月別アーカイブ : 2013年1月

投稿日:2013年01月31日

2013年01月31日

好きなものの一つに「せっけん」がある。

きっと香りものが好きなのだろう。何かしら香水ほど強くない”香りもの”が家にはあって、それがサシェだったりお香だったり紙香だったりアロマオイルだったりするのだが、せっけんの香りもとても癒されるので大好きだ。

固形せっけんのストックはいつも引き出しの箱の中にある。たまに、”冷蔵庫を開けた時にビール缶が並んでいると安心する”という人がいるが、あれと同じような感覚で私の場合、脱衣所の引き出しを開けてストックしてあるせっけんを眺めては幸せな気分に浸る。

置いてあるのはラベンダー、ジャスミン、ローズなどを中心にいろんな香りのせっけん。出掛けたらどこかしらの店でせっけんに吸い寄せられているし、通販でもふと気がつくとせっけんを買っている。で、これらは別に集めているわけではないので、買ったら次は次々に使って行く。使うのも大好きなので、我が家のせっけん消費量は一人暮らしの割には多いかもしれない。

使っては買い足して、使ってはまた買い足して・・・。

せっけんは気持ちがいい。

身体を洗うだけのものでなく、私にとっては香りを嗅ぐ癒しも含むグッズなのだ。


投稿日:2013年01月26日

2013年01月26日

12月の初め頃に注文をしたウッドデッキの追加材料がまだ届かない。

電話で注文をして、準備が出来たらメールしますと言っていたがあれから何の連絡もなく・・・。

多分忘れられてしまったのだろう。

あれはどうなったんですかと連絡をすれば、急いで届けてもらえるだろうが、こんな真冬になった今送って来られてもしょうがない。春になるまでもうウッドデッキを広げるのは待とうかなと思うのだ。

一方、これまた随分前からずっと気になっているとある場所のスクランブル交差点の壊れた信号機がある。ここも毎週通っているが、相変わらず一つ歩行者用の信号機の青の電気がつかないままだ。今日も信号待ちで私はこの交差点で止まって、歩行者がたくさん渡っていくのを見た。

気にしないのね。みんな。

誰か一人ぐらい、ここの信号機が壊れたままですよと言いそうなものだろうに。

交通安全週間の時にはそこで警察がテントを張って警官の詰め所になってもいた。

気づいてなかったのかしら。

まぁ特に支障はないような場所だからいいのかしら。

アバウトぐらいが丁度いいのかなぁ。

ウッドデッキがやって来るのと、信号機が直るのはどっちが早いんだろう。

ウッドデッキ問題の方が早く解決をする気がするのであった。


投稿日:2013年01月23日

2013年01月23日

輸血日。

去年の暮れから続いていた検査結果が出たのだそうで、今日先生の方から病名を聞くこととなった。

大型顆粒リンパ球増多症。LGL白血病とも呼ばれているらしく、ネットで調べていた通りの病名だったので、「あぁ、そうなんだ」とすぐに理解をした。

患者数の少ない病気なのだそうで、白血病という病名がついてはいるが、その性質からすると自己免疫疾患に近いのかなとは思う。自分で自分の正常な細胞を勘違いをして攻撃をしたり傷つけたりするタイプの病気で、筋無力症も同じく自己免疫疾患。思い込みの激しい性格に伴って身体も勘違いばかりしているのかなぁと思うのだった。

エンドキサンという薬で治療をして様子を見るということで、薬の方はもう今年になってから始まっている。効果が出るまでにはしばらく時間がかかるらしく、当初の予定より更に輸血期間は長くなりそうだ。

「じゃぁ、今日はこのあと輸血を受けてきてください」

先生に言われて診察室をあとにする。

時代が少し前だったら私はもう死んでいた。治療と治療による副作用への治療など二重に治療を受けそうして私は今日もなんだかんだ言いながら、輸血を受けたら家に帰れるのだ。

