投稿日:2007年06月06日

2007年06月06日

自分の曲には、私なりの「出来た」と納得する時があって、それで”出来上がり”になる。それまでは一応形になっていても「出来た」と思えない期間をジメジメと過ごしている。
その期間中はメロディよりも言葉がしっくり歌詞にならない場合がほとんどだ。
以前は曲を先に作ってから歌詞を書いていたが、少し変わったのは歌詞の方に軸を置いてメロディを言葉に合わせるという点だ。そうすると歌詞を書く時に字数にとらわれなくなる。今の私は完全に「曲先」だったのが、「やや詞先」寄りになっている。本来苦手な方法なので、ますます一曲が出来上がるまでが遠い道のりになった。
今までに何十曲かの曲を書いてはいるものの、いまだにコツというのは私にはなく、方法はただ”粘る””あきらめない”の二つ。探すのはひたすら、”そのことをまさに言い当ててくれるその言葉”だ。
あくまでもそれは私の感じ方に於いてだが、私という一人の人間が”どう感じるのか””どう考えるのか”を、何でもない日常の一遍の中での「このアンテナではこう映っています」というのを形に変換出来たら、スーっと一つ、塊みたいなものが整理される感覚がある。
小さな男の子がミニカーを集めるように、私は心の中で感じた何かしらの温度を形にして集めて持っておきたいらしい。それで、私の音楽を好きになって聴いてくれる人は、きっと私と感性が似ていて、更に同じように収拾癖がある人達なのではないかと思う。
私の集めているミニカーのタイプは、「前に乗ったことのある車」や、「街で見掛けてワー!と思った車」、「乗ったことはないけれど、友だちが乗っていてかっこよかった車」だったり、「親切に道を教えてくれた人が乗っていた車」など・・・、想像の世界で描くものでも雑誌で見て憧れた遠い存在のものでもなく、何かしらの機会があって自分の目で見たことがあってそれでなおかつ何か印象に残るエピソードがある車達で括られている。
「出来上がり!」だとある時に思ったら、それを境にピタっと私の言葉探しの旅は終わる。単語が思う箇所に探すことが出来れば完成。ミニカー置き場に置いて、「あぁ、あの子がボクのミニカー好きって言ってたなぁー。新しいミニカー、来たんだよって伝えて、今度遊びに来てもらいたいな!」というようなことを今度は考える。
私と曲の関係はそんな関係ではないだろうか。
新しいミニカーを、あそこのミニカー置き場に入れたくて、曲作りの時の私は言葉に神経質になる。3つ候補がある状態の時はだいたいがその言葉のどれでもない。どこかに1つピッタリだと思える言葉があるのだ。で、もっと細かい時には「@@が」なのか「@@は」なのかについても延々考えていることがある。
どっちでもいいじゃないか。
いいや、どっちでもよくない。
今日はまだあそこには置けない。
言葉を見つけよう。粘ろう。
あともうちょっとだけ粘ろうと思い直したことで、結果「これでよし」にしなくてよかったと思ったことが何度あったことか。
頑張ろうよ。
私の曲作り。
いつもこんな感じなのだ。


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