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投稿日:2009年06月30日

2009年06月30日

深夜、帰りにバイクでガソリンスタンドに立ち寄ると・・・・。
そこはセルフサービスの給油所だった。
セルフサービスのところは初めて・・・・。
<まぁセルフと言っても、誰か居るだろう。>
そう思ってキョロキョロしたが、誰も居ない様子。それに他に給油している人も居ない。
シーーーーン。
自分で入れる・・・・って、私でも出来るのかしら。
ゴリラチックにその辺をウロウロしてみたがよくわからないので、レギュラーと書いてあるハンドルを持ってみる。
水鉄砲みたいに、引金を引いてみるみたい。
<ドバっと出たらどうしよう・・・>
ドキドキしながら、引金を引くと・・・・
「チョボ・・・」
2滴ぐらいガソリンが出てそれでおしまいだった。
そうか。これは前の人が給油をして終わったもので、これからする給油はどこかのボタンでまず「開始」にしなくちゃいけないんだ。
再び、キョロキョロ。
すると、近くに液晶画面を発見。これで何を何リットル入れるかを入力するらしい。
よかった。自分のバイクが何リットル入るタンクなのかを知っていて。
「2リットル。レギュラーガソリン。」
入力をすると金額が表示された。
お金を投入して、よしよし。流れがわかってきた。
これでガソリンが買えたんだわ。
さっき、2滴で終わったガソリンピストルを再度手に取る。
は、発射。
<ゴォーーーー!>
すごい勢いでガソリンがゴーーっと出てタンクに入って行く。消防士さんの放水のような感じで、こんなことはやったことがないので、必死にガソリンピストルを離さないように握りしめる。
ドキドキドキドキ。
まさか爆発しないでしょうね。
あっ、あっ、あっ。
誰かタスケテー。
恐怖心で一杯になった時にガソリンは満タンになり、給油は無事終了した。
こんなもの、素人が扱って本当にいいのか。
ガソリンを入れにスタンドに寄っただけなのに・・・・・、
ものすごい危機に直面をした体験をすることになった。
よくわからないが、帰り道に急に興奮してきて「成功した!」「成功した!」とつぶやいていたのであった。


投稿日:2009年06月29日

2009年06月29日

幡ヶ谷でリハーサルがあるので、バイクで出掛けた。
家から約30分、幡ヶ谷の駅前にバイク置き場があるのでそこにバイクを止め、さぁ荷物を持ってスタジオに行こうと後ろのカゴを見ると、入っていたはずの折り畳みの杖がないのに気づいたのだった。
確かにカゴに入っていたはずなのだが・・・・。
うーーむ。
忘れ物の多い私としては「絶対」と言えない。とにかく杖なしで今日は過ごさなくちゃならなくなった。
私は普段家の中では杖を使っていない。でも荷物が増え、今日に限ってまたヒールの不安定な靴を履いてきてしまったので、ヨボヨボとゆっくり歩く。少しやじろべぇっぽく両手でバランスを取りながら、到着。
スタジオのお兄さんが、スタジオ内に楽器を移動してくれるのだが、普通なら「半分自分も持つ」という場面でも一向に手伝わない私・・・。
厳密には”手伝えない”のだが、それが伝わるわけがない。そのうちに”何だコイツ”オーラが向けられているのを感じるが、そこんとこを耐える。
はふぅ〜〜っ。
杖がないのは外ではやはり、いろいろ大変だ。
カゴに入れて運転中に落としたことは今までにもなかったので、きっと家の敷地にポロンと落としているだけだろう。
そう思って帰ったのだが、杖はなかった。
ということは、行き道にカゴからぴょーんと飛び出て、どこかに落としたということになる。杉並区か中野区のどこかに私の杖が落ちているのだ。
いつ飛び出たのかちっとも思い当たるフシがない。
お〜〜〜い。杖。
戻ってきておくれ。
「もうアンタのお守りはごめんだよ」
「スキを見つけて、いつか逃げ出そうと思ってたのさ」
こうして私の杖は、自由を求めて私のもとから去って行ったのであった。