お腹が空いたなぁだとか、寒いなぁだとか、そんなことを思いながらまたお風呂に入ってさっぱりしてあたたかい布団で眠って明日に備える。

仕事があって、人にも会って、日常をほぼ問題なく過ごせている。

まだ生きていなさいと猶予をもらっている。

毎日、私はふと何かしらの一瞬でも自分の身に起こっている奇跡に幸せをかみしめている。

長生きしてご長寿を祝うことは出来なくても、残り時間を心しながら過ごすことが出来たら、それも幸せ。今生きている幸せを実感出来ること自体、幸せな物の考え方だ。

自分にとっての幸せを見つけられたら心穏やかになる。

空気のように存在する幸せだからこそ。

幸せな人が多い世の中でありたい。

もちろん私もその中の一人としていたいのだ。


投稿日:2013年01月22日

2013年01月22日

講談師の神田蘭さんの「わたしが・棄てた・女」の公演の打ち合わせに行った。

「わたしが・棄てた・女」は遠藤周作の作品で、今年は遠藤周作生誕90年にあたるのだそうで、私も遠藤周作作品は学生の頃にハマって一気に読んだファンの一人でもあるので、そんな作品に携われるということがまず嬉しいなと思う。

数年前からお芝居に音楽をつけたり、何かと音楽とをコラボするということに興味を抱くようになって以来、機会があったらやってみたいと思っていたことだ。

初対面の神田さんは、さすが講談師という感じで滑舌がはっきりした明るい声のトーンの女性。ここ最近は仕事で女性の声をたくさん聴いているのだが、やはり神田さんは一聴して声にハっとさせられるというのが印象的だった。

途中までの台本をいただいて、音楽の入れどころなどを打ち合わせする。

台本をいただくスタイルは初めてなので、なんだかわくわくしてきた。

公演のチケットは残り僅かなのだそうだ。

来月には「稽古」が始まる。

役者の山本ふじこさんがたまに口にする「稽古」という言葉が新鮮で、ちょっと緊張もしてきた。

異種交流文化、大好き。

私は音楽のパーツ。素晴らしい公演の1ピースとなれるよう自分の得意分野を出し切って頑張りたい。


投稿日:2013年01月21日

2013年01月21日

丁度一週間前、東京では大雪が降った。

雪はまだ残ってはいるものの、通常生活に戻った東京なのだ。

だが、まだ興奮している人はいるらしい。

仕事帰りに乗ったタクシーで。

先週も運転手さんが饒舌で、乗車している間じゅうずっとしゃべっていたが今日の運転手さんもとってもおしゃべりだった。

「先週はほんとに、雪がすごくてっ」

「もう〜大変でしたよ!」

雪でも大丈夫なタイヤを履いていたとしてもこの間の大雪の中の運転は、タクシーの運転手さんたちも大変だったと見える。先週の運転手さんも運転しながら「ほら!今もこれ、滑りましたよ。道路がつるっつるで!」と道路がいかにいつもの状況と違うかを繰り返し興奮してしゃべっていたっけ。最後の方は聞いている私の方が同じ内容にくたびれてきて生返事になっていたが、運転手さんは「お客さんが降りちゃったら、もう話をする相手が居なくなっちゃってさびしいです」と言っていて、”スノウハイ”状態で声も心なしかうわずっていたのだ。

