私がよく利用する駅の一つ、京王井の頭線の某駅前は他の駅に比べて店が少なく、割とすぐ住宅街になるのだ。駅の北側に大きいスーパーがあって、そこが24時間営業なのだが他は8時や9時に店が終わるので、駅前はそれぐらいになると少し静かになる。
この駅を利用するようになってから2年近くになるのだが、「平和だなぁ」と思いながら「大丈夫なのかなぁ」と、初めて来た時からずっと思っていることがあって、それは駅前のDIYセンターの花屋さんが、店を閉めたあと苗を軽く囲っているだけで、盗ろうと思ったらいくらでも”苗盗り放題”であることなのだった。
昔、バイトをしていた時に「万引きというのは、こちらもされないように工夫をすることで、抑止効果はずいぶん出るのだ」と教えてもらったことがあって、それは万引きをしにくい心理状況を店側が注意して作ることなのだと言われたことが記憶に残っていて、未だに買い物をしながらそれを思い出したりする。だから、最初この花屋さんの前を通った時には、なんてスキの多い店なんだろうかと心配したぐらいだ。
しかし、あれから2年が経とうとしている今でも、閉店後の囲いは甘いままで、しかもどこにも「お花を盗って行かないで下さい」という張り紙がしていないから、この駅を利用する住民達は大変善良な人達なのだなぁと、妙な感心をするのだった。みんなもし、生まれ変わって犬になったとしても、「待て」をいつまでも出来る優秀なワンちゃんになれるのだ。
しかし、私はハッキリ言って、たまに花を盗っていることがある。
盗るというのは変だが、前を通りながら「こうやったら、この花は盗れるなぁ」というシミュレーションをしていることがあるのだ。頭の中にあることをやれば即泥棒。他の店ではそんな想像はしないのに、この前を通る時だけそんな自分が生まれるわけなので、いつか教えてもらった「抑止効果」というのは、やはり大事なんだろう。
前に住んでいた所もとてもいい住宅街だったが、「バイクを盗っていった人へ」「お花を盗まないで下さい」の張り紙があった。
苗盗り放題なのに、誰も盗らない駅前。
いいんだが、ちょいとずさんだなとも思う。考え方によっては、前を通る人達を試している罪な店なのだ。
平和なはずなのに、心配症の私は前を通るといつもドキドキする。
片や頭の中では泥棒になっている私、片や「お花を盗らないで下さい」の張り紙がなくてホっとしているのである。
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2008年03月30日
天気が悪かったが、お花見は決行。
欠席する私のかわりに、ダンボに参加してもらうことにしたのだ。
私が偵察に行った時、結構花見犬というのが居たのだ。花見をしているグループの誰かが連れてきたワンちゃんが一緒に居るというパターンで、昔はビニールシートのはじっこには石を置いて、シートが飛ばないようにしていたが、今は時代が変わりそこにワンコが座っている。
ダンボちゃん、いいかい。
今日は私からのこれはお願い。
このあいだ一緒に偵察に行ったよね。
「使える吉川さん」デビューを狙っていたことも知っているよね。
ダンボちゃん、だけど私は風邪をひいてしまった。
どう思う?
ダンボちゃんは、こんな時どうする?
もし私がお前だったら・・・・
今日はキミがお花見の参加メンバーだよ。
ね!
ビニールシートが飛ばないようにしっかり押さえて来るんだよ。
「いってらっしゃーい」
そうやってダンボを送り出したのだった。
そして、数時間後。
お花見メンバー達が家に立ち寄ってくれたのだが・・・。
「ダンボちゃん、ずっと暗くて」
グループの輪に、意地でも入らないぞといった風でお花見犬どころか、誰にも懐かずずっとただのいじけた犬のまま輪から離れた所に一匹居たらしい。
お前、ビニールシートが飛ばないように座ってくれていたんじゃなかったのかい。
家に帰って来たら、別のワンちゃんみたいに明るくなったと言われて、なんとなくどうしていたのかが頭に浮かんだのだ。
急にみんなに懐くな。
遅い。
花見ももう今年はこれで時期も終わり。このあとは一気に葉桜になり、またこの辺りはのどかな住宅街に戻る。
ダンボちゃん、私達似た者同士だわね。
使えない吉川家の面々なのであった。
2008年03月29日
今日も風邪で一日部屋で寝ていた。
花見スポットがこんなに近くにあって、桜も満開になったというのに。
もう桜が咲いているのは見たんだからいいじゃないと言われそうだが、よくない。またあらためて近々来るということが前提となっていたので、あれで終わりでは座りが悪いのである。