投稿日:2009年06月28日

2009年06月28日

この数日、体調がどうもあまり良くないので整体の先生に来てもらった。
お世話になっている長先生は、最初にお願いしてから5年ぐらい経つだろうか。ギックリ腰は何度も直してもらったし、体調がすぐれない時も何度も持ち上げてもらった。整体によって血のめぐりを良くし、それによって働きの悪くなっていた臓器が動くようになり、体調が戻るのだそうで、目に見えないけれど血流というのは体に大きな流れを施しているのだなぁと思うようになった。
ボキボキ、音がするわけでもない。
適度な力で筋をほぐされている感じがするだけだ。
季節のかわりめで、体調を崩す人が多いらしく今先生も忙しいらしい。今日はたまたまラッキー、いい時間に電話をしたみたいで、施術中にも電話がかかってきていて「今日はもうムリデスー」と答えておられた。
先生が帰るとまたダンボと静かな時間が戻って来る。
6月ももう終わる。
梅雨明けはまだかなぁ。
待ち遠しく空を見上げたのだった。


投稿日:2009年06月27日

2009年06月27日

一昨日、眼科に行ったがその理由の一つに両方の瞼がかゆく、だんだんかぶれてきたので、それも診てもらいたいというのがあった。
「目がかゆいんです」
結局、”アレルギー性の結膜炎ですね”ということで目薬をもらって帰ったのだが、一昨日からそれを差し始めたら、更に目がかゆくなってしまった。先生からは、目薬を差してかゆくなったらすぐに教えて下さいねと言われていたので、昨日の診察の時にそのことを伝えると、別の目薬にかえましょうということになったのだった。
昔はどんな薬にも過敏な反応をしなかったのになぁと思いながら、昨日新しくもらった目薬を差したのだったが・・・・。
かゆい。
今度の目薬もかゆいのだ。
”こういうのって耐えていたら、慣れるんじゃないか”と思っていたのだが、気にせずに差すうちに今度はどんどんかゆみが強くなってしまい、今日は瞼かぶれが更にひどくなってしまった。
土曜日、日曜日ともう診察はやっていない。
どうしよう。
・・・・。
ふと、その時に気づいた。
何で私、目薬を差しているんだろう。
かゆいのは瞼で目はかゆくなかったのだが、問診表に「目がかゆい」と書き、診察でも「目がかゆいんです」と言っていたことをふと思い出したのだった。大は小を兼ねるというわけではないが、「目がかゆい」は「瞼がかゆい」を含むんだと思っていたが、もしやこれは誤解を生んでしまったのではなかろうか。
とりあえず、この目薬を引き続き使っていいものか自己判断がつかなくなり、インターネットで調べたら、どうも私の症状は眼瞼炎というものらしく、使っているアレルギー用の目薬の副作用に眼瞼炎というのが書いてあり、かえって悪化させてしまったようなのだ。
かゆい!かゆい!
つい我慢出来なくなって掻いてしまうので、”殴られた箇所が治りつつある”ような顔になって、ケンカしたような人相になってしまった。
日本語は難しい。
「目がかゆい」は「瞼がかゆい」を言い表してはいないのだと、身を以って学習したのであった。


投稿日:2009年06月26日

2009年06月26日

午前中、眼科に行ってそのまま電車に乗って吉祥寺で眼鏡を作ってもらった。
眼鏡店に入って思ったのだが、店員さんはみんな眼鏡着用。眼鏡のお世話になっている人が、眼鏡の仕事に就こうと思うのかなぁ。そう言えば「眼鏡屋さんで働く」ということは今までに一度も頭をよぎったことがなかった。本当に眼鏡には縁のない生活を今まで送ってきたんだなぁと思ったのだった。
マイ眼鏡。
鼻のつけ根の所がムズムズして、まだ違和感がある。
それに望遠鏡を覗いているようなあの感覚もまだ消えないので、歩くとやっぱりフワフワする。
店のガラスに映る自分の姿を見ると、仮装をしているふざけた自分にも見えて気が引けるのだが、街の中で誰とすれ違っても、誰も自分の顔を見て驚いたりもしない。
元々、自分の姿はこうだった。
って思って歩けばいいか。
眼鏡ひとつで視界が変わる。
私から見える景色も変わり、鏡に映った私も別人に見えた。
そのうちに慣れるだろうけど。
現実の世界が今日はだまし絵のような錯覚の世界に思えたのだった。


