今日で一月も終わり。
机の横の壁のカレンダーはふた月分を張ってある。
一月分を早々に片付けて、二月三月を縦み並べて張った。
うるう年の時以外は二月と三月は末日の日数が違うだけで、同じ曜日で進行する。
春はまだかな。
でも少しずつ日が長くなってきている。
庭のクリスマスローズがうつむき加減に咲いている。
「そうか、来月と再来月は同じ曜日か。」
一月三十一日に、私がよく思うこと。
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2011年01月30日
シリコン製のキッチンツールがすごい勢いで普及している。
見た目が柔らかいので、これで本当に耐熱性があるのだろうかと今ひとつ信用出来なかったのだが、今や店頭に並んでいるのはシリコン製のものがだいぶ多くなっていて、「埃が付着しやすそうだから」「溶けちゃいそうだから」と否定的だった私も、最近は古くなった木製のキッチンヘラをシリコンに買い替えようかと思うようになってきた。
シリコン製のキッチングッズは何と言っても色が明るいのが特徴だ。レッド、グリーンなどの一般的な色の名前以外にもラズベリー、オリーブなんていう色目のものまで出しているメーカーもあって、キッチングッズ自体もカラフルになったのだ。
確かに可愛いツールで作業をすると、気持ち的に同じ作業でも楽しくはなる。先日ピンクの「立つおさかなしゃもじ」を買ったら、ご飯をよそうだけなのに嬉しかった。ご飯をよそう行為を嬉しいと思ったことがなかったので、雑貨好き人間にとっては「シリコン製」であることよりも「可愛い色と形」に心を奪われるかもしれない。
それにしても、こんな柔らかいシリコングッズが本当に熱に耐えられるのかしらん。
昔人間の私はまだ疑っている。
フライパンでジュっとやったら、ジュっと溶けて変形をしてゴムの焼けたにおいがしてくるのではないかと最初に想像をしてしまうのだ。
それに、こんな明るい色の物で調理をしていたら、逆に食材に相反して食欲が失せないのかしら、とも考える。水色のフライ返しで目玉焼きを作っている時、果たしてその目玉焼きは美味しそうに見えるのか。
シリコンキッチンツールが出てから、キッチングッズはどんどん花が咲いたように色が増えて行く。しかし「色」だけで言うなら流し台の排水溝のフタはステンレスがよいと思う。数年前黄色の可愛いフタにしてみたら、流し台を使用するたびに色がズズ黒くなって逆に汚くなってしまったからだ。
そして結局ステンレスの定番のものに戻した。
その方が清潔な流し台になった。
こういうこともあるので、全てがシリコン製に代替えすればどこかしら不便が出るとは思うのだが・・・・。
キッチングッズがステンレスで銀色が当たり前だった時代は今は昔となった。
2011年01月29日
「あの人はどうしているかしら」と、ふと少し前に思い出した人から連絡があったり、今朝の夢に出て来た人とバッタリ会ったり・・・。そんな「偶然」が年に何度かあるのだが、今日はまさしくそんな日だった。
仕事からの帰り道、駅前の西友で買い物をしてさぁ帰ろうと歩き出したら、ベーシストの先輩Wさんとバッタリ会った。
そっか、確かWさんの買い物エリアは同じこの辺り。だからバッタリ会ってもおかしくはないのだが、昨日丁度Wさんの話をしていたところだったのだ。
友人のKさんと私は音楽関係の繋がりではなく、なのでそれまで私は音楽の話を特にしたことはなかった。だが、たまたま昨夜は彼女が「たまにライブを観に行ったりもする」のだということを知って、それで「どんなライブに行くの?」という会話からなんだかいろんな人と繋がっているということがわかったのだった。
ほんと狭いよねぇ〜。なんて話をして別れたところなのだ。
今度Wさんに会ったら今日の話をしよう!と思っていたら、こんなに早くに会うだなんて。
「昨日ちょうどWさんの話をしていたところだったんです」
しばらくWさんと西友前で立ち話をしていたら、「おぉ」という声がした。以前からよくWさんからお名前を聞いていたギタリストのTさんと、これまた偶然バッタリ会う形となった。私は初対面だが、昨日Kさんとの会話でも名前が挙がっていたのがこのTさんだった。
