投稿日:2007年02月12日

2007年02月12日

自分が最初に出会った価値観は両親の持つ価値観だ。
そうだなと納得をしたこと、あまり素直に受け止められなかったこと、反発するものに対しては一旦はその年齢で持っていた鎧で反発はするものの、言葉に変える能力を持たなかったので、ギスギスしたまま自分の中へと入ってきたりして、だが一応は両親の物の考え方は体に受けてきたことになる。
今の私の”いい物の見方”は、ほとんどと言っていい、自分が社会に出て出会った人の言葉に影響を受けたものだ。それまで自分には考えもつかなかった物の考え方や捉え方、自分の体にはなかったものが、ふとした会話で心が大いに動き、そのままその人の言葉が体に入って血や肉となる。言った人はそのことを忘れても、自分にはそのシチュエーションがいつまでもその時の衝撃を覚えている。
素晴らしい価値観を教えてもらった瞬間だからだ。
先日ある女性からのメールを読んでいて、また心が大きく動くことに出会った。
”なめし革”
なめし革なんて単語は、私は初めて人のメールの文章で読んだ。しかも女性の書く何も難しくない内容の中にこの言葉が出てきたのだ。
「なめし革のような女性になれたらいいなと」
そんな女性になりたいといつも思っているのだと、それを気にしながら過ごしているという話をしてくれたのだった。
<革って、傷がついても、それが年月とともに「味」や「風合い」になっていくでしょう!?たとえば刃物のようなもので付けられた鋭利なキズでも、それがだんだんもとからあった、その革の一部になっていって・・・>
刃物で付いたような傷。
刃物という言葉から、深い傷を想像する。
私はそれぐらいショックな何かがあったことには、とても弱い。そしてもうその傷を見れなくなる。もうこれ以上傷つきたくない、もう近付かないから、もう忘れるから。それを誰にも話したりしない。同じだけの傷を相手にしてやりたいという気分にもならない。ただ二度と目にしなくてもいいようにと、かたく鍵をかけることで、過去”自分が感じた”大きな傷について折り合いをつけてきた。
たとえ刃物でえぐったような傷でも、だんだん自分の一部に変わっていく。そのことを自分が意識していれば、どんな傷だってそうしていける。
彼女は平らな文章で、手が届く身近なことのように変えて教えてくれた。
大人は小さな傷の癒し方はだいぶ覚えている。だが私と同じように大きな傷に対しての向き合い方については、まだ持て余している人が多いような気がしている。
かたく閉ざして、それを見ないようにすることも
苦しいこと。
”なめし革”
彼女とは私が20代の頃に知り合った。
これはこの先、繰り返し思い出す話になるだろう。
心動かされた彼女の価値観だ。


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