月別アーカイブ : 2012年10月

投稿日:2012年10月27日

2012年10月27日

よく行くビルの通路に少し前ぐらいから監視カメラが設置されるようになった。
私は防犯灯に照らされたり、監視カメラを見つけると後ろめたい気分になる。何も悪いことをしてもいないのに、心当たりがあるような気がしてきてコソコソしたくなる。なので最近はこの監視カメラエリアの前を通る時に、緊張をしているのだ。
今、特に街中は至る所に監視カメラが設置されるようになった。それで事件が解決したりしているので、監視カメラが何かしらの抑止力になっていることはいいことだなと思う。
しかし、監視カメラが増えたおかげで昔なら出来て居たことも出来なくなった。
エレベーターに乗って一人だったらスカートをめくってタイツを上げ直したり、靴の中に入った石ころを取ったり、まぁ鼻をほじるようなことまではしなかったが、かつては街中で得られるほんの少しの「自分だけの時間」というのがあった。それがあちらこちらへの監視カメラの設置で出来なくなったことで「あれは癒しだったよなぁ」と懐かしくなったりするのである。
ところで長い間私はドーム型の監視カメラをスプリンクラーだと思っていた。
よく見ると水が出そうな穴なんてどこにもないのだが、イメージとして”水がプシューっと拡散しやすそうな形”というだけでそう決めつけていたので、地下鉄も銀行のATMもずいぶんスプリンクラーが設置されて火災対策がしっかりなされているんだなぁと思っていたものだ。
「ここにもスプリンクラーがあるわ。あら、ここにも・・・」という具合に一時はチェックをしていたので、行動としては監視カメラにカメラ目線を送っていたことになる。
そして監視カメラだと思っていなかったので、過去スカートをめくってタイツの上げ直しもしていたと思う。
監視カメラの前でパンツを見せたら露出狂ということになるのかしら。
監視カメラはどうも苦手。
警官が立っている前を通り過ぎる時のような、ちょっぴり硬い表情をしている。
「自分が悪人なのか」と、その度に問うひとときとなっている。


投稿日:2012年10月24日

2012年10月24日

輸血日。
2週間に一度の輸血では少し追いつかないので、先週に続いて今週も輸血を受けることになった。
輸血を受けると身体がとても楽になる。”ヘモグロビンの数値が上がる”ということが頭でしか理解出来ていないのだが、身体の隅々までに酸素が運ばれているのが、この「身体が軽くなる」「楽になる」感覚なのだと看護師さんが教えてくれた。
目には見えないが、身体に酸素が行き渡るということは本当に身体がスッキリするということだけはわかった。
瞼ってこんなに軽くパチっと開くものなんだわー。
うわぁ、なんだかシャキシャキと歩けるわー。
酸素は大事。
酸素カプセルなるものに、今度行ってみようかしら。
よく「空気のような存在」だと極近しい人のことを言うが、つくづく思ったのだ。
酸素は大事。
空気のような存在の人のこともあらためて大事にした方がいいのだと。


投稿日:2012年10月22日

2012年10月22日

私は密かに怒っているのである。
別に密かにというわけでもなく、ふつーに怒っているのではあるが。
それは、よくよく見かける「ポイ捨て」の現場だ。
信号待ちをしている車の中から”ぽい”。
信号が青に変わったと同時に”ぽい”。
私が見る限り、いい年をしたおっちゃんばかり。そしてみんな「ぽい!」とは捨てない。”こっそり”捨てているのだが、それは車内から見ればの話。実際に外で見てもまぁ”こっそり”捨ててはいるのだが、こっそり捨てても、行為はぽい捨てなのだ。
車内にゴミ箱ってないんですか?あめちゃんの紙みたいなものを捨てておられますが。
車内の灰皿に何で捨てないんですか。わざわざ窓を開けて吸い殻を捨てられますが。
前に私はチョイノリに乗って運転していたらどこからともなく火の粉が飛んで来て、私の身体の正面に火の粉が当たってそれが離れてくれなかったので、横転しかけたのである。文句を言おうと思ったが、時速が足りなくて追いつきませんでした。宇宙から隕石が落ちてきたぐらいの恐怖を味わった私としては、「窓からぽい」をする人に腹が立ってしょうがないのだ。
道にはいろんなものが落ちている。
ズボンや上着、片方だけの靴だったり、ダンボールや手袋が落ちていることもあり、何かしらの不運で落ちちゃったものは仕方がないが・・・。
こっそり捨ててもぽい捨て。
わざわざ窓を開けてまでどうしてするのかが私には今一つ理解が出来ないのである。


投稿日:2012年10月21日

2012年10月21日

よく前を通る近所の家を今日も通りがかった。
なんか・・・視線を感じるなぁと思っていたらすりガラス越しにそこの家の猫がこちらを見ていた。
外を散歩している所を見たことがないので、家の中で飼われているんだろう。
でも外に興味があるみたいで、ピッタリと窓にひっついて外の様子を伺っていた。
すりガラス越しに目が合うのだから、よっぽどの目力でこっちを見ているに違いない。
白地に茶色のちょんまげ模様のねこちゃんだった。
うむむむ・・・外の世界を知りたいのだろうが、すりガラスの向こうからすごい念を感じる・・・。
おとなしくちょこんと座っている猫が、化け猫かと思うほど恐ろしく思えたのは初めてのことなのだ。


