11月15日に作詞家の星野哲郎さんが亡くなられた。
4000以上の歌詞を書かれたそうで、「函館の女」「アンコ椿は恋の花」「三百六十五歩のマーチ」「黄色いサクランボ」など記憶に残るヒット曲もたくさんあるが、私にとっても星野さん作詞の一曲に深い思い入れがあるのだ。
もう15年以上前のことになる。
私は京都のアルファステーションで「love track kyoto」というレギュラー番組をもっていた。当時はまだ「メールでメッセージを送る」時代ではなくfaxかハガキ、封書で送る時代。そのせいか手書きの文字の形やレイアウトの雰囲気で、何度もメッセージを送って下さるリスナーさんの文字を覚えるようになっていった。
その葉書は伊勢市からのものだった。
「えーーっ、三重県の?」
最初にその葉書を受け取った時にディレクターさんと驚いたことを覚えている。
その頃のFM京都の可聴範囲は三重県になると、山が結構ある為に少し厳しくなっていたのだが、Tさんは大きなアンテナをたててそれで電波をキャッチしているというようなことを書いておられたように思う。私が受け取ったメッセージの一番東エリアはこのTさんからのもので、当時番組によく葉書を送っていただいた。
やがて番組が終わり、別の番組でアルファステーションに復帰したりもしたが、2000年にはそれまでの生活から一変して長い入院生活を送ることとなった。番組が終わればもう毎週のようにラジオという媒体で繋がることはなくなる。リスナーさんだって数年も経てば生活サイクルも変わるし、葉書をわざわざ送ることもなくなるのが普通の流れだと思う。だって、だいたい葉書を出すということ自体エネルギーの要ることだ。
だが、Tさんは入院中の私あてに時折葉書を送ってくれたのだった。
「みきちゃんに三百六十五歩のマーチを送ります」
ツーリングに行った先で、スキーに出かけた先で、投函してくれたんだろう。旅先の景色にたびたびこの言葉が添えてあった。
一日一歩、三日で三歩。
三歩進んで二歩下がる。
そうだよね。
葉書を眺めながら、私は優しい気持ちに何度も救われた。
その後、念願の退院を果たしたが、ようやくまた一歩社会に近づけたぞと思えた頃になって再入院をするというパターンを今までの数年間で何度か繰り返した。
もう頑張れないな・・・。
そんな風にガックリしている頃にまたふと葉書が届く。
「みきちゃんに三百六十五歩のマーチを送ります」
いつの頃からかTさんからの葉書には記念切手が貼られるようになっていた。いつか記念切手が小さな美術館のようで好きだとHPで文章にしたことがあった、もしかしたらそれがきっかけだったかもしれない。
最初に葉書を頂いてから、もう15年以上20年近くの時が流れた。
その間、Tさんにもきっと悲しいことや辛いことがあったはずだ。
それなのに、ただただエールを送り続けてくれた。
その温度を一度も変えずに。
三百六十五歩のマーチは私にとって忘れられない曲だ。
私の生涯におけるTさんがくれた特別な一曲となった。