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投稿日:2007年07月31日

2007年07月31日

今日はラジオの収録で、服部祐民子ちゃんに家に来てもらった。
ラジオの収録を家でするだなんて、数年前まで考えたこともなかった。ラジオも音楽スタジオと同じで、ブースと呼ばれる場所は厚いドアに二重に仕切られ、防音設備が整っているということが絶対と言ってもいい程の条件だったのだ。
それが、今やウチでは二重ドアどころか防音設備の一切ない木造の普通の家で、外を走るバイクの音やカラスの鳴き声、家にいる犬が吠えても走り回っても「ウチっぽくてよし」としているので、良く言えばめちゃくちゃおおらかなラジオ収録になるのだ。
IMG_0670.JPG
今日はラジオの収録の後で、また9月に一緒に旅に出るライブツアーの打ち合わせをした。一緒にやる4本のライブは全て構成と温度感の違うものなので、通常よりも準備と打ち合わせが綿密になる。8月は多分二人で体育会系のクラブ練習のような月になるのだ。
打ち合わせも終わって、談笑の時間の時。
「その服、可愛いねー」
祐民子ちゃんは今日可愛いパンツ姿だったので、普通になにげなく女子話をしたら、彼女は前に私が「そのババ色の服をやめなさい!」と言ったことを覚えていたらしく、それで今日は出がけに服選びをずいぶんしたということを知ったのだった。
可哀想なことをした。あの日祐民子ちゃんは酔っ払っていたので、覚えていないと思っていた。
気にしていたのか・・・・。
反省。
そして今日はあれほど言っていた私が、ババ色の服を着ていたのであった。


投稿日:2007年07月30日

2007年07月30日

かしわ哲さんのコンサートのリハーサルを終えた帰り道、かしわさんとパーカッションのmasaさんと市ヶ谷駅前で別れた直後に道端に千円が落ちているのを見つけた。
「千円?」
千円札がポロ。
あらまー。
拾った瞬間、悪魔になる。
「千円、拾っちゃった」
顔を上げたら5メートル先に交番があった。
悪魔、急に真面目人間となる。
スタスタスタ。
「すみません・・・」
「はい?」
「そこで千円を拾ったのですが・・・」
「生で落ちていたんですか?」
「はい、そうです」
一瞬、若い警察官の顔が”め、めんどくせ〜”という表情になった。
いや、私も面倒臭い。
「生の場合は・・・ほとんど落とし主は現れないんですよねぇ・・・」
「はぁ」
うん、私もそう思う。
このあと、沈黙。
”もうもらっちゃえば?”
”そうですよねー”
もしくは
”もってこなくてもいいのに”
”そうでしたねー”
オーラ同士はこう会話しているように思うのだが、交番の中ではその会話は出来ない仕組みになっている。
沈黙。
<あなたの番なので、何か言って下さい。>
<私も善良な市民の役を務めているのです。>
<あなたも警官の役を。>
<リードしてってば。>
「じゃー。書類、書きますか」
「はい」
沈黙。
「ちょっと、お時間をいただくことになりますよ」
なんで。
じゃぁやめておきますとは言えないだろう。
だって、警官と善良な市民の役なんだから。
紙を出してくれた時にも、警察官は「多分、届けはないと思うんですけどねぇ・・・・」と、再度言うのだった。
私だって後悔しているのだ。
余計なことをしてしまったのだ。
だが。
ここで、「じゃ、もらっちゃいます!」と、言った途端に私は急に窃盗の現行犯として手錠をかけられて逮捕になるのだ。例え「じゃ、二人で千円分けよっか!」と言ったとしても、そうすれば今度は二人は窃盗の共犯の関係となり、最悪このヒトに後々ゆすられる場合もある。
落し穴がいっぱい。
面倒なことになってしまった。
書類は説明を受けるところから書き終えるまでに、思ったより時間がかかったのだ。
「落とし主が現れなかった場合」の欄には「自分が受け取る」に丸をした。取りに来る電車賃とかかる時間を考えれば「受け取らない」の方が賢い選択だが、意地でもこれは自分が受け取りたい。
「では、ありがとうございました」
交番を出たら、まず一番に善良な市民の服を脱ぎ捨てたくなった。
はぁ〜〜〜〜っ。疲れた。
空気が美味しい!
自分が善良な市民枠からはずれた人間なのだということがよーくわかった出来事であった。


