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投稿日:2011年01月20日

2011年01月20日

去年の10月、自宅療養中に東野圭吾作品を一冊読んだことから、東野圭吾作品にすっかりハマってあれから毎日読み続けているのだ。
毎日毎日、殺人事件や犯人探しをしていたら身体になんか悪い影響が出るんじゃなかろうかとちょびっと不安にもなるが、もう50冊近く読んだので8割以上の作品は読んだと思う。
どんどんのめり込んで読み進めて行った作品もあれば、感慨深く終わった作品あり、そうかと思えば、もしこの作品を最初に読んでいたら絶対にこの一冊で終わっていたと言える程B級な仕上がりのものもあって、私にも東野圭吾作品については好みが生まれるようになったのだ。今まで読んだ中では「白夜行」「さまよう刃」「悪意」「流星の絆」が特に面白かった。いろんな伏線が張ってあるものが読み応えがあるが、本の中に舞台の間取り図が載っている事件物も好きだった。
途中に性描写があったりもするのだが、どうもそのくだりは好きになれない。その辺りのことはなくても物語を進められるのに、この中途半端な性描写は何なのだと毎回思ってしまうのだ。だいたい東野さんご自身がノって書いている感じがしない。むしろ苦手だけど我慢して書いているように見えてしまうので、読んでいて恥ずかしくなってしまうのだ。
そんな中、新しい発見をした。
それは「アーモンド型をした目」という表現だ。
アーモンド型と言えば、そんなものはあったかどうかわからないが「UFO」を想像してしまうのだが、何故か東野圭吾作品の中で出て来る「アーモンド型をした目」は美人の女性の目を表現するのに頻繁に使われているのだった。
どんな目がアーモンド?
東野さんはアーモンド型の目をした人に惹かれる傾向にあるのだろう。
私の中で「目」は、タヌキ目とキツネ目しか表現がなかったので、「アーモンド型の目」という単語は印象的だった。東野さんは紳士なのだろう。ブサイクな女性のことを書くのに対比した「@@型の目」というのは文章には一切使われていない。
そして髪はサラサラの栗色をした女性がよく出て来る。
作品は違えど綺麗な女性のタイプはみな同じ。
みんな同じかい!
ハニワ型の目をしたゴワゴワ髪の女にもたまには愛の手を差し伸べて欲しいのである。