投稿日:2007年01月07日

2007年01月07日

今日は七草がゆを食べる日なのだそうだ。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケリザ、スズナ、スズシロ。無病息災を願う他は、新年のごちそうで弱った胃を癒す為でもあるらしいが、私が新年に一番食べたものはビオフェルミンであった。
お粥は私はあまり食べない。
病院生活を思い出すからだ。
私達は普段、何てことも考えずにご飯を食べているが、飲み込む力がある程度ないと、ご飯というのは飲み込むことが出来ないのである。
白飯を食べることは2年間の病院生活では、私の夢だった。最初は点滴のみ、私の口に入っているものは呼吸器の先で、口の所には呼吸器がはずれないようにテープでしっかし固定がされていたのだった。
数週間後、呼吸器が取れてご飯を食べようとしたが、口の中に入れた食べ物が喉の奥に移動させられなかった。
どれだけ頑張っても食べ物が飲みこめない。
涙が出てきて、こんなことがあるんだなぁと思い、1時間半ぐらい経ってからもうご飯をあきらめて終わりにした。この出来ないことが嚥下障害と呼ばれていることだ。
自分のご飯は鼻からチューブで入る液体のものだった。
味はなく、勝手に鼻から胃に入るので何の感覚もない。看護士さんが「ご飯ですよ」と掛けてくれる言葉が唯一、「これはご飯なのだ」というご飯気分をくれたのだ。
そんな時期がまた長く続き、やっと病気が良くなってきた頃に、きざみ食に昇格をする。きざみ食というのは、なんでもドロドロになっているもので、ほうれんそうなら緑のドロドロ、オレンジ色だと何の食べ物なのかわからない。
何の食べ物かわからずに口に入れる。
何だろう。
うーーむ。
「ま、いっか」
わからないまま終わったおかずは多々あった。
お粥は3分粥、7分粥、5分粥など粥の状態に段階があって、どっちがどっちだったか忘れたが、これも昇進のように少しずつかたい米に変わって行った時は幸せであった。
なのに。
また白飯に行ったかと思えば病気が悪くなって鼻からご飯からやり直しになったりするのだ。
白い飯、カムバーック。
家ではお粥は食べない。
なんで今更。
なんでわざわざ。
私には美食や健康食ではなく、病人食の印象があまりに強い。
春の七草がゆ。
私は”食べない”ことで無病息災を願う。
戦争を体験した世代が言う、「白いご飯ってのはね、有り難いんだよ」とは別の有り難さを私は白飯に感じている。
一年通して、今年も白飯を食べたいのである。


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