京都ライブ。
昼前にFM京都に行く。ステーションは北山から烏丸に場所が変わったが、個人的にこのアルファステーションに深い愛着がある。一番古くお世話になっている方は、私が大学を卒業して、社会人にもなれずに道端でウンコ座りをしていた頃からになるので、まずステーションのドアを開けると、「あの人は居るだろうか」「この人は今日は来てるかな」と、人の姿を探してしまうのだ。
祐民子ちゃんは新しい場所に移ってからは、来るのが初めてになるのだそうで、つい私も「今日はお友達を連れてきました!」と紹介をしたくなるのだが、考えてみたら今までに祐民子ちゃんもキャンペーンで何度もここを訪れている。私が紹介する必要なんてなかったのだ。
お世話になったいろいろな方との再会が出来た。一人一人、会えるごとに「元気そうでよかった」と嬉しくなった。
番組にゲスト出演後、挨拶をしてステーションを出る。
昼食の店に入ったところで電話が鳴った。
ペットシッターさんからだった。
”なんだか、様子が落ち着いたみたいです”と、先にその言葉をイメージした。そう聞きたくて急いで電話を取ったが、その電話で私はゴン太が亡くなったことを知った。
死んじゃったの?
ゴンちゃん。
なんで。
だって元気にしていたじゃない。
私が出掛ける時には。
おじいちゃんフェレットのゴン太。考えてみればいつ急に亡くなったとしてもおかしくはない。だが、チビ太が亡くなった時のことが自分のものさしとなって、同じようにゴン太もゆっくりさようならの時間をくれると、私は希望も含め信じ込んでいたのだろう。
ごめんね。
痛かったのかな。
苦しかったのかな。
そばに居られなかった。
店に戻ったら、自分の”切り替える”スイッチが効かなくなっていた。ゴン太にごめん、みんなにもごめん、ごめんに覆われてただの私に戻って店の中でワンワン泣いた。
金沢、大阪と二日間のライブがあって、今日は地元である京都では祐民子ちゃんにお礼がしたかった。お礼と言っても何がお礼なのか、そんなものを一つも持っているわけじゃないけれど、気持ちはそうだった。
でも今日のライブを支えてくれたのは、最初から最後まで祐民子ちゃんだった。出だしの3曲は私が一人でステージに立ったが、ステージ上に居なくとも支えてくれたのは祐民子ちゃんだった。
3曲を終えて、ステージに呼び込んだ時、客席には見えなかっただろうこっちを見てくれた目が本当に優しくて心強かった。
個人的には悲しい一日だった。
でもゴンタが亡くなったことは事前に知れてよかった。一飼い主として、連絡をもらえてよかった。
心が揺れたり、心細くなったり、葛藤があったり。
私はやっぱり「働くおとうさん」にはなれないんだ。
いろんな出来事がある。
ライブは生身の人間がその日にその時出来ることを披露する場所。こんな音楽の日もある。
今日は時間を作ってたくさんの人が集まってくれた。
その日のベストを。
祐民子ちゃんがたくさん支えてくれた。
足元がよろけた私をカバーしてくれた。
今日のライブはそうして在った。
ライブの裏側だ。