投稿日:2007年03月14日

2007年03月14日

阿佐ヶ谷住宅というのがある。今の家に引っ越してここをバスで初めて通った時に、目を見張って景色を眺めたところだ。駅に向かう途中の道をバスが右に曲がると、ふと都内とは思えないゆったりとした敷地の中に、洋風の一見平屋に見えるその住宅群は突如現れる。
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同じ形をした棟続きの家が並び、それぞれ一軒ずつには庭がある。植えられて長い時間が建つんだろうなぁと思われる木々が、そこここで手を伸ばし、一日中太陽の光が降り注ぐだけの空間がそこにある家にも木々にも与えられている。
阿佐ヶ谷住宅南
阿佐ヶ谷住宅東
バス停は停留所を3つぐらい置いていて、バスはこの中の緩やかなカーブの道を行く。急いでいる時にでも、ここを通る時間は、よく私は遠くにドライブにやって来たような感覚になるのだった。
これだけの敷地をこんなに贅沢に使うのはもったいないと思う気持ちと、このまま置いておいて欲しいなぁという気持ちが入り混じり、そして更に「ここだったら、住んでみたいなぁ」という憧れを抱きながら、景色を眺める。
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ここは昭和33年に建てられた公団住宅で、取り壊しが決っている。もう人が住んでいない棟もある。古く汚れている個所もたくさんある。それに決してお金持ちの家並じゃない。
あれはあじさいの木だな。
これは・・・桜。
まるで避暑地の一角のような。
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私は花が好きだが、手入れが行き届いた年中花満開の綺麗な庭よりも、雑草が少し伸びていたり花つきが悪い鉢も一緒にそこに置いてあるような庭の方が好きだ。その方が花木達が自由にやれている気がするからなんだろう。ここの建物の古さや傷みは、それと同じ”足りなさ”がある。だから私は和むのだ。
昭和の子供達が、見てもいないのに自分の思い出のように浮かび上がる。
ランドセルを置いて遊びに行っても。
子供達はここに帰って来る。
どんなやんちゃな男の子も。
お母さんに叱られるからじゃない。
お母さんのところに自然に帰ろうと思うだけ。
阿佐ヶ谷住宅を通る時。
何故かしら私は
全てを忘れて優しい気持ちの自分に会える。


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