私は・・・桜も見たいが、近所に人がたくさんやって来て観光スポットのようになっているのが、嬉しいのだ。
年中そういう場所に住んでいる人にとっては、そういう感覚はわからないだろうが、私は町内環境だけでなく、実家自体お客さんが家に来るなんてことの滅多にない家だった。「観光スポットのような」体験が出来ることは、ものすごくワクワクすることなのだ。
もしも、桜の道の近くに家があったら、庭をオープンカフェにし一部屋をカフェ仕様にして、期間限定のカフェを開きたい。ちょびっと雑貨屋さんのような感じで、ちょびっと模擬店のような感じの店。そこで私は桜ティをお出しして、クッキーを焼いて、接客もして・・・。
「いらっしゃいませー」
着なくなった洋服や小物はガレージセールのように出す。コーヒーだってぼったくり値段はつけないのだ。
そして日没までの営業。
そんな楽しい想像をしながら、盛り上がって張り切っていたのに・・・。
桜、満開。
近所にあると言っても、窓を開けても別に桜はない。
テレビのニュースで咲いているのを見たというだけで終わったのであった。
2008年03月28日
朝目覚めたら、しんどかった。
風邪だ。
突然になったのではない。月曜日ぐらいから、少し喉が腫れ気味だなと思って、うがいを強化して注意しながら過ごしていたのだ。だが少しずつ風邪エリアは広がって行き、今日は具合いの悪いエリアの方が多くなって、それでとうとう起きられなくなった。
お花見の日は、それまでに地図を把握して当日は、「何でも知ってる吉川さん」として、株を上げようと思っていたのだ。こういう団体行動でのイベントでは、手伝おうとしてひっくり返して「ごめんなさい」ということはあっても、役に立ったことはまずなかったが、今回は現場をよく知っている人間になれるという、初の野望があった。
「水道ならあそこにあるよ」
「お手洗いはその先のところね」
「コンビニまでは2分ぐらいかな」
「この道が近道だからね」
一度、物知り人間になってみたかった。だから、今日も桜偵察に行くつもりだったのだ。
だが、
花見の前に、風邪菌は私の体にまるで花見の場所を取ったかのようにゴザを敷いて、ドカっと腰をおろしてしまった。
いつまで・・・居座るつもりなんですか。
私も花見の準備が・・・・。
「何でも知ってる吉川さん」になりたい。
すごーい!と言われてみたい。
そうしたら、「えー、そんなことないよぉ」と言うのだ。
このままでは「近所に住んでいる割りに全然この辺のことを知らない吉川さん」になってしまう。
むむむー。
またもや、使えないヒトになってしまうのか。
今日の風邪菌達は相当飲んで酔っ払ったようなのだ。風邪菌達のお花見会場になった私は、悪酔いした風邪菌達に暴れられてただただ具合いの悪い一日を送ったのであった。
2008年03月27日
桜が満開になったと聞いて、ダンボを連れて見に行ってきた。
家の近くに絶好のお花見スポットがあって、日曜日はこの辺りで服部祐民子ちゃん達とお花見をするので、一番近所に住んでいる私がここはいろいろと情報を持っているときっと良い!
ダンボ、偵察に出掛けるからついて来てよ。
我等、サクラ探検隊。少なくともどこに桜が生えているかぐらいは知っておこう。
ダンボと一緒に、エイエイ、オー。
桜が綺麗なスポットは、確に家の近所なのだが、ほんのちょっとだけ遠い微妙な近所という距離にあるので、一部のエリアは知ってはいるが、まだよく知らないというのが本当の所なのだ。
だが、去年の花見の時期にこの辺りはすごい人出だった。夜でもたくさんのグループが花見をしていて、高円寺駅前にあるような道端にまで椅子が出ている飲み屋さんが、店と客ごとこっちに来たというような賑わいだったのだ。
私達も日曜日に花見をするのはいいが、席ってちゃんと確保出来るんだろうか。とにかく下見をしておこう。
夕方に出掛けたら、平日だったが花見をしに来た人達が結構遊歩道を歩いていた。
最近はデジカメ普及率が高くなって、桜を写真に収めようと撮影する人が本当に増えた。
私もパチパチと写真を撮る。
この道ってこんなに綺麗な桜道になっていたんだなぁと川沿いを歩く。いつも思うのだが、植物は一斉に示し合わせたかのように歩調を合わせてせーので咲く。遅刻をしないところを見習わないといけないなぁと思う。
「きゃー、ちっちゃい」
「かわいい」
ダンボはかわいいと言われても、桜がいくら綺麗でも関係ないらしく、今日も尻尾をおしりの下に入れてブルーな気分で私の散歩に付き合っていた。
優しい色の桜が咲いていた。
