春色の汽車に乗〜って、海に連れて行ってよ〜。
赤いスイトピーの出だしだ。
この歌がラジオから流れて来るのを聴いて、私はまだ見ぬ彼氏と「お付き合い」をすることを思い浮かべて、「恋人が出来る」ことってこういうことなんだわと思ったものであった。
あの歌詞にあった「春色の汽車」は、何故か四条大宮から嵐山に走るミニ電車、嵐電が私の中でぴったんこの電車だったのだ。嵐電は海には行かないのだが、トコトコと少ない車両の電車が走って行くところと、のどかな駅の風景がいい。
憧れたものだ。
だが、実際の私はそういった「お付き合い」に対して、免疫がほぼなかった。中学の時にあった「付き合うブーム」では交換日記をしたが、「別れブーム」が来るとあっさりと別れ、高校の時も彼氏は出来たが「付き合う」って何なのかわからないまま卒業をしたのだ。
「赤いスイトピー」の歌詞にある男女の距離感が、私にとっての「お付き合い」だったんだろう。今でもあの歌の歌詞は好きだ。
振り返ってみて、自分が恋多きだったのか、少なかったのかはわからない。
「春色の汽車」に、恋人と一緒に乗ったことはない。
私はどんな彼女だったのだろう。
だが、嫌いになってした行動は一度もなかった。
一途で甘えたな彼女だったと
本当にそう思っているのである。