よく「しゃっくり」が止まらない時には、周りの誰かに「ワッ!」と驚かしてもらったり、息を止めてみたりと、”しゃっくりに効く”と言われている方法も試したものだった。
しゃっくりが一日じゅう続いたら死んでしまうんだって。
誰かがそう言っていたことがあって、しばらく止まらない時にはちょっとドキドキしたりもしたっけ。
しゃっくりは横隔膜がけいれんを起こすことで起きるのだ。と、聞いていた。一昨年の手術の時に、両方の横隔膜が既に麻痺をして機能していなかったことを教えてもらってから、しゃっくりはもう二度と起きないのだなぁといいことのようなそうでないことのようなちょこっと複雑な思いになっていたのだった。
そう言えば、もう10年以上しゃっくりをしていない。
と、思っていたのだったが・・・・。
数ヶ月程前に一度だけしゃっくり現象が起こった。
「ひっく・・」
あれ?
今のはしゃっくり?
次を構えて待ってみる。
が、それはその一回だけであった。
しかしそれを機に一回だけのしゃっくりが一ヶ月に一度程出るようになった。
そして今日。
もう何年ぶりになるだろう。久しぶりにしゃっくりが止まらないということが起きたのだった。
しゃっくりは横隔膜がけいれんして起こるのだが、厳密には他の呼吸補助筋がけいれんを起こして起きることもあり、横隔膜がもうない今の状況からすれば後者がけいれんを起こしたと思われる。
<わぁ、しゃっくりって久しぶりだなぁ>
あんな鬱陶しかったしゃっくりが今日はそうでもなく感じる。そうして同時に私の身体のどこかの筋肉が横隔膜筋の分まで働いてくれていることを自覚したのだった。
声が出なかった私の身体。
左側の声帯含め、かつては私の声を出していたパーツたちのいくつかはもう動かなくなり、更に肺の一部もなくなっているのだが、10年の月日をかけてゆっくりゆっくり他のパーツ達がもう動かなくなってしまったパーツの働きを独自で学習をして、そうして今は「昔の声に戻った」と友人からは言ってもらったりするのだ。
つくづく、人間の身体のすごい力を感じる。
そしてそれに習って私も、個々の力はその人自身の持ち物で成長させたり進化させるのだということを肝に命じて、いわゆる一般的な方法にマスキングされてしまわないように、それから持論にも覆われてしまわないように、そんな目で物事や人を見つめていかなきゃいけないなぁと思うのだった。
しゃっくりって鬱陶しい。
ほんと、鬱陶しい。
あぁ〜あ、止まってよかった。
幸せな不満をつぶやいて、私は一人笑顔になっていた。