投稿日:2007年07月29日

2007年07月29日

去年の7月に花をつけてから、キッチンの窓辺ではセントポーリアの一鉢がずっと絶やすことなく花を咲かせている。
キッチンに立つと、私は必ずこの鉢に目をやっている。
ということは、丸一年、「今日も咲いているわ」と窓辺の方を見て思い続けてきたことになるのだ。
知り合いのご婦人に小さな苗を頂いてから2年弱。ようやく花を咲かせてくれた遅咲きの鉢。もう咲かないのかもしれないなと半分あきらめつつも、それでもいつか咲いてくれたらと眺めていた花だった。
今年の一月、葉差しをしてみた。
ご婦人が私にくれた時の苗は、葉差しをしてそこから芽が出たものだったからだ。
葉差しは初めて。こんなので上手く芽が出てくれるんだろうかと半信半疑で、葉を差したポットを鉢の隣りに並べて置いた。
ゴールデンウィークの少し前の頃のことだった。小指の爪程の大きさの葉っぱがある朝土から顔を出したのを見つけたのは。
いつも窓辺で淡々と咲いているセントポーリア。
花が咲いても特に華やかさが醸し出されるわけでもなく、咲かなかった頃と見映えはそれほど大きくは変わらない。
「私のほうを見て!」と鮮やかな色で目を引くこともなく、「私に気づいて!」と甘い香りで呼ぶこともなく。一週間に一度水をやるだけで、あとはこっちが何かをする必要もない。
RIMG0058.JPG
淡々と。
私はこの花の”ブレないところ”が好き。
長い時間をかけて、ようやくその良さが見える。
短い期間じゃ判断が出来ない長所ってものがある。
<こんな人っているなぁ。>
自分にとって、いつの間にか特別な存在になっていくものと、いつの間にか特別な存在になっていく人は、きっとタイプが似ている。
毎日、キッチンの流しの前に立つとふと目をやっている。
私も心を伝えるのには長く時間がかかる方。
あなたからは、私はどんな風に見える?
なにも答えてはくれないけれど。
蛇口からの水の温度を感じながら。
目が合えば嬉しい、セントポーリア。


投稿日:2007年07月28日

2007年07月28日

梅雨明けはまだだが、今日はもう真夏なのだ。
今日は確か隅田川の花火大会だったのではないだろうか。そして神楽坂でもお祭りをやっているはずなのだ。
しかし、あまりの暑さに早くもバテてしまい、今日は洗濯をするのが私のやっとのイベントとなってしまったのだった。
子供の頃はバテなかった。生活の上では大人よりも風邪やゲロ吐き率が高かった子供時代だったのに、なぜか夏には「私、夏バテみたい」と言ってへたりこむということはなかったように思うのだ。あんなに日に焼けて夏の日差しを浴びても、私は夏の空の下を思い切り謳歌していた。それどころか、夏の間に出来なかったことが出来るようになったりと成長までしていたではないか。
例年、私は夏になると少し病気の具合いが悪くなる。室温も適度な温度に設定をし、日中にむやみに出歩くことも控えて注意して過ごしているにもかかわらず、調子が落ちる傾向にあり、今週の火曜日ぐらいからワンランク体調が落ちているのは実感としてある。
横になって窓から空を見上げる。
もう世の中は夏休みだ。
青い空は知っているのかな。今日は夜になると自分がキャンバスになって、花火が綺麗な絵を作ることを。
観に行きたかったな。
子供達は目一杯夏に遊んだから、成長をした。だから、まだ成長をしたい大人は、やっぱり「遊ぶ」ということに、時間を作るのがいいのではないかと思うのだ。
夏は子供だけでなく大人も遊んだほうがいい。
そんな気がする。
うー。
しかし夏バテで早くも、私のすごろくのコマはとまる。
だけど。
この夏が終わった時に、少しだけ背が伸びていたいな。
目を閉じて思うのだった。