冬は寒々としていた川沿いのこの道だった。
花が咲くっていいね。
だってそれだけで歩きたくなるんだもの。
写真に収めたくなるんだもの。
誰かを誘ってお花見がしたくなるんだもの。
桜偵察隊、本日桜が満開であること確認。
桜の写真を撮っている写真族も多数確認。
また来てね。
最後にもう一度振り返ると桜達が大きく手を振っていた。
2008年03月26日
最寄りの郵便局のガードマンの初老の男性と、チョイノリのご縁で顔見知りになった。
おじいさんは個人的にチョイノリに興味がある様子で、行く度に乗り心地を聞かれたり、チョイノリに関する質問やおじいさんの持っている知識を聞いたりと、私にとっては今チョイノリ談議が出来る一番の相手になったのだ。
「それは、乗り心地はいいのかい」
「今日は風が強いから気をつけて」
「自転車がわりに便利そうだねぇ」
一見おじいさんは、「チョイノリ」を知っているような雰囲気の風貌ではない。車の運転だって木の葉マークをつけて走らないといけないような、「ザ・老人」だが、会話をしていると、どうもおじいさんが”自分が乗るのに欲しい”様子なのだった。
その郵便局にチョイノリでやって来る私は唯一のお客なのかもしれない。
生チョイノリを見て、おじいさんはもっとチョイノリが欲しくなってしまったのだろうか。
おじいさんは、仕事を終えて家に戻る。
夕飯の時に、ばあさんにもう一度話を持ちかけてみる。
「なぁ、ばあさん。」
「もう車は乗らんから。」
「そのかわりに小さいバイクを買うてはどうかと思うんだが」
ばあさんは、答える。
「だから、あなた」
「何度言ったらわかるんですか。」
「だめだと言ったらだめですよ。」
「転んだら骨を折って即入院」
「どうするつもりなんですか」
「史朗にも聞いてごらんなさい。だめってみんな言うに決まってるんですから」
そこで、じいさんはたまに郵便局にやって来る私の話を引き合いに出すのだった。
「でもなぁ、ワシが行っとる郵便局に来る女の子が便利ですよって言うとったんだよ」
「その子は足が悪いんか、杖をついとってな」
「ワシの方が元気だよ」
「たぶんあの子の方がどんくさい」
「自転車だと、やっぱり坂がキツいんじゃ」
「便利だと思うんじゃが」
「だめかのう」
勝手に買わずにばあさんのお許しをもらおうとする健気なおじいさん・・・・。
そんな風に今までおじいさんのことを思っていたのだが・・・・、
今日の会話でそれはなくなった。
「チョイノリ、実はそれほど売れなかったんだよねぇ」
「え!」
・・・・・。
おじいさん、貴方は何者なのだ。
前の仕事はバイク関係、今も休日はハーレーを乗り回しているベテランライダーなのかもしれないのであった。
2008年03月25日
今日からが春休みという小・中学校が多いのだ。
学生時代の私は、だいたい実年齢の2歳下ぐらいに見られていた。早生まれなので4月生まれの同じ学年の友達とは1年程の差があるわけなので、成長も遅かったとは思うが、子供の頃はより子供に見られることがとてもイヤだったのだ。
小学4年生の時には2年生だと言われる。
中学生になっても私は小学生に見えたらしい。
だいたい中学生になってからも母親が駅で切符を買う前に、「おねえちゃんは、小学生。いいわね」と私に厳しく指導をしていたのだ。嘘つきは泥棒の始まりだと言っていたが、万引きをそそのかすのと同じじゃないか。
正しい学年を言い当てられたことは、ほぼなかったと記憶している。そうして私は真面目にいちいち「いいえ、中学1年です」と返事をしていたのだった。
早く大人になりたい。
大人っぽく見られたい。
これが当時の日々の夢だったのだが、「春休み」は自分の学年を名乗りにくいあいまいな時期だった。
「今度高校2年になる」のか「高校1年」なのか、春休みの間というのは学生本人達も表現がマチマチで、バイト先で知り合った友達や学校が違う友達との会話では、この人はいっこ上なのか同じなのかわからない状態で、接していたこともあったのだ。
今は1つ上も下も全部同じ感覚だが、学生の時の1学年の差は「敬語を使わないといけないヒト」か「使わなくていいヒト」か、特に体育会系クラブ出身の私には大きな問題だった。
3月31日まではその学年で、4月1日から新しい学年を名乗るというのが、区分としては正しいらしいが、学生時代に私はそれを知らないままだった。
春休みは自分が何者なのかがわからなくなる時期だった。
2歳若く見られたらラッキーだという感覚を知らない、遠い遠い昔の話なのであった。
2008年03月24日
今日は雨。
シトシトと降る春雨だ。
