゆっくり記入出来る。よかった・・・。
と、思って書類を鞄から出してみたら、書き方の手引きを家に忘れて来たことに気がついたのであった。
確定申告、一体何年目なのだ。もう手引きなんてなくても書けたっていいんじゃないの。そう言い聞かせて思い出そうとするのだが、微妙に記入箇所がわからないところがある。毎年毎年、お手本を見ながらかろうじて書いてきた申告書だったので、お手本がないと未だに書けない。取りに帰ればもう戻って来ても税務署は閉まっているだろう。なんとか、なんとか今日片付けてしまえないものか。
ガックリうなだれながら、提出所の建物を出て「作成の仕方がわからない人」のプレハブに移動をする。あ〜あ。忘れ物さえしなかったら5分で提出出来ていたというのに・・・。毎度のことながら私のばかやろう。そして列に並んでいたのだった。
ようやく順番が来て、列に並んでいる理由を話すと今度は係の人に誘導されて別のプレハブに行くこととなったのだった。
えっ、えっ。
私、そんなに時間のかかる方じゃないですよ。
ちょこっと、ここんことだけ教えてもらうだけで、ほらもう提出出来るんです。
心の中で叫んだが、もう係の人は居ない。あっちの方へと指さされた方に行くと、そこは「e-tax」コーナーであった。
知っている。e-tax。面倒臭いので来年からにしようと思っていたんだった。ということは、私は提出をe-taxで一から登録や入力し直しをするんでしょうか。ここ、かなり人が並んでいますけれども、これを機会にe-taxに移行させたい組の中に仕分けられて今ここに居るってことでしょうか。
税務署はもう閉まったあとであるにもかかわらず、かなりの人が並んでいてどうやら私はここでe-taxでの登録をしてそのまま記入をする組に入れられた様子。なんだかしらないが、ちょびっと騙された気分である。この列にいる人も自分も、仕掛けにかかった昆虫か何かに思えたのであった。
忘れ物をしたばかりに、たった5分で済むことを結局私は1時間半かけて終えることとなった。
e-taxの登録は出来てラッキーだったが・・・・。忘れ物はやっぱりしないに限る、と思うのであった。


投稿日:2012年03月13日

2012年03月13日

ダンボを連れて病院に行った。6歳の頃胆のうと肝臓の働きが良くないことがわかってから、定期的に検診を受けながらの生活となったが、おかげで現在は薬を飲んだり様子を見ながら日常生活を穏やかに過ごせている。
病院嫌いなのは犬も同じ。ダンボは病院に連れて行かれる時、その行程から「今日は病院に行くのだな」ということがわかっていて、それはそれは暗い犬になる。
待合室には今日も数頭のワンちゃんねこちゃんが居て、好奇心旺盛な仔やケージにおとなしく入っている仔、大人しい老犬など待合室での過ごし方もそれぞれのタイプで違う。
ダンボは完全に私を無視をする。怖がるダンボを安心させようと抱っこをするのだが、その抱っこを払って私の膝の上から降りそして待ち合いソファの下にもぐるのが一番マシらしく、毎回私は他の飼い主さんに苦笑されているのだ。全然信頼されていない様子が一見にしてわかる。
家では「抱っこ抱っこ!」と言って甘えて来ることもあるというのに、病院の待合室では私の膝の上が不安でたまらないとは、飼い主として落ち込むのである。
いつものように検査で預けて、そして爪切りもしてもらってからまた戻って来る。そして診察を受ける流れになっているのだが、ダンボももうすっかりその流れがわかっているようで、検査で預けられて爪切りをされるのが一番嫌なことらしく、やや落ち着いて来る。そして診察が終わると家ではこんなこと絶対にしないというのに、自分からキャリーバッグの中に入っておとなしく帰る準備をしている。いつもここでは、他の飼い主さんに「まぁ!自分からバッグに入るんですね」とすごく躾の行き届いた犬のように言われる。確かにそれはすごい。バッグはケージと違って中に自分では入りにくいのだが、教えてもいないのにものすごく物わかりのいい行動をこの時だけ取るのだ。さっきまで苦笑されていたが、待合室のメンバーの顔ぶれが変わっていていい所だけ見た人からは「エラいですね、ワンちゃん」と声を掛けられる。
ダンボは「エラく」はなく「変わっている」。病院に来る日、あらためていつもそう思う。
ダンボ、病院終わったよ。帰ろう。
カマのように伸びていた爪も切ってもらった。
それにしても、お前。何かやっぱり私と似ている。うまく言えないのだがちょっと変わっている具合がとても他人とは思えないんだよねぇ。
まぁいっか。
早く帰ってご飯食べよ!
病院帰り、ダンボと私は自由を得た歓びいっぱいで外気を思い切り吸い込むのであった。