投稿日:2007年07月27日

2007年07月27日

ブタねこちゃん。
この辺を縄張りにしている白い猫のことだ。
赤い首輪をしているのでメスなのだろうが、その顔はとても「女の子」には見えない。いかつくてごっつい顔をしているので可愛いという感じはなく、ボスの風格があるのだ。夜中に「フギャー」と叫びながら、同じくここを徘徊しているキジネコと派手に戦っていて、相当気が強いのではないかと思う。
隣家の屋根で寝そべっていたり、路地でくつろいでいたり・・・・、塀の上を歩いていたり、前はバス停のところで見かけたこともある。
私とはいくらかの距離をおいた間柄。近所のおじさんと息子さんは触っているが、ブタねこちゃんは私とは仲良くなる気持ちはないらしい。私も彼女の縄張りに触れないように、今は目が合っても知らん顔をするようになったのだった。
時々、じーっとこっちを見ていることがある。
私はこの先住者に一番気を使っている。引っ越して1年が過ぎたが、まだこのブタねこちゃんとの関係には緊張感を伴うのだ。
最近は私の家の窓のすぐ外、敷地内でくつろぐことが多くなった。去年はなかったことだ。バイクの横にデンと横になり、無防備に寝ていたりする。
今日もカーテン越しに昼寝をしている姿が見える。
ブタねこちゃん、少しは警戒心がほどけたのかい。
そこが気に入ったのなら、好きなだけお昼寝をしていきなさいよ。
奥の部屋にはダンボが、足元にはゴン太が、そして右に目をやればブタねこちゃんが気持ちよさそうに眠っている。
それぞれは私と取りたい距離があってそれは全く違うものだが、共通して言えるのは動物達はみんなお節介が嫌いということだ。
犬、イタチ、ねこ。
3匹3様。
3匹の眠っている姿が同時に見えるこの位置に立った時、今日は自分が3匹の動物達と暮らしているような気持ちになったのであった。


投稿日:2007年07月26日

2007年07月26日

先日会社に行ったら、Tちゃんが大沢たかおの映画の試写会に応募するだかしただか、なんかそんなことを言っていた。
「あれ、Tちゃんって大沢くんの未来の奥さんなのに、なんで試写会に応募しないと会えないわけ〜?」
Tちゃんは、自称大沢たかおの未来の奥さんなのだ。もう野茂のことは忘れてしまったらしく、今はたかおちゃんと結婚する為に独身を守っているのであった。
そんなに素敵なのかなぁ・・・。
私は姉の目になり、胸を痛める。
<誰か、この娘によいご縁を・・・>
そして、その日は「ふふ。試写会に当たったら会えるなんて、おかしいわよね。未来の旦那さまなのに。・・・あ、じゃ帰りまーす。お疲れ様でした〜」と、ジャブを打って、私は家に帰って来たのであった。
今朝はいつものように、メールチェックをしていたらTSUTAYAのお知らせメールを中で見つけた。
”G・クルーニーに会える試写&観覧/くじで豪華商品/SALE開催”
「G・クルーニー?」
「ジョージに会える」というところで、ものすごく目が覚めた。
「え!うそ!」
「ホント!?」
「ジョージに会えるの?」
「マジ、デスカー」
いやいや、もっと冷静になりなさい。
だって私は既にジョージと暮らしているじゃないか。
まぁ、いってみれば同棲中。
吉祥寺のロンロンの中の新星堂のセールで買ったジョージや、先日友人にもらったDVDの「オー・ブラザー!」のジョージ、複数のジョージと私は家でもう一緒に暮らしているのである。
だからわざわざなんで会いに行く必要があるのか。
応募だなんて。
でも、
当たったら着物を着て行こう。
そうしたら、目立つかな。
「ホラ、ニッポンノジョセイデスー。ワタシヲミテー」
同棲してるんだから、あとはきっかけ一つ。
いやだ、どうしよう。
急な話で、私マリッジブルーになっちゃうのかしら。
Tちゃんが大沢たかおと結婚するよりも前に、私はジョージ・クルーニーの奥さんになっているのである。


