投稿日:2013年08月13日

2013年08月13日

今日から里帰り。

車で帰省予定で昼過ぎに家を出る予定だったのだが、朝家に妹から電話がかかってきた。

どうも父、しげおっちの様子がおかしいらしく、妹が言うには「熱中症」。土曜日から様子が変だったが今日もやっぱりおかしいらしい。それで病院に行くことになったので出掛ける予定を一旦連絡待ちにすることにした。

先週電話をした時には「13日に帰って来るんやな」といつもどおりの会話だったのだが、土曜日の朝にヘルパーさんが家を訪ねて下さった時に、しげおっちは家の中で電話の子機やらいろんなものを鞄に詰めて「今から帰りますねん」と言い、ヘルパーさんのことも覚えていなかったらしい。

聞けばエアコンが止まっていて汗だくで、それで意識がおかしくなっていたらしく、少しずつ正気を取り戻したのだそうだ。

ところが日曜日の朝もエアコンを父は止めていたらしい。

今度はコンセントから抜いていたらしく、妹といつものしげおっちではないんじゃないの?という会話はしていた。

「お姉ちゃん、今来たら大変かもよ」

正気を取り戻したらず〜〜っと父はしゃべり続けているらしく、昨日は妹から「助けて」とだけ書かれたメールが送られていたので、帰省はいつも以上にくつろげない状態だなとは思ってブルーになっていたのだったが・・・。

今朝は向かいの家のピンポンを押して「人を探してまんねん」と言っておかしな行動を取ったらしい。妹は「熱中症」だと言うが、本当にそれって熱中症なのか。だって家の中で鞄に何かを詰めて「帰りまっさ」と言ったり、「人を探してまんねん」と言ったり・・・。それは今までの変わり者しげおっちとはまた別のタイプの行動パターンじゃぁないの。

午後になって妹から電話がかかってきた。

「やっぱり熱中症の症状でそうなったみたい」

病院でそう診断を受けたそうで、妹が言うにはこのまま少し入院をして様子を見るということになりそうだということだった。

ところが、後で知ったがこの時に熱中症が引き金になったどうかはわからないが、この時に心電図に異常が出ていてこのあと心筋梗塞でカテーテル治療を別の病院に移送されて行われたのだった。

何も知らない私は「じゃぁ、やっぱり今日じゅうに出ようか」とそれから家を出発、車で実家に向かうことにしたのだった。

その後夜になって三重県あたりで妹からの連絡で、実は心筋梗塞がわかったということとそれに加えて更なる状況の変化を知る。

心筋梗塞のカテーテル治療中に、今度は左心房の壁が破れて現在危ない状態、今から開胸手術になったから高槻病院まで来てということ。

病院に着いたのが11時半頃だったろうか。

父は既に手術室に入っていた。

妹は「お姉ちゃんはもう一度会えなくても大丈夫?」と聞いてきたが、父も85歳という高齢、車でこっちに向かいながら覚悟はしなくちゃなぁと思ってはいた。

お盆に帰省するのは、初めてのことかもしれない。今年は大学のサークルの同窓会ライブを開催したいとめずらしく会の言い出しっぺになって、今日帰る予定は春から立てていた。

「今須のおばさんともちょうど話をしたし、お姉ちゃんも帰って来たし、りっこちゃんともお父さんに会ったし・・。考えてみたら偶然がすごく重なったから、そういう時期やったんやなぁ」といろいろご縁のある再会が続いたので二人して、待ち合いの椅子に座って”覚悟”の会話をしていた。

私も丁度帰って来られてよかった。

その後明け方になって手術は無事に終わったと担当の先生から教えてもらった。

予後については良くなるともどうなるとも言われなかった。ただ再度心臓が破裂したらもうそれまでなので、覚悟して下さいと言われ、私達は頭を下げた。

もう一度命を繋いでもらったしげおっち。

今はICUで眠っている。

とにかく帰って来られてよかった。

家に着いたのは結局6時前。

とても疲れたけれど、なつかしい実家の空気が澄んでおいしく感じた朝だった。


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