友達からちょこっと譜面を書くのを手伝ってと頼まれた。
音楽関係の予定を早めにバトンタッチしてもらって音楽の予定がなくなったのでポツンと寂しくなっていたから、こういうお願いごとは嬉しい。
身体と折り合いをつけるようになってからの私は随分消極的になった。消極的というか積極的ではなくなったように思う。音楽に必要なのは腕や人格もそうだが、必須条件となってくるのが本番に穴をあけないということだ。痛くても熱が出ても根性でそこに行くということを、見えないところでみんな経験をしている。そして私は私で「脱力」は根性を入れても歯をくいしばっても乗り切れないことを知った。
仲間うちでも「私もやりたい」「私にさせてよ」なんて気軽に言えるはずの言葉が、なんとなく言えなくなっていた部分はあったと思う。身体と共に音楽とも折り合いをつけている日々になった。
時々音楽が遠くに感じることがある。いや、それも含めて、これが私自身が音楽を通じて学んでいることなのだ、と思い直したりもする。でも、たまに頭の中でシミュレーション出来ているものを、思い切り出し切ってみたいという、消化不良気味の積み重ねに、はがゆさを感じることもある。
譜面を書きながら、その時間は音楽をやっている仲間たちと同じラインにいられる幸せがある。そうだ。今まで正直に言えば、体育の時間に着替えだけをして見学をして授業を受けているその視線になることは多々あった。
本当の本当は羨ましい。
だって選択肢は多い方がやっぱりいい。
全力で走ってみたいなぁ。
でも一つだけハッキリしていることがある。音楽のためになら死んでもいい、なんてことは思わないということだ。
五線譜におたまじゃくしが泳いでいる。
一応かしこまって配置はするけれど、もっと自由でいいんだよ。
譜面ってそういうものだ。作った人は譜面にした細かい部分のいくつかについては、厳密に再現して欲しいとはきっと望んではいないのだと思う。
自分の書いた譜面で誰かが演奏をする。
こういう形での音楽の関わり方があるなら、全力で走るレースに出られなくとも私は私なりに関わっていきたいと思うのだ。