投稿日:2007年07月25日

2007年07月25日

渋谷7th floorでライブ。
7月25日は、B#がデビューした日だ。デビューは91年だから、16年前のことになる。
真面目だったので真面目にやっていたが、真面目に考えたはいいが頭がかたくなり失敗したことはたくさんあった。それから、真面目に向き合いすぎて「もう自分はダメだな」と思い、音楽から離れようということを考えた時期もあった。
あんなこともあった。
こんなこともあった。
振り返れば、景色だけしか浮かばない思い出は一つもない。
私はたくさんの人に出会いました。
大人になって出会った人たちの物の見方や行動によって、私は吉川家にはなかった価値観をたくさん与えてもらった。
過去、時々「今頑張ってやっていること」に足を止めて「果たしてこれって、意味があるんだろうか」と自分のやっていることに気弱になったりもしたが、「今やっていること」は、リアルタイムでは決して”意味がありますよ”ということを、自分に教えてはくれない。
だがこの16年の間にも、「あれがここに繋がっていたのか・・・」と、驚くことはいろいろとあった。
17年目かぁ。
デビューのきっかけは渋谷のライブハウスだった。
今日は同じ渋谷だ。
人は一人きりになると自分探しをし、何かに忙しくなりすぎると今度は自分と人を見落としてしまう。でも人は人の中にいるからこそ、自分をなんとか続けていられるものなのだ。だから、この二つの落し穴には気をつけていかなくちゃいけないのだろう。
自分の持っているものの中で、自分のいいところを愛して、ちゃんとそれを口にして言える大人になりたいなと思う。
今日は古川さんのギターと一緒にライブをした。
みんな自分を続けている。
私も自分を続けて行きたい。「これって、果たして意味があるんだろうか」と時折り足を止めながらも。


投稿日:2007年07月24日

2007年07月24日

関東地方の梅雨明けはまだだが、今日は夏の日差しだった。外のまぶしい日差しを目にした時に、「今日から夏だ」と思えたのだ。
蝉がジンジンと鳴いていた。
夏だ。
本当に梅雨は明けていないのかな。
信じられない気持ちで空を見上げてみる。
今日だけの気まぐれ?
虹みたいにまたフっと居なくなってしまうの?
ねぇ。
行かないでよ。
あなたが来てくれたらとても嬉しかったから。
どこに遊びに行く予定もないけれど、
嬉しかったから。
また、居なくなるのかな。
どうなるのかな。
心を半開きにして夏を眺めている。
そぉっと捕まえようとした虫のように。
そぉっと大事に、
私には決められないことだけど。
ここに居てよ。
そぉっと見ていたら、いつかの虫は逃げなかった。
だから、同じように
そぉっと見ていればいいのかもしれない。
驚かさないように。
そぉっとね。
<まだ、居るみたい>
<シーっ。静かにしてて>
「夏」を見ていた日だった。