投稿日:2012年10月20日

2012年10月20日

ヒョウ柄ってびみょ〜な柄なのだ。
若くて綺麗な女の子が着ると、ワイルドですごくかっこいいのだが・・・。この柄が似合うゾーンに居る人は少なく、”大阪のおばちゃん柄”ゾーンは限りなく広い。
私もヒョウ柄は・・・購入したものの稼働率がとても低く友人からも評判は悪かった。
境界線は下腹。
下腹が出た時点で「アウト」なのだろう。
ヒョウなのである。ヒョウをまとうからには獲物を狙い仕留めるサバンナの動物としての野生美がないとアカンやろ。
おばちゃんも”ヒョウ”ぐらいの強さはあり、また”ヒョウ柄を着たおばちゃん”はさすがヒョウ柄をまとうだけあっておばちゃん族の中でも生命力が強い。
信号待ちをしていたら、横断歩道を外れてヒョウが悠々と道路を渡っていた。
なんと、おばちゃんはヒョウ柄の長袖Tシャツを着て、ヒョウ柄のスパッツを履き、ヒョウ柄の靴を履いていた。
これから何を仕留めに行くのか・・・。
貫禄があった。
強そうだった。
「ヒョウ柄が似合うようになる」のは難しいのである。
おばちゃんヒョウの枠の中では、私はまだまだ若ヒョウなのであった。


投稿日:2012年10月18日

2012年10月18日

またJR東海の「そうだ、京都行こう。」のコマーシャルがよく流れている。
京都に住んでいる人達はこのコマーシャル、放映されていないので知らないのだが、JR東海が四季が来る度にやっている京都への旅のキャンペーンで、それはそれは美しい京都の景色が見られるコマーシャルなのだ。
荘厳な京都の景色が画面いっぱいに広がる。
あぁ、京都ってやっぱり素晴らしい所だわ。
私はこのコマーシャルが大好きなのだ。
それにしても、日々テレビドラマに於ける京都での殺人事件はすごい量だ。昼間から再放送のドラマであっちゃこっちゃで巧妙なトリックの殺人事件が京都市内で起こっていて、えらいいろんな職業の人が犯人を暴いている。再放送や2時間ドラマだけでも京都の殺人だらけだというのに、今月から新しく今度は「捜査地図の女」という京都の地図がキーワードとなる事件ものが始まったので、また頭が混乱してきた。
京都が舞台の事件ものの番組はどれもシリーズでありながら、一話完結なのでテレビは一体何人もの人を京都で殺してきたのだろうか。「なんで京都ばっかり!!」と、京都市長は一度ぐらいクレームを言ったっていいのではないかと思うぐらいだ。
東京では毎日京都が映し出されている。
一日に3本ぐらい京都の事件ドラマを観て、頭が混乱することもしばしばなのである。


投稿日:2012年10月15日

2012年10月15日

血液内科の外来日。
採血の結果はヘモグロビン値が6.3。
6台になるとやっぱりしんどくなるようで、息切れと耳鳴りが出てくるのだ。
薬の投与が始まってから2ヶ月が経った。
効果が出るのは早い人で3ヶ月目ぐらいからなのだそうだ。
2週間に一度の輸血だと少し追いつかないとのことで、今週と来週に輸血をしてその後11月5日にまた外来でヘモグロビン値を計ることになった。
数値が低くなると眠くてしょうがない。
時間があればいくらでも寝ちゃえるのだ。


投稿日:2012年10月10日

2012年10月10日

急に気温が下がってきたので衣替えをしないと、もう寒いのだ。
ほんの少し衣替えはしたが、ヘモグロビンの数値が下がっているせいかいつものように一気に進まない。なので今日は靴だけでも・・・と靴の衣替えをすることにしたのだった。
靴類は数年前までクロゼットに収納していたが、今はベッドの下に収納をしている。ブーツが何足か眠っているはずなのだ。
毎年、衣替えは楽しい行事なのだ。
前から持っている物達でありながら、再会をすると新鮮な気持ちがする。存在をすっかり忘れていたものも出て来たりして、あれやこれやと出て来る物達はどれも自分の好みで買ったものだからやはり手にするとなんだか嬉しくなる。
ブーツが出て来た。
あら、そうそう、これも買ったわ。
ちょっとヒールが高いけれど、今年は出番があるかしら。
かわりにサンダル達を箱の中に収めて、また来年。
我が家のベッドの下にはタイムカプセルが眠っている。
今日はこれでおしまい。
靴だけでとても息が切れてしんどくなった。
衣替えも体力が要るのだ。


投稿日:2012年10月09日

2012年10月09日

またまた変な夢を見た。
それは、私の魂が自分の身体から離れた夢だ。
夢の中の魂の私はこう思っている。
<そうかぁ。何かの本で「魂」について書いてあったが、こういうことだったのか>
と、妙に納得しているのだった。
本などで「人の一生は人間の身体を借りて魂が宿っている状態だ」というようなことを読んで、「宇宙」について述べられている本と同じぐらい私には漠然と難しいことのように思っていたのだったが、夢の中の私の魂は自分の身体を鏡では見ていないからわからなかったが、透明のものっぽくなっていた様子。
毎日、何かしらつじつまの合わない変な夢を見ているが、今日の夢は今後も記憶に残る変な夢の一つになるだろう。
魂の私は意外に楽観的だった。
「あ、そうなんだ。」
と、すぐに事情を受け入れていた。
素直な魂ちゃんであった。


投稿日:2012年10月05日

2012年10月05日

通りがかった店先に、早くも「お歳暮」ののぼりが立っていた。
ポストを開けたら「年賀状」の予約受付のチラシが入っていた。
早くないですか?まだキンモクセイの匂いさえしないというのに・・・。
毎年丁度このぐらいの時期になると今年の干支が何だったかを忘れている。今年こそは一年を通して干支を忘れないぞと誓うのに、やっぱり忘れてしまい、師走に入ってからようやく来年の干支を知り、「へぇ、そうだったっけ」と思い出すのだ。
まだ10月。いやもう10月。
今年こそ、一気に年末になってしまった感じのしない年にしたいのだ。