食べ物で、同じ漢字を書くもので春雨がある。
お店で食べたことはあるが、私は自分で買って調理をしたことは一度もなく、多分スーパー内における私にとっての存在は「ライスペーパー」と同じグループにあるのだ。
別に嫌いというわけではないが、常に前を素通りしてきた。
春雨は、緑豆やイモのでんぷんで作られている。日本には最初禅宗の精進料理の材料として、鎌倉時代に中国から伝わったのだそうだ。
今日みたいな雨の日にやってきたのかなぁ。
台湾では「冬粉」と呼ばれている。
日本に来たら、「春雨」。
どちらも風情のある名前だなと思う。
シトシトと雨が降っていた。
ここからひと雨ごとに春になっていく。
この雨が上がったら、きっと桜が一気に咲くのだ。
2008年03月23日
夕方、花に水をやっていたら、お向かいのご婦人が自転車で帰って来られた。
「桜が少し咲き始めたみたいですよ」
「え!そうなんですか」
水をやり終えるとダンボを連れて、近くの公園に偵察に行った。
尻尾をフリフリ。
フリフリ。
いつもは行かない川沿いの道に行くと、ほんの少し桜の蕾が開き始めていた。
この辺りは花見スポットなので、満開の頃には花見客がわんさかやって来るのだが、もう花見に来ている人達がいるではないか。みんな手にはカメラを持っていて、記念撮影をしたり、アップで桜の蕾を撮ったりしている。
「ほら、桜だよ」
犬というのは、本当に植物に全く興味を示さない生き物なのだ。
「サクラ!」
「さくら!」
「sakura!」
花が綺麗だということを心に留めるのは、少なくとも犬にはないことらしく、いくら指を差してもダンボは桜を見なかった。結局彼は”もう帰ろう”と訴えるだけで、最後まで私のことしか見ていなかったのだ。
今年も東京では桜が咲くよ。
100円玉で年中貴女にはお目にはかかっていますが。
これが本物。
桜色って綺麗だな。
たくさん人が居るけれど、
大丈夫、怖がらなくていいからね。
ほんの少し人見知りがちに、川沿いの桜が咲き始めた。
2008年03月22日
南青山マンダラに服部祐民子ちゃんのライブを観に行った。
今日のライブタイトルは「弾き歌い」。ゲストには去年私も一緒にステージに立ったうんちゃんことunnoさんのグループ「ちんどんうさぎや」が出るので、ちんどんとのコラボってどんな感じになるんだろうと、こちらも楽しみなのだ。
祐民子ちゃんは、私が今までに観たライブと一緒に演奏をした数回のライブでも弾き語りで歌っていたので、弾き語りがベーシックにある人だと思っていたら、意外にもギター一本でライブをやるのは今回が初めてなのだそうだ。
「弾き歌い」というタイトルっていいなと思う。
よく考えてみたら本当だ、「弾き語り」じゃなく「弾き歌い」が楽器を演奏しながら歌うスタイルを言い表している。
今日の「弾き歌い」はギターの弾き歌いから始まった。
近くで接するようになってから、私は祐民子ちゃんと彼女の歌がもっと好きになった。
祐民子ちゃんのライブに行くと、ステージ中に何かしら彼女が小さな選択をする場面に居合わせることがある。
弦が切れてしまった。
歌詞が出て来なくなってしまった。
ここから歌が入る予定だった。
祐民子ちゃんに限らず、どんなライブにも、CDにはない「事件」が大なり小なりいつも起きている。
さぁ、困った。
どうしよう。
走っていたら転んでしまった。
そんな例えにするならば・・・
祐民子ちゃんは転んだ後、土をはらってもう一度そこから全力で走るのだ。そうして歌の中で言っていることと、本人の行動が更に一致して並走する。その時に、一瞬息を飲んで見守っていた人間達が今度は逆にハっとさせられるのだ。
だからこの歌なんだ。
と、思って
そうだ、私も自分のやっていることや、仕事を誠実に正直にやりたいなと今度は自分自身に思うことが、今までにも何度かあった。
意図しないところで本質が見えて思わぬ心が動く。
感動ってこういうことなのかなと思う。
君にこの声が届くのなら、ぼくは声の限り歌おう。「声」という曲の一節で、好きな曲の一曲だが、今日はこの曲が私にはよりグっときた。
「うさぎや」の女性3人が加わると、ステージはグっと華やかなムードになった。「ちんどん」とのコラボは難しい組み合わせでもあるのに、とても音楽的に楽しめるアンサンブルになっていたので、私もこういったトライはどんどんしていける柔軟なアイデアを持ちたいなのだ。
終わってから、いつものようにそそくさと帰るのはやめて、外でうんちゃんと祐民子ちゃんに会えるまで待っていた。
一目顔を見てから帰りたくなった。
そんな夜だった。