青梅K病院に、今日は病友のKさんを訪ねた。Kさんは2001年の1月にほんの2週間病院でルームメイトになったおばあちゃまだ。
まさかこんな風に続く仲になるだなんて、多分お互い思っていなかったと思うのだが、おばあちゃんが「手紙を書くわね」と言って本当に病室に手紙を送ってくれたことから、その後数百通の手紙のやり取りをして今日に至っている。
「病院から戻れて幸せなはずなのに、寂しいんです」
時々、自分自身を持ちきれなくなった私が「寂しい」と素直に言えたKさんだった。今は、私も仕事をしたり自由に一人で外出が出来るようになったが、暗い自分を優しく受け止めてくれたKさんの存在も、私にとって大きな理由の一つなのだ。
Kさんは今年90歳になる。世田谷にご自宅があって、短期入院はこの数年の間にも度々あったが、体が弱いので去年からは完全看護の病院に入所され、もう病院が自室となって1年以上が経った。
片道、私の家からは同じ都内なのに2時間強。まるで旅行に来たのかと思う遠い場所にその病院はある。
「Kさん」
「あら、ヨシカワさん」
机の上には図書室で借りた本と、ノートや筆記用具。壁には達筆なKさんのお習字の半紙が張ってあり、本や絵、映画が大好きなKさんらしい一角になっていた。
おばあちゃんは、ご病気の関係でいつも酸素ボンベと一緒だ。鼻に管を入れて送られてくる酸素が必要で、車いすの後ろにはボンベが積んである。ベッドからの移動は一人では少し難しく、職員さんに抱えてもらって車いすに移動をされるが、随分小さく痩せてしまった感じがした。
「この人はね、有名なシンガーソングライターの人なのよ」
通り掛かる職員さんを呼び止めては、Kさんが顔を紅潮させて私を紹介してくれる。忙しくしている所に呼び止められて、そんな見たことのない人を紹介をされても・・・と困惑する職員さん。
”私はKさんにとって、自慢の友だちなんだ”
小さくなりそうな気持ちを消して、精一杯の勇気で「はい、音楽の仕事をしています」と笑って挨拶をする。
フロアの椅子の所では、最近の出来事や、病院でのこと、お勧めの本の話もしてもらったし、いろんな話をした。
「私はね、あなたにとっても感謝をしているの」
「あなたに出会えて、本当によかったわ」
私がそうおばあちゃんに言われるのには、自分で思い当たるところがない。でも、不意にその言葉が耳に入って来たら涙がポロポロとこぼれた。
「えーっ、嬉しい。私もですよ!」
「Kさんに出会えて、本当によかったです」
手でぬぐうとバレるから、ポロポロとこぼれるままに、”おばあちゃん、見えていなかったらいいな”と思いながら、私も笑った。
いつか、周りの友だちが次々に亡くなって寂しいとおばあちゃんは言っていた。
だから、私は死なない。死なない友だちでいるから、ずっとお友だちでいてください。
最終の送迎バスの時間が迫っていた。
来た時はあまり長居しないようにと思っていたが、時間はアっという間に過ぎていった。
「Kさん、私そろそろ帰りますね」
そこから居なくなるより、見送る方が「寂しい」は絶対に大きい。わかっているのに、わかっていてやはり私は帰ると言うのだ。
ごめんね。
Kさんの口元がヘの字になると、なんだかとても自分が悪いことをしたような胸の痛みがして、「また来ますね」と言っていた。
「また来ますね」程、老人にとって無責任で思わせぶりな言葉はないというのに。
でも口にしたから。
また来ます。
近いうちにきっと。またね。
病院の玄関を出たら、まだ梅雨前だというのに、夏の避暑地の匂いがしていた。
蝉の声だけがしない、夏の旅にいた。