投稿日:2010年08月29日

2010年08月29日

愛とは与えるもの。本物の愛は見返りを求めてはいけない。
「愛について」の教え、今まで私が目にしてきたものは、こういった言葉だ。
だけど。
愛って本当に与えるものなんだろうか。
違う。
あっているけれど、
やっぱり私の中ではそれが正解じゃない。
愛はもらったことでその人の心を大きく動かすもの。そして与えている人は恐らく与えていることに気づいてはいないものなのではないだろうか。
そう私は思う。
そしてもらった人がリアルタイムで気づける場合もある。ずいぶん時間が経って気づく場合もあるし、とうとう気がつかないまま一生を終えることだってあるだろう。でも少なくとも「愛」は厳格な言葉で、「@@しなければならない」ような言葉で定義づけられるものではないのではないかと思うようになった。
今日はいつもと変わらないピアノのレッスンだった。
9月はMちゃんが実習でお休みをするので、今日は10月の予定を決めるはずだったのだが、今後の自分の治療のことがあるので、それをお話して次のレッスン日が決められないことだけは伝えないといけないという、それだけがいつもと違うことだった。
さっきまでいつものように笑ってそこにいたMちゃんの目からポロポロっと涙がこぼれ落ちた。
<ごめんごめん、なんか暗い話になっちゃったよね>
ごめんね。
でも
ありがとう。
言葉がない時間、Mちゃんの心がたくさん私の胸に聞こえてきた。
その涙はあたたかい想いとなって、私の心を瞬時に何も怖いものはない状態にしてくれた。
頑張ろう。大丈夫、めげずに行こう。
そんな気持ちになった時、いつもそこに誰かが自分にくれた愛がある。
何かしらの形で。
元気になったら、少しでも返して行けたらいいなと思う。
だから頑張れることがきっとある。
愛ある人になりたいのなら、誰かに与えることを考えるより、まず自分がもらっている愛に少しでも多く気づけた方がいい。
自分を大事に出来る。
今日を大事に出来る。
周りの人も大事に出来る。
愛を知れば、いろんなものを大事に出来るのだと思う。


“ 2 件 ”のコメントがあります

  1. white_bear より:

    その通り。愛があれば恐いものはありません!
    そうだ、病院ではせっかく始めたツイッターで皆とつながろう~

  2. 吉川みき より:

    病院は10年前の入院とはずいぶん様子が違って、病室が携帯オーケーなんですね。なのでパソコンをつなげる携帯っていうんですか?あれを持って行けたらすごく助かります^^

コメントをどうぞ