近所の幼稚園が卒園制作なのか、外壁をキャンバスに園児達の絵が描かれている最中なのだ。
私も母校の小学校に行けば、池の外堀のレンガの中に自分の卒業制作で作ったものがまだあるかもしれない。自分達の年は「自分の顔を粘土に彫って、焼く」といった最終的には陶器のような何かになったのではなかろうか。
当時は図工、美術が楽しいと思えなかったので、イヤイヤやっていたような記憶があるが、今となっては貴重な宝物。機会があれば見に行ってみたいものだ。
それにしても、あの頃は”いつか中年になった自分が懐かしく母校を訪ねるかもしれない”ことを想像しながら作っていた子供は居なかっただろう。現在の私達は子供時代の自分達を懐かしく振り返ったりするが、子供時代の私達からすれば現在の自分達はきっと”まだ生きている化石のような自分”と、恐らく戸惑う存在になる。そう思うとちょっとおかしい。
母校を訪ねるここの園児達も居るんだろうなぁ。
となると、ちょっと気になることがある。
ここの幼稚園、外壁をキャンバスにするのはいいのだが、前に描いてあった園児達の絵を上から白く塗りつぶしてから次の絵を描いているので、無邪気に描かれた子供達の絵の下には以前に描かれた子供達の絵が眠っているというしくみになっているのだ。
「あ、わたしが描いた絵がなくなってる」
卒園した子の中にそう言っている子がきっと居る。
天は人の上に人をつくらず。
とは行かないようで・・・・。
近所の幼稚園は、園児の絵の上に園児の絵が描いてある。
壁に新しく描かれたお花やお人形さんの絵を見て、少し胸が痛い私なのである。