今日の運転手さんも、特に私から話を振ったわけでもないのに先週の大雪の話を振り返ってどれだけ大変だったかをうわずった声でしゃべり続けていた。

「もう〜晴れ着の女の子なんか、可哀想で可哀想でっ!」

「渋滞もひどくって全然車なんか進まないしっ!」

運転する側にしてみたらあの大雪はやはり、運転するにはかなり過酷な状況だったのだろう。

「降った日は降った日で大変なんですけどもねっ!」

「翌日とか、これがまた危ないんですよっ!」

うんうん、それぐらいはわかります。だって原付に乗るのは危なくて、だからあれからタクシーのお世話になっているんですもの。

「はじっこによけてある雪が、ちょっとずつ溶けてきて、それがまた凍っちゃって。それで自転車とか、バイクがツルツルって滑ってこっちに来たりしてっ」

「これがまた危ないったらありゃしないんですよっ」

運転手さんは話に興奮をして、一つ向こう側の青信号だけを見てノンストップで赤信号になっている交差点を通過した。

恐ろし過ぎて注意出来ずに「ぶつからないで!」と一瞬お祈りをした私に気づかず、雪の恐ろしさについて話をやめなかった。たった今自分があり得ないような信号無視をしたことに気づいてはいなかった。

雪も怖いが、興奮した人も恐ろしい。

<怖いよ、運転手さん>

タクシーを降りたらホっとした。

一週間前の大雪の日とあまり変わらない危険度数であった。

雪に慣れていない都会の冬。早く本当の意味での平常運転に戻って欲しいのである。


投稿日:2013年01月15日

2013年01月15日

雪やこんこ、あられやこんこ♪

童謡「雪」の中の歌詞では、犬は雪に喜んで庭を走り回って、猫はこたつで丸くなるとあるのだが、うちの辺りでは犬猫が逆転している。

庭も家の前の道路もかなり雪が積もった状態の今日。

人間だったら「あぁ、雪が積もったんだ」と理解出来るだろうが、動物達には果たしてこれらが理解出来るのだろうか。

猫達にとってはいつもなら通り道のはずの塀の上も雪が積もっていて歩けない。

それに雪の上は冷たいのでやっぱり家の中でジっとしているのがいいだろう。

と、思いきや。

今日も近所の仲の悪い2匹の猫はこんな雪が積もった中でも戦いを挑み合っている。この雪で縄張りも何もないような気がするのだが、外では昼間から激しく「オレの場所だ」「いいや!オレ様の場所だ」とふぎゃふぎゃケンカをしている。

一方、雪に興奮するはずの犬であるダンボは今日もご飯を食べるとすぐに布団の中にもぐりこんでグースカ眠っている。

「ねぇ、ダンボ」

「雪が積もってるよ」

朝起きた時に、雨戸をあけてダンボに雪景色を見せたが、まず無反応だった。あれ?景色が違うなぁぐらいには思わないのかしら。

眺めるだけではダメなのかしら?と、午後になって雪体験をさせるべくウッドデッキの雪の積もっているところにダンボを出して見ると・・・・。

みるみるうちにダンボの顔は暗くなり。

そのままどうしていいのかわからなくなったようすで、私が置いたそのままの場所から全く動かない状態で私を見上げるのだった。

楽しかったらそのまま跳ねていけばいいし、嫌だったら戻って来ればいい。

程度に思っていたのだが、ひたすら困った顔をして足さえ動かさずにジっとしているダンボ。根比べをしたら結局ダンボは3分近くそのまま何もせず銅像のようにジっとしていた。あまりに足が冷たくなったのか、足をたまに宙に浮かせるのだが移動するということには頭が行かない様子。

オヤツで釣っても結局動かなかった。

このままでは寒さで病気になってしまうと思って抱っこして部屋の中に入れたが、ダンボにとって雪は興奮するアイテムでも何でもなく、また布団の中にもぐってそのままグースカ眠ってしまった。

猫は相変わらず元気に外を駆け回っている。

雪は辺りを白くする。ほんの少しだけいつもよりまぶしくて。

日当りのあまりよくない冬の我が家をほんの少し明るくしたのでした。


投稿日:2013年01月14日

2013年01月14日

雪。

あっという間に積もって、夕方の仕事へはタクシーで行こうとしたが、いつもより倍以上早く電話をしても配車センターにつながらない。

他のタクシー会社にも何軒か電話をしたが全部つながらなかったので、仕方なく早めに家を出た。

雪国では日々雪が積もった中で生活。それが東京になると一日それも雪国とは比較にならないほどの積もり方で、こんなにみんな慌てるものなのかと少し驚く。電車がいろんな路線で運行を取りやめたり大幅に遅れたりしていて、私の待っていたバスも大幅に遅れて到着したみたいだった。