投稿日:2009年06月25日

2009年06月25日

この所、焦点が合わないので眼科に行ったら、近視と乱視が少し強いということだった。以前も近視と乱視があると言われていたが、それほど生活に支障はなかったので、そのままにしていたのだ。
「どうします?でも眼鏡はいやでしょう?」
そう先生に言われたが、私は視野が安定しない方がいやなので、別に眼鏡をかけることに抵抗はない。そう伝えると、早速眼鏡を作ることを前提に、検査用の眼鏡にレンズを入れた状態で「眼鏡をかけて付近を試しに歩いてみる」にトライすることになったのだった。
眼鏡をかける練習なのだそうで、私の前の患者さんも黒い検査用の丸ブチ眼鏡をかけて医院の外に練習に出掛けて行ったが、私も外に出ることになった。
眼鏡を掛けるとビックリする位、景色がクリアに見えるのだが、普段の見え方にもう慣れていたので、逆にハッキリ見えると戸惑ってしまう。
「こんなに見えちゃっていいのかしら」
見えちゃっていいのだが、すごく見えるので逆に何かこっちの世界の方が嘘の感覚に思えてきたりする。元々私は目がよく両目共1、5で何不自由なく来ていた。目が悪くなってからも”自分は目がいい”という思い込みだけは続いていたのだ。
眼鏡の練習はちょっと足元がフワフワする。
よく見えるのだが、望遠鏡を覗いた時のような遠近感覚が掴めない感じも同時にするので、足を踏み出した時にいつもの感覚と違うのだ。軽い車酔いにも似た感じがする。
横山やすしさんが眼鏡を取られて「メガネ、メガネ」と探しているあの姿に、私の場合は眼鏡をかけたらなっている。よく見えるのに、少し伝い歩きっぽく医院に戻って来たのだ。
明日もう一度診てもらって、眼鏡を作ることになった。
まさか眼鏡を掛けるようになるとは思わなかった。
眼鏡の練習は宇宙に降りたような無重力な体験だった。


投稿日:2009年06月24日

2009年06月24日

外来日。
病院には中央線に乗って行くのだが、9時台になっても中央線はプチラッシュ状態で、顔が押し潰されるまでは行かないものの、体は押し潰されるのだ。
押される、蹴られるのはもちろんだが、杖まで蹴るのはやめてもらいたい。
今日は掴まるポールも少しのエリアもなく、乗った位置が不利な場所だったせいで、駅に着くともみくちゃになってヘトヘトになった。
それにしても、東京って冷たいなと思うのは、よぼよぼのお年寄りにも席を譲らない場面を多く見ることだ。優先座席って、電鉄会社も「一応シールを貼っておかないとまずいだろうし」程度で形だけ貼っているだけに思える。車内に優先座席の認識はもはやなく、あれは老人よりすばやく席を取れる人達にとっての有利な席でしかない。
もっと身近なのは近所を走るコミュニティバスだ。このバスでは、どんな教育をしているんだろうと目を疑う親子がよく乗っている。品のいい格好のママと私学の制服を着た子供が上品言葉でお話をしているのだが、周りにはお年寄りがヨボヨボと立っている、という光景を度々見る。でも親子共に席を譲っているところを見たことがない。
東京だけがそうなんだろうか。そういう場面に出くわしたら何とも言えない残念な気分になるのだ。
今日は電車の中でもみくちゃにされていたら、年輩の男性が「大丈夫ですか」と声を掛けて下さり、その声をきっかけに近くの女性に席を譲って頂いた。
めったにない幸運な日だった。
みんなそんなに余裕がないわけじゃないと思うのに。
東京の電車の中は、思い遣りのない殺伐とした空気が流れている。


投稿日:2009年06月23日

2009年06月23日

「ムサシを探しています」の張り紙は、あれから何度も雨に濡れて、ビニールをかけてはあっても歪んで少し古びた状態になった。
ムサシはどこに行ったんだろう。
こんな時、猫と暮らす人の気持ちはどうなんだろう。
私なら「どこかで死んでしまったんじゃないか」という絶望的な悲しい気分に覆われながら「どこかの家で元気にして帰って来ないだけ」という一筋の光を胸に、ハッキリしない毎日に疲れながらも、ハッキリしないことに同時に気持ちのよりどころを置いているような気がする。
不意に居なくなってしまうなんて。
私はただのご近所さんでしかなかったけれど。
私も寂しいよ。
張り紙の看板が、雨によれてまた日に褪せて少しずつ傷んで行く。
ムサシ、どこに行ったんだろう。
どうしちゃったんだろう。
ダンボを連れた夕方、私もあれから少し遠くまで散歩に出掛けるようになった。