<昨日丁度あなたのお話をしていた><昨日偶然夢に見ました>という話は、本当のことであっても、なんだか取ってつけたような気がしてしまい言いそびれてしまうことがある。とにかく3人で会話をしているのだが、それが昨日の会話と驚く程近い会話ばかりなので、度重なる偶然に「びっくりした」という言葉を連呼していたように思う。
「よし、じゃぁご近所さん同士3人でライブをしようか」
えぇえええっ。
すごい偶然の重なりを目の当たりにする日がある。
川が海に向かって流れるように、自分を流れに預けて行くと小さな旅が出来そうな、そんなことを思ったのであった。
2011年01月28日
今週の初めに新しい音楽ソフトを買って、ちょうど少しだけ扱えるようになってきた。
と、いうことは。
それと同時にそろそろ魔法が解ける頃となる。
私は何故かしら、毎回新しい楽器やソフトを購入すると自分が上手くなったような気がするのだが、しばらくするとそれは全くの気のせいだったということになるのだが、今回も早くも魔法が解けてきたのだ。
ちょっと早すぎではないかい。
元に戻るスピードとしては、「パーマがすぐとれちゃった」と言っていた友達よりも早い。
音源の入ったソフトについては、ドラムやベースやギターの音も豊富に入っているので、それこそ自分がドラムやベースまで演奏が出来る人になったという錯覚にまで陥るのである。
そして夢からさめるとまた、ギターって弦が何本ある楽器だったかな?などという私に戻るのだった。
近所ではカラスよけにCDを吊るしている家がある。
いいや、今回は頑張る。
この辺を縄張りにしているカラスが、そんな私を笑うかのように遠くで「カー」と鳴いた。
2011年01月27日
コミュニティバスの停留所名で「浜田山みどりの里」という名前の所がある。
ネーミングから想像してピクニックランドのような広い敷地を思い浮かべたのだったが、その停留所は井の頭通りからちょっと入ったところにあって、どちらかと言えば目の前にあるM乳業の研修所の方がバス停の名前にふさわしいんじゃないだろうかと思う程、M乳業の目立つ場所なのだった。
「浜田山みどりの里」バス停の次が終点「浜田山駅」。
どうしてこの名前なんだろう?と周囲をキョロキョロしながら、毎回ヒントを得ようと思っているのだが、これまた毎回終点でバスを降りると、電車に間に合うかどうかの方に気を取られてそのまま忘れてしまうのであった。
だからこのバス停を通る時のみ、このバス停の名前の由来について想像していたのだった。
ある時は「きのこの山」「たけのこの里」というお菓子のパッケージを思い出し、かつて江戸時代ぐらいはのどかな里だったという、何か言われがあるのかもしれないと思った。ある時は「みどりの里」という名前の健康ランドのようなこじんまりした入浴施設があるのかもしれない、と周りをキョロキョロと見たこともあった。
それとも園芸ショップでもあるんだろうか。いいや、バス停近辺は銀行が一つとM乳業の施設、他はマンションしかない。
どうしてこの名前がついたのかは想像しても答えは出なかった。
家に帰ってふと思い出したので検索をしてみたら、簡単に答えは出た。
バス停前に建っているマンションが、「浜田山みどりの里」という区の高齢者住宅なのだそうだ。そして同時に区内には@@みどりの里という名前の施設が全部で15カ所もあるということを知った。
区の施設で高齢者の為の住宅というものがあるのかぁ。
みどりの里っていい名前だなと思った。
「里」という言葉には何故かしら温かいイメージがある。
これからはキョロキョロすることもないだろう。
里を通って街に出かける。
そんな風にバスに揺られていることだろう。
2011年01月26日
「お母さん」は熱くない。
子供の頃の私の中の不思議の一つであった。
「お母さん」は、これは絶対に熱くて素手で持てないだろうと思うものを、涼しげな顔で持ってテーブルに置いたりする。「あれ?熱くないのかなぁ」と、自分も触ってみたら、これが「あっちんちん」ぐらい熱いのである。
熱くなった食器を冷静に扱う「お母さん」をすごいと思った。
遠い昔の話だ。
そして今。
私の毎日の始まりは、朝食の用意の前に今日一日分のお茶を500mlサイズのガラスポットに作ることだ。