駅に着いても電車はいつもの様には来ない。

渋谷駅についたら駅前が雪でドボドボになっていた。

せっかくの成人式なのに、ちらほらと着物を来た新成人が裾を気にして歩いている。タクシーもつかまらないみたいで大変そうだ。

普段の倍以上、時間に余裕を持って出掛けたが仕事場に着いたのはギリギリの時間になっていた。雪国の人が見たら東京のこの今の慌てようは滑稽に映るかもしれない。だってみんな「一大事」の形相でいるからだ。

仕事を終えて帰りは偶然タクシーに乗ることが出来た。

ノーマルタイヤだとちょっとした坂でも車がスリップして動かなくなるらしく、昼間は電車で移動した方が結果よかったよと運転手さんに教えてもらった。あちこちに動けなくなる車が出て渋滞がひどかったのだそうだ。

一面真っ白な帰り道。

タクシーの車は雪でも大丈夫な装備で走っているのだそうだが、それでも道が滑るようで時速10キロのノロノロ運転で進んだ。環七も井の頭通りも、見たことのないぐらい動けなくなって放置された車があちらこちらに止まっていて、静かな景色だった。

雪の日は家の中で過ごせるのが一番いいな。

無事、帰還。

ただ家に帰っただけのことがそれぐらいの出来事に思えた東京の雪の日だった。


投稿日:2013年01月12日

2013年01月12日

先日、ネットスーパーで単品で注文をしたと思っていたじゃがいもとタマネギと人参が袋買いしていたことを品物が届いてから知った。

それからポトフやシチュー、肉じゃがを作って毎日食べてきたが、ここで気づいたことがある。

飽きたには当然飽きたのだが、それを通り越すと違うメニューを食べているのに、感覚としてはその料理が”「じゃがいもとタマネギと人参」の調味料が変わっただけのもの”でしかなくなる感覚になるということなのだ。

今まではシチューはシチュー。ポトフはポトフ。

料理で舌が括りを認知していたのだが、もう数日目にして「じゃがいも」「タマネギ」「人参」を食べているという意識の方が強くなってきた。

このままでは大好きなポテトサラダさえ嫌いな食べ物になってしまう。

だいぶ頑張って食べてはみたものの、一人暮らしの量だと限界がありストックはまだある。

ついに今日は友人に事情を話してカレーセットなる野菜セットを作って、無理矢理もらってもらった。

今日もポテト。明日もポテト。

1月は来る日も来る日もお餅を食べていた年もあったっけ。

我が家は相変わらずじゃがいもフェア真っ最中なのだ。


投稿日:2013年01月10日

2013年01月10日

今年の里帰りでレンタカーを借りたら、やっぱり便利だなぁと思うことが多々あったのだ。

実家で暮らしていた頃は毎日車に乗っていたし、ブラっとどこかに出掛けるのも好きだったのでそりゃぁ東京でも車があれば夢は広がる。

でもなぁ。

維持費が高い。駐車場代が私の家の近辺でも2万円台が相場なので今の生活だったらタクシーを利用する方が安く済む。なので必要な時にはタクシーを利用するという形で折り合いをつけていたのだが・・・。

実家から帰る時に父が「車を買うた方がええ」「車を買いなさい」と熱心に勧めていた。車生活なんて大反対しそうな父が、車のある生活の快適さを私に説くだなんて・・・。

車ねぇ。

そりゃぁ、あれば生活がガラっと変わるだろう。

まずは日常の買い物が楽になる。急な雨降りの日の移動手段としても助かるし、今まではあり得なかった夜の気晴らしのドライブに行ったりも出来る。首都高速なんて、私の毎日に全く関わりがないが、車があればビューンと横浜まで行ったり、箱根に温泉に浸かりにも行ける。IKEAだってすぐだし、それにふと思い立ったらダンボを連れて旅にも行ける。