投稿日:2009年06月22日

2009年06月22日

夜、西荻窪のterraに山臼セッションを観に行った。
山臼<さんきゅー>セッションはベースの山内薫さんとドラムの臼井かつみちゃんの二人のリーダーセッション。山内さんは私が入院する前だからもう10年前になるが、その頃にライブでベースを弾いて頂いていた。かつみちゃんが一緒にセッションをやっていると知って、よく知り合いの知り合いが繋がっていることに驚くが、その時も驚いたっけ。
でも最近は、少しそういったことにも納得もし始めている。それはやはりよく考えてみると、共通するその人の持つ匂いが同じ温度感だったりするからだ。音楽をやっている人同士だったら、その人の音楽観というか大事にしている事が一致していたり・・・。
音そのものが「この人だからこの音なんだ」と思える、音楽を奏でる人に心を動かされる。ライブは特にその人の輪郭が見える場所だ。なんだかよくわからないけれど、その立ち姿がまず何か美しいと感じられたら、きっとそれはその人の音楽の既に一部なんじゃないだろうかと思う。
シンプルにそれに向きあって、その瞬間に集中力を注げる。私の思う山内さんとかつみちゃんの共通するところで、誰とどんな場面で音を出したとしてもきっとそれはブレないと思う。そういう強さが土台にある人は、やっぱり立ち姿だけでもどうも目を惹かれる。
昔、ハモンドの先生に「音楽」について本当にいろんな話をしてもらった。一度ものすごく練習をして行ったにもかかわらず「今の吉川くんは上手く弾けるだけ」だと言われてその日のレッスンが終わりになった時、何を言われているのかがわからなかったが、今はようやくそのことが自分なりにだが感じられるようになった。
音楽は決して音だけでは作られない。
音楽の「楽」も決して「単に楽しい」では作られない。
時々、とても素晴らしい音楽の仲間と知り合えていることを再確認することがある。
音楽と幸せな気持ちが同じライン上にある、そんな夜だった。


投稿日:2009年06月21日

2009年06月21日

種ともこさんライブ。
今日はフルバンド編成のライブ、でもそうでない時もどんな曲で始まる時も種さんのライブに共通して言えることは、第一音が出た時に場面が変わるのがとりわけハッキリしているということだ。タッチが緩やかな曲でも力強いサウンドでも、最初の一歩が出た時にためらいなく自分も背中を押されるような感じがする。だから種さんのライブは特に、遅刻せずに観たいライブだ。
日本の古いうたが種さんのアプローチで演奏される。
その中の一曲に「夏のおもいで」という曲があった。
「夏のおもいで」は小学校の時に習った曲だ。誰でもワンフレーズは歌える有名な歌だが、当時の私は歌の中に出て来る”はるかな尾瀬”や”ミズバショウの花”が今ひとつ身近な言葉に感じられず、”夏のおもいで”を表す歌としてピンと来ていなかった。そしてそのままの印象で、小学校の時に習った曲という位置でしか”夏のおもいで”はなかったのだが・・・・。
種さん流の”夏のおもいで”を聴いて、私は今日初めてこの曲に夏のおもいでを沢山感じることが出来たのだった。まだ夏がやって来てもいないのに、楽しい夏を過ごし終えた頃の感覚になり、冷たい夏の川や夏の森、青い夏空が見えて、知っている曲がこんな風に違った曲になって聴けたことが嬉しく、そして種さんの才能をまた感じることとなった。
ほんのちょっとの何かがきっかけで、自分の価値観が変わる時がある。でも人の価値観を変えるだけのものには何層にもなって積み重ねられた努力が裏打ちされているのだと思う。
「音楽」のジャングルに、いつも果敢に探検に出掛ける種さんが好きだ。
今回はいつもよりもっと種さんが弾んで見えた。
いいな。
こういうのが好き。
夏の森は深い緑が輝いていた。