今の時期はガラスポットにティバッグを入れて熱湯を注いで、それを少し離れたキッチンワゴンに移動させるのだが、この「あっちっち」を素手で持って一瞬で動かしている。
熱いけれど熱くない微妙な一瞬、これ以上の時間は持てないギリギリのところだがやけどをするでもなく、ササっと移動をする。この時の顔は私が子供の頃に見た「お母さん」の表情と一緒なんだろう。
よく「ねぇ、熱くないの?」と尋ねた。
「熱いわよ」
という返事だったが、顔色一つ変えずにそれをやってしまう「お母さん」は強くてかっこよかった。
今、私も顔色一つ変わらない。
かっこいい顔を作っているのでなく、とても緊張をしている顔だ。
私は「お母さん」にならなかったけれど、時々「お母さん」になる。
そりゃぁ、素手だと熱いわよ。
誰も訊かないけれど、心の中で微笑む。
朝の風景。
2011年01月25日
ギタリストの知野氏に教えてもらって、年末ぐらいから購入を検討していた「KOMPLETE7」新しい音楽ソフトを買った。
スーパーでは6Pチーズが20円高いと「今日は買わないわ」と財布のヒモの堅い私も、音楽制作関係の新しい機器や音源などを買う時は、今まで「取りあえず、今いいと言われているもの」を買ってきた。
今よりもっとお金のない20代の頃から、お店や友人の間で「今はコレがイチオシ!」と言われているのを「それ下さい」と即買いをして、後でローンにばかり苦しんでいたっけ。
フロッピー付きのシンセが出た時もぶったまげて「これ下さい」と言って買っていた。ドラムマシンが出た時も「これ下さい」と言っていたし、鍵盤がついていない音源が発売された時もラックと共に購入していた。
「これからはMAC」の時代と言われて、コンピューターって何なのか知らずに「じゃ、それも買います!」とローンを組んでいた自分も恐ろしいが、結局そのMACで音楽制作もせず、おまけについていた「上海」というゲームしかせずに終わってしまった自分はもっと恐ろしい。
どうしてこんなことをしてしまうのか。
それは新しいアイテムを購入したら、それだけで自分がめちゃくちゃ上手くなったような気がしてくるからなのだ。
不思議なのだ。実際は腕前や音楽力に変化はコレっぽっちもなく、かつローン地獄が待っているわけなのに、繰り返し新しいアイテムをゲットした時期は、わけもなく「モチベーションが上がる」ヤル気モード全開になっているのだった。
よぉおお〜し。
今日はインストールするぞ〜〜。
昔は音楽用語に「インストール」なんて言葉はなく、楽器に電源を入れることがスタートだったのだが、時代は変わった。それに今は昔から比べて信じられないぐらいクォリティの高いアイテムが安い値段で手に入るようになった。
なんか、私上手くなった気がする・・・。
何回目の夢を私は見ているんだろう。
「今度こそ、マスターしてめっちゃ頑張るねん」
で、早くもインストールの仕方がわからずに血圧が上がってきた。
また、いつものパターンだわ。
「ううん、今度こそ頑張る」
くじけず頑張るのはいつも「今日」だけ。
今回も同じ一歩を踏み出したのであった。
2011年01月24日
最近はどの店もポイントカードなるものを発行している。
「ポイントカードはお持ちですか」
清算の時に尋ねられる。
よく来るお店の場合、ポイントカードがあるのなら、機会があれば作ってもいいなと思っているのだが・・・。
「いいえ」
と返事をしたら、「失礼致しました」という返事で何事もなかったかのように清算が終わり、「ありがとうございました」と頭を下げられて終わってしまうのである。
ポイントカード、私は要らないのよ。
という顔をしているかしら、私。
逆にポイントカード、作りたいんですけど・・・。
と、思いつつもまぁいいかと店を後にしてしまうのだった。
ポイントカードは、よければお作り致しますと声をかけてくれる店と、ないのならそうですかとあっさり話を終わらせてしまう店とがある。ドラッグストアとスーパーでの買い物では後者がほとんどと言ってもいいので、もしかしたら、出来るだけポイントカードは店員さんの方から勧めないというマニュアルでもあるのかと思うほどなのだ。
今日は某ドラッグストアでポイントカードの有無を尋ねられて、「失礼致しました」で話が終わりになった時に、思い切って「あのぅ、ポイントカードは作れますか」と言ってみた。