投稿日:2012年03月09日

2012年03月09日

池尻で仕事を終えてから、気まぐれでいつものルートでなく三軒茶屋経由で帰ることにした。
三軒茶屋は渋谷からも近く生活するにも便利な街で、「住みたい街ランキング」でもだいたいトップ3に入って来る人気の街。ここから世田谷線というのどかな路線が出ていて丁度私の帰る方向に向かっているので、今日はそれに乗って帰ることにしよう。池尻は私の家からはちょびっと遠い。渋谷経由より少しは人も少ないんじゃないかしら。
シトシトと雨の降る246号線を歩いて、三軒茶屋に向かったのだった。
時刻は夜の10時過ぎ。飲食店が多く夜の街の風景としては他と似た感じなのだが、駅前のキャロットタワーに着くとまだ雑貨屋さんが普通に開いているではないか。
ギリギリ駆け込みで入れたのかと思ったら、まだ普通に店内は営業中の様子。可愛い便せんやシールなど、品物を見ているお客さんが居る。
一体今何時?
8時頃の気分がして時計を見たら10時をしっかり過ぎている。キョロキョロしてみたが、このフロアにある雑貨屋さん全てがバリバリ営業中。ということは10時閉店でもないということなのか。私の家の辺りとは大違い。だってうちの辺りは7時ぐらいでシーンと静まり返って10時になるとみんな寝てるのかしら?ぐらい真夜中っぽいモードになっているのだ。
それにしても、飲み屋さんでなく大好きな雑貨屋さんがこんなに遅くまで開いている街があっただなんて。オーマイガー!三軒茶屋大好き!
そうして私は雑貨屋さんでまた可愛い文房具を買ってしまい、店を後にしていたのだった。
そこに店があると買ってしまう。
三茶は私とって果たして良い街なのか危険な街なのか。
可愛いTシャツや小物やシールや絵はがきが「こっちにおいでよ!」と呼んでいた。
後ろ髪引かれるように買うのをだいぶ我慢して店を出たのだが・・・。
ハッ!
なんで私はこんなものを買っているのだ。
10時過ぎとは思えなかった。
帰ろう、何もない我が街へ。
お金を吸い取られちゃう魔の街、三軒茶屋であった。


投稿日:2012年03月07日

2012年03月07日

外来日。
昨年秋に糖尿病の数値がとても悪くなって、以降薬を飲んでいるのだ。
今日は血液検査の日。H1acの数値が12.6だったが少しずつ下がって来ていたが、今日は8.3。まだ一般的には悪い状況ではあるものの、一時よりだいぶ良くなった。
検査をする度に数値がちょこっとずつ減ったご褒美にと、甘いものもまた食べている。
かんぱ〜い。
お酒を飲まないかわりに、いいことがあったり逆にめっちゃ疲れたりした時には甘いもので一人打ち上げをするのだ。
誰にも見られていないのに、甘いものを食べる時、どこかしらコソコソした気分になっている。
大きくなったら好きなだけケーキを食べるんだと誓った幼かった日は何処へ。
幾つになってもたらふく食べるということが出来ない、大好きなスイーツなのだ。