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投稿日:2007年07月11日

2007年07月11日

道が入り組んでいて、近い距離にありながらいつも時間がかかるのが荻窪への道のりなのだ。
家で地図を見ても覚えられず、これは自分で通りながら覚えていくしかないなとガッツでトライするものの、民家の敷地に入っていたり、行き止まりになっていたりとなかなか手強いルートで、思っていたよりも難しい迷路となっていてまだ道順を覚えられないのだった。
方角は北西。京都で走る感覚で「次は右に行けばだいたい、この方角に進んではいるだろう」と走っても、東京の住宅街はその感覚が合致しない。
例えば。
まず西に真っ直ぐに行って、右に曲がり、その後しばらくしてから右に曲がり、それからどれぐらいか進んで、右に曲がってそのしばらく先で左に曲がったら、感覚としては「戻って来る」という感があるのだが、これで”実際には北西に進んでいた”というのが東京の道。
京都ではせっかく大学の勉強よりも、裏道の方を多く学んだというのに、成果が得られず壁を感じる東京の町なのである。
自分をあてにしてはいけない。
こんな時は先生が必要で、私はブーンと走りながら先生を探すことがある。
先生は必ずしも先生ではない。「お!」と思って、信じて後をついて行くと「その人の家に帰る道」を尾行しただけの、自分が不審人物になることもある。つい先日は工場の敷地内までついて行ってしまい、その時はかなりの距離を尾行をした回だったので、最後は睨まれたのだ。だが、道に迷った時は私は知らない人についていく作戦に切り替え、目的地まで連れていってもらえることがある。
今日はまた先生発見。
荻窪への道では、まだ私は先生に出会っていないので苦戦し続けていたのだが、本日は出前のバイクのお兄ちゃんが私の先生となったのだった。
多分、店への帰り道。
そっちに賭けた。
「駅前の店のバイクでありますように」
これがまた住宅街の中にある店だったら、またもや失敗に終わり、これから配達に行く所だとしたら、荻窪までの道どころか知らない人の家の夕飯を知るだけのことになる。
だが。
「お!」
「もしかして」
「これは」
「おぎくぼへの道!」
すごい。
先生は本物の先生だった。
感動した。本日初めて私は荻窪まで道に迷わずに辿り着くことが出来たのであった。
「やったー!」
ところで。
今日、どこをどう曲がったっけ。
私が先生の後について見たものは、道でなくバイクの後ろについている出前のおかもち。
結局道は覚えられていないのであった。