するとあっさり入会手続きを書いて、そして「本日は月曜日ですので3%引きになります」と言ってお会計がいきなり3%引きになったのだった。
最初から貴女は3%引きになるのを知っていたのね。うむむむむー。あやうく3%引きの恩恵を受けられなかったところだったじゃないの。
ポイントカードはお店にとってお客に広めたいものなのかどうなのか・・・どういう存在なのだろう。
カードを持っていないと答える時、少し罪悪感がよぎる。
それなのに、カードを作りたいと自己申請するのにちょびっと言い出しにくい空気を感じる。
たくらみがわからない。
ドラッグストアとスーパーの謎なのである。
2011年01月23日
日曜日は終日生徒さんのレッスン、渋谷に行っている。
レッスンは駅から少し遠いのと、帰りは少し不便な面があるので原付で行くことも多く、今日も原付で出かけたのだった。
途中、代官山のピーコックでお昼ごはんと飲み物を買おうと立ち寄る。
レジで支払いをしようとしたら・・・・。
財布がないことに気がついた。
「す、すみません。お財布を忘れてきてしまいました」
とっても恥ずかしい思いでレジを後にしたのだが、財布を忘れたということは免許証も忘れてきたということになる。
どよ〜〜〜ん。
とは言っても取りに帰る時間もなく、悩んでいる暇はないとばかりに不携帯と知って原付に乗ってそのままレッスンに向かったのだった。
携帯を忘れることは度々あるが、やっぱり財布の方が痛手は大きい。今警官に止められて「あんた、免許を持っていないじゃないか」と言われたら、財布を忘れてきたことをたった今知ったという演技をしようか。いや原付を止める料金さえ今持っていないんですよ。じゃぁあのまま放置してもいいってことなの!と逆ギレする方が私らしい。頭ん中はあっちゃこっちゃ人格が飛びつつも、実際は原付に乗りながら罪悪感でいっぱいであった。
無事到着したが、家から持ってきたお茶しか今日はない。
何も食べられないの?
休憩時間に雑貨屋さんに行ったりも出来ないの?
財布がないってわびしい。
そう考えただけで急に缶コーヒーが飲みたくなって来るので、余計にみじめな気分になるのだった。
人にはたくさん会うのに無人島な気分。
コーヒー、飲みたいなぁ。
おにぎり、食べたいです。
若い生徒さんがみんな金持ちに見える。いや、実際に今の私よりお金持ちである。
はふ〜〜〜っ。こんな気分は財布を忘れた時ぐらいしか味わうことはない。
バッグの中にあった昨日いただいたチョコレートが、私の心とお腹ん中を満たしてくれる唯一のオアシスとなってくれた。
レッスンが終わってさぁ帰宅。となった時に、また免許不携帯で原付に乗ってこのまま家に帰ってもいいんだろうかということでどんよりする。
だいたい電車賃がないやん。
いつも性能上、法定速度以上のスピードは出ないチョイノリに乗りながら、家に帰るまでずっと落ち着かない気分でいっぱいであった。
「ただいま」
財布に再会するとすごく安心した。
ダンボ、今日は無人島に行って来たんだよ。
ほっとしたぁあああああ〜〜〜〜。
財布を持って出たことのないダンボには、話しても絶対にわからないこのキモチなのであった。
2011年01月22日
1月22日は飛行船の日。
一番最初の飛行船は19世紀の半ばに軟式飛行船をフランス人のアンリ・ジャファールが開発し、20世紀の初め頃には民間航路として乗客を乗せて飛んでいたのだそうだ。だが1930年代になって墜落事故が相次ぎ、37年にドイツのヒンデンブルク号がニュージャージー州の空港に着陸する際に爆発炎上し墜落した事故を機会に使われなくなり、今は広告の目的で飛ぶのが用途の中心となっている。
昔は大きな事故で亡くなった方もいた飛行船だが、私が飛行船を知った頃は既に空の高いところをゆっくりフワフワ浮いているのどかな存在だった。
子供の頃は風船をたくさん手に持ったら空にフワリ浮くんじゃないかと本気で思ったものだ。
気球にアドバルーン、あまり見ることはないが大きい割に威圧感がないところがいい。UFOのような緊迫感もなく、空を縄張りとしている生き物達に対しても脅威を与える感じでもない。
水色の空が似合う。
今年は見つけることが出来るかな。
飛行船。
虹を見つけた時と同じぐらい、心弾む飛行船。