投稿日:2007年07月23日

2007年07月23日

改札機とスーパーのレジを前にした時、私の頭の中は全てのことが消えてなくなり、「どこの列に行くのがいいのか」しか考えることがなくなっている。
この列のところにやって来た時、私は急に一分一秒を大事に生きるヒトとなって、「ここにしよう」といった人生における賭けあるいは選択をしているのだ。
改札機待ちとレジ待ちの違いは、人が一回路増えるというところ。改札の場合は、改札機+自分の前の人が判断材料になるのに対して、レジはレジ+レジの人+自分の前の人といった具合いになり、レジの人が機敏であるかどうかもその後の自分の人生に大きく影響を及ぼすのである。
改札とレジを通過する時にだけ、私は時間にシビアになる・・・というかケチになるのであった。
だが、パスモを利用するようになってから、今度は私が自ら改札機を止めていることがある。
ピンポーン。
バタン。
残額が足りなくなっているのに、気づかないでいる時がそうなのだ。
<そんなにバーンと閉めなくてもいいのに・・>
スゴスゴ引き返すと、後ろに並んでいた人が怒った顔で立ち止まっているところに出会う。
こんな時に笑顔で立ち止まってくれた人というのは、私は今まで見たことがない。なので、人は全般的に、改札機とレジの前に立った時は、私と同じぐらい時間にケチになっていると考える。
今日も事務所に向かう時に、改札機で「バーン」と閉められた。残額不足。あれ、まだ乗れると思っていたんだけど・・・。
幸い今日は後ろに人が居なかったので、一人で「んーもうっ!」と怒るだけで済んだ。
理科の実験で「赤いリトマス紙」「青いリトマス紙」ってあったなぁ。
パスモカードの残額は、改札機に出ても忘れちゃうことが多い。残額がいくら未満になったらカード自体の色が変わる・・・というようなしくみにならないかなと思うのだ。
改札機とレジの前で、人は人生と真面目に向き合う。
自分の人生も大事だが、人の人生を狂わせることだってある。
今日は改札機を6回通った。緊張をするのだ。そして私は今日6回も人生と向き合ったのであった。


投稿日:2007年07月22日

2007年07月22日

5月から週に一度、ゲルマニウム温浴に通っている。シャンプー台のような専用のお湯の張った温浴器に両腕と両足を入れて、20分そのままジっとするだけの健康法で、運動で体を鍛えることがほとんど出来ない私には、今のところ効果的な健康法なのだ。
ゲルマニウム温浴のいいと言われている点は、有機ゲルマニウムが入ったお湯に腕や足を浸けることにより、ゲルマニウムが皮膚呼吸をして体内に入って来て、それが体の中にある老廃物や毒素を汗やおしっこと一緒に連れ出してくれるらしく、それで結果血がきれいになったり新陳代謝がよくなったりして、体を弱アルカリ性の体質にしてくれる、ということなのだそうだ。
体の中のやり取りは私には見えないのだが、確かに少し「いいような気がする」ので、今のところ週に一度を目安に近くの店に温浴に行っているのだった。
行き始めの頃、浸かっている間の20分はボーっとしていたが、最近効能などのことを書いたチラシが温浴器の前の壁に張られるようになった。
ふむふむ。
数々の病気を治した奇跡の泉と呼ばれている、ヨーロッパの有名な「ルルドの泉」の水の成分に有機ゲルマニウムが大量に含まれていたらしい。
ほ〜〜〜ぉ。
ゲルマニウムが「さるのこしかけ」から沢山採れるのだという豆知識。
へぇー。
だいたいこれに対してはこのぐらいの回数を受けると効果がありますよという目安には・・・・
肥満は15回程。
疲労には1〜2回。
不眠や婦人病にも効果があると書いてあった。
現代人の体は、ストレスや食生活、不規則な生活のしわよせで酸性に傾いている人が増えているのだが、この体内バランスを整えることが大事だということが書いてある。
そうなんだ・・。
納得しながら読み進むと、
「温浴することにより、ゲルマニウムが体内に・・・酸素不足の体には有効に働きます。又、野口英雄いわく病気の根源は酸素不足だといわれております。」
ん?
最後の文に引っ掛かった。
「いわく・・いわれております」の文章に違和感があったのが最初だったが、もっと根本的に違和感のある箇所があったのだ。
野口英雄って・・・誰。
”英雄”って・・・。
ダレ。
英世の誤字なのか、類似騙しものシリーズなのか、店の人に聞けなかった。
最近は店の人に「効果はいかがですか」と尋ねられるのだが、「はい、いい感じです」と答えると、「へぇ、そうなんですか〜。」という返事をもらっていた。
まさか”ただのお湯なのになぁ”ということではないだろうな。
そもそもあのお湯には、本物のゲルマニウムが入っているのか・・・・。透明なお湯を見つめていても、正直言って見分けはつかないのである。
騙すならとことん騙しておくれ。
じゃないと、自分にガックリきちゃうから。
自分では警戒心が強いと思って来たが、私はもしかしたら信じやすい人間なんだろうか。
うー。
帰り道、ちょっぴり暗雲が立ち込めた頭の中なのであった。