日別アーカイブ : 2013年1月5日

投稿日:2013年01月05日

2013年01月05日

今日は東京に帰る日。

去年の里帰りは「帰る日」にとんでもなくもめることになり、ものすごく気分が悪かった。理由は、”帰り方”と”その方法”について父の意見を聞かなかったということが発端だったのだが、最後はどうしてこんなことでキレるのか理解出来ないという程父は癇癪を起こして大変だったのだ。

我が家のイベントは「最終日」に大げんかになることが多かった。いずれも、「帰る方法」について私がゆずらないことによってブチ切れられるパターンで、今回もまた里帰り初日から「帰りはワシが京都まで送って行く」と言っていて、これはすんなりは行かないだろうという予感はあった。

お父さん、京都まで来るのはやめてちょうだい。

付き添いもなく、私を見送ったあと一人で京都から帰られるのは私が困るのです。

タクシーもつかまらないこんなのどかな町に。

だから今年はレンタカーを借りて戻ってきたのです。

行きや帰りの段取りは、私ももう一人で立てることが出来るのです。

外国語もしゃべれないのに海外一人旅にも行っているんですよ。

ドゥ、ユー、ノウ?

今日は6時36分京都発ののぞみで帰る予定になっている。父がレンタカーに乗ってレンタカーを返してそれから一緒に京都駅までついて来るのをなんとか阻止しようと、数日前から私は嘘のシナリオをついているのだ。

それは高槻に里帰りをしている友人と同じ新幹線で帰るので、近所で落ち合って一緒に京都駅まで行くという、なんとも親が厳しい高校生が門限に遅れた時にひねり出すような部類の嘘だ。

「ほんで、高槻の友達はどこに住んでるんや」

「実家は城南町」

架空の友達のプロフィールをねつ造する。

前からの友人で・・・と話しているうちに近藤なっちゃんの情報とちょっと似て来たので、そこら辺を取り入れて質問に答える。

一体私は幾つなのだろう。

当初は友達の家までついて来ると言っていた。

とんでもない。

さすがにそれは困る。計画が壊れるので、なるべく駅から遠い「ついて来にくい」町名を言ったのだが、今度はその城南町の何丁目なのかを聞いて来る。

「何丁目かは聞いていないけど、近くまで行ったら電話をすることになっているから大丈夫」

「そらあかん!」

この時点で既にかなりどんよりしていたが、ここまで頑張ったのでと踏ん張る。すると父は高槻市の地図を出してきて私に見せながら、「城南町」には行き方が何種類かあって、何丁目かによってルートが変わってくるんだと言うのだった。

iPhoneが有るから大丈夫と言っても無駄。

地図を広げられてルート説明が始まりいよいよ疲れてきた。

「あのね!もう一人で帰れるから放っておいて!」

と、言いたい。

が、言えばアウト。

これで癇癪を起こしてエラいことになった。

「じゃぁどこかわかりやすい場所で待ち合わせをしてもらうからちょっと待って」

しょうがないので、架空の友達にメールを打つフリをする。

地図で行きやすそうな建物で中学校を発見したので、これに望みをかけてみようか。

「城南中学の門の前で待ち合わせをすることにしたから」

これで頼むからもう引き下がってくれー。

と、思ったが、まだパワーがあるらしい。

「門は一つとは限らん!」

と言われ、なんとか話をつけるべく

「じゃぁ、正門の前にするから」

と答えたが、

「正門も一つとは限らん!」

と、即返された。

・・・・・。

いいえ。

正門は一つだと思います。

面倒臭い。

もうキレそう。

実に面倒臭いのである。

しょうがないので適当に正門の場所を地図の中から指して、「ここで待ち合わせをすることになったから」と言い、それから会社のY氏にSOSを発信。Y氏に架空の友人になりすましてもらって「じゃぁ、城南中学の正門前で待ち合わせしようね!」というメールを私宛てに送ってもらってようやく納得してもらったのだ。

嘘は見破られなかったが、とても疲れた。

他所の家でもこんな感じなんだろうか。

やっぱりうちはおかしいと思う。

妹一家や孫が寄り付かなくなるのはこういうことが日常茶飯事だからなのである。

は〜あ。でもなんとか話はついたのではないでしょうか。と、ホっと息をついたと思ったら・・・

「もう出発した方がええやろ」

と、急に切り出されることとなる。

「えー?もうちょっと後で十分だと思うけど」

「あかん!3時には出な」

「もう!帰りの段取りぐらいはちゃんと考えてるから放っておいて!」

と、今言えば全てがブチ壊しになる。

ガンバレ、私。言い返すな。

「3時に出ないとだめ?」

「もう出なあかん!間に合わへん!」

そして6時36分発の京都発に乗るのに私は3時に家を出ることになった。

ダンボが移動中はおしっこを我慢してしまうということもあるので、私としてはその辺りを考慮して移動をしたかったのだが、父の前では私の段取りは「ダメアイデア」として却下される。

「じゃぁ、そろそろ行くわ」

大げんかになることなく家を出られてよかった。妹は私が滞在中ついに父に一度も電話もかけてこなかった。孫が来た時の為にと買ってあったお菓子を大量に「これ、持ってけ」と渡された時にはちょびっと父が可哀想になったが、ウツボカズラはやっぱり相当強力であった。

「また来るから」

溺愛する娘が帰るのを名残惜しく見送るのかと思ったが、あっさりとガレージで軽く手を振ったら帰って行った父。

今回、ケンカにならなかったのが唯一の救いだったのだ。

「さてと」

「ダンボちゃん、このあとどうしよう」

城南町の待ち合わせがあるわけではない。ゆっくり京都に向かって運転をしていたが、3時半を過ぎた頃にはもう久世橋を渡って市内に入っていた。

今から3時間も時間がある。

いくら何でも3時に出るのは早かったとあらためて思ったがしょうがない。嵐山や市内をドライブするには時間に余裕も無く・・・。

しょうがなくレンタカー店の近くにあるショッピングセンターに入って、屋上駐車場に車をとめて時間をつぶしたのだ。

ちょっぴりわびしくなった。

家出をして行く所がなくなって困った感じってこういう感じなのかな。

敷地内にある100円ショップやマツモトキヨシをブラブラしたり、車の中でパンを食べたりしていたが意外に日が沈むのが早い。屋上も寒くなってきたのでしょうがなくレンタカーを返して京都駅に着いたがそれでもまだ時間は余っていた。

帰省ラッシュもあって、自由席も満席。

結局13本の新幹線をホームで見送って寒さに震えながらようやく6時36分の新幹線に乗る事が出来た。

身体は冷え冷え。ダンボも新幹線の中でグースカ眠っていた。

こんな年になっても、父にとって私は小学生ぐらいの子供程度らしい。

ウツボカズラから無事に生還した私達なのであった。