伊勢丹の吉祥寺店が、今度の日曜日で閉店となる。
伊勢丹吉祥寺店は、私にとって思い入れのあるデパート。それだけに閉店は寂しい。
私の子供時代には、練馬に母方の祖母の家があり、善福寺公園の近くには従兄弟の家があった。なので、一年に一度は母と妹の3人で学校の休みを利用して東京に遊びに来ていたのだった。
東京の景色は子供の目からしても大都会だった。
新幹線で東京駅に着くと「黄色」「オレンジ」「水色」「黄緑」と、いろんな色の電車が行き交っていた。レールの数が多く、ホームもたくさんある。電車に乗れば今度は線路のすぐそばに雑居ビルがずっと連なっていて、それから走っても走って線路沿いに家がひしめくように建っていた。
家の近くでは見かけないようなファッショナブルな大人や、職業不詳的な人も居て、聞こえてくる会話のイントネーションは「賢そう」な感じがした。
東京に遊びに行くと、大抵は祖母の家に数日居て、その後1〜2日ぐらい善福寺の従兄弟の家に泊まるというパターンだったが、従兄弟の家がまた文化の匂いのする家だったので、家の中にあるおもちゃや本など、私にとっては洗練された感じに映ったのだった。
叔母の家では、「おばあちゃん」のことを「おばあちゃま」と呼んでいて、言葉使いとしきたりが我が家とは違っていた。例え妹と私が遊びに来ていても「特別」はなく、従兄弟達には「勉強の時間」が、そして私達にも「宿題をする時間」があったし、ご飯の時もテレビはもちろん見せてはもらえなかった。そんな厳しい叔母だったが、善福寺公園と吉祥寺に遊びに行くのには従兄弟のひろくんをお供にしてよく送り出してくれた。
「伊勢丹にでも行ってらっしゃいよ」
叔母の品のいいしゃべり方と東京の人独特のイントネーションで、いつも私は「伊勢丹」という単語を聞いた。こうして私は、東京の祖母の家に行った時には必ずと言っていい程「伊勢丹」を訪れていたのだった。
あれから時が流れ、周りの店は軒並み変わった。
唯一、「伊勢丹」だけが、私の子供時代と現在の吉祥寺を共有出来る存在となっていたのだった。
吉祥寺店がなくなった跡地にはH&Mが入るのだそうだ。
H&Mかぁ・・・・。
別にH&Mが嫌いなわけではないが、重みが随分違って感じた。
伊勢丹は東京の象徴だった。
目に見える形では、時を越えてつなぐものがなくなる。
東京タワーと同じぐらい、伊勢丹は都会の東京を表す存在だった。