ここ数年、定期的に「やっぱり車を買おうかしら」と車欲しいモードに突入していて、回を追うごとに「買い」の方へと近づいていて去年も「買う」ギリギリのところまで行ったが、今回もまたまた車欲しいモードに入ってしまった。

もしも家の近くで安い駐車場が見つかれば、思い切って買ってしまうような気がする。

そんなところまでもう心は傾いている。ソノ気になってきてしまった。

ネットで月極の駐車場を検索すると、出ている数がとっても少ない。近所で気になる駐車場が数軒あるのだがそこの情報はどうやって知ればいいのかしら。

車だけは「車買っちゃった!」と車を先に買うような無謀なことは出来ないので、近所を徘徊し「ここの駐車場っていくらなのかしら」と最近はウロウロしている。ダンボでも連れていれば犬の散歩に見えるのだが、ダンボが「散歩は行かない」と言ってつき合ってくれないので、しょうがなく管理会社の看板をチェックしたりしているのだった。

不審人物ではありません。

駐車場を探しているのです。

ここのお家のガレージって空いているわね。

家から近い方がよい。

きっと交渉すれば貸してくれるお家もあるわ。

怪しい女がウロウロ。

先週もウロウロ。

今週もウロウロ。

あらあら、気味が悪くてごめんなさいね。

駐車場だけでなく民家の敷地にまで覗き見をしている私なのであった。


投稿日:2013年01月09日

2013年01月09日

この半年、すっかり買い物はネットスーパーにお世話になっている。

私はSEIYUネットスーパーがお気に入りなのだが、以前利用していた頃よりも扱っている物の種類も増えたし、値段が店で買うのと変わらず安くなっているのではないだろうか。5000円以上の購入になると配送無料になるので、1〜2週間分の食材や日用品などをまとめ買いすれば配送無料の金額になる。なので1ヶ月に2〜3回お願いしているサイクルになるのだ。

ところが。

今回は届いた品物をチェックしていて、シチュー用にと購入したじゃがいもとタマネギと人参の量を間違えていたことに気がついた。

確か、一度は袋で購入しようと購入ボタンを押したのだ。

だが、そのあとで”じゃがいも”と”人参”は袋買いをすると、全部使い切れずにダメにしてしまいがちであることをふと考えた。

そうねぇ。

このあいだもじゃがいもを全部使い切れなかったから・・・。

やっぱりバラ売りのコーナーで買った方がいいわね。

と、一旦は袋買いを選択してカゴに入れた”じゃがいも”と”タマネギ”と”人参”をキャンセルして、バラでそれぞれ数字を入れたのだった。

というか、そうしたつもりだったのだ。

それが・・・。

目の前に積まれた野菜達の一角。

一袋5〜6個入りのじゃがいもが3袋。

タマネギは合計6つ。

人参は大きなものが計4本。

これ、一体どうすんの。

じゃがいもに至っては15個以上になるではないか。

毎日一個じゃがいもを食べたとして半月もかかる。

どうすんの!こんなに!

誰かじゃがいも、いりませんか!

ただでさえ料理のレパートリーが少ない私だ。それに料理で冒険をするということもあまりない。だって冒険をして美味しかった試しがなく、部屋の中で「これ、まずいわ」と未だに私は自分の料理のまずさに食後胃もたれを起こしたりしているのだ。

「ポトフ」「シチュー」「肉じゃが」「ポテトサラダ」「いろいろ入ったオムレツ」

これぐらいしか思い浮かばない。

これぐらいしかまともに作れない。

だけど・・・今回は野菜達をダメにしたくもない。

新年早々、営業マンでもないのに私はノルマに追われることとなった。

目下の私の悩み。

”じゃがいもをどうするか”なのだ。