「お母さん」は熱くない。
子供の頃の私の中の不思議の一つであった。
「お母さん」は、これは絶対に熱くて素手で持てないだろうと思うものを、涼しげな顔で持ってテーブルに置いたりする。「あれ?熱くないのかなぁ」と、自分も触ってみたら、これが「あっちんちん」ぐらい熱いのである。
熱くなった食器を冷静に扱う「お母さん」をすごいと思った。
遠い昔の話だ。
そして今。
私の毎日の始まりは、朝食の用意の前に今日一日分のお茶を500mlサイズのガラスポットに作ることだ。
今の時期はガラスポットにティバッグを入れて熱湯を注いで、それを少し離れたキッチンワゴンに移動させるのだが、この「あっちっち」を素手で持って一瞬で動かしている。
熱いけれど熱くない微妙な一瞬、これ以上の時間は持てないギリギリのところだがやけどをするでもなく、ササっと移動をする。この時の顔は私が子供の頃に見た「お母さん」の表情と一緒なんだろう。
よく「ねぇ、熱くないの?」と尋ねた。
「熱いわよ」
という返事だったが、顔色一つ変えずにそれをやってしまう「お母さん」は強くてかっこよかった。
今、私も顔色一つ変わらない。
かっこいい顔を作っているのでなく、とても緊張をしている顔だ。
私は「お母さん」にならなかったけれど、時々「お母さん」になる。
そりゃぁ、素手だと熱いわよ。
誰も訊かないけれど、心の中で微笑む。
朝の風景。