投稿日:2009年06月15日

2009年06月15日

夕方、ダンボと散歩から帰って来ると、角っこの家のところに「ムサシを探しています」というチラシを見つけた。
「ムサシ」は斜め前のお家の猫。私は猫になついてもらえないことが非常に多く、猫コンプレックスに陥っていたのだが、この「ムサシ」は私にもなついてくれるフレンドリーな猫ちゃんだった。アメリカンショートヘアの血が混じっていて、兄妹でもらわれてきたが、妹は車にはねられて死んでしまったらしい。それからも長い間いつもの場所でムサシは妹が帰って来るのを待っていたと、つい先日聞いたところだった。
張り紙には水曜日から居なくなったとある。前みたいによそのお家でしばらく過ごしていたという状況だったらいい、とにかく車にはねられないで居てくれたらと願うばかりだ。
飼い主さんの家から、最近は餌をくれたり新しい首輪をくれたりするお隣りの家にすっかり居ついてしまったようで、連絡先を書いた張り紙を出したのもそこのお宅だったが、でも飼い主さんのお家は年を取ったお父さんと30代ぐらいの息子さんとの男だけの二人暮らし。
この間、お父さんに「犬はいいね〜。ウチのバカ猫め。最近は隣りの家に行っちゃって帰って来ないんだよ」と話し掛けられたが、ここの父子がムサシを可愛いがっているのは私の部屋からはよく見えていたのだ。男の人ならではの不器用な接し方で、だけどとても大事にしているのは知っている。
ムサシ、どこに居るのかな。
心配している人が居るよ。
寂しがる人が居るよ。
チビ太が居なくなった時、張り紙をしたことがあった。その日の夜中、もう一度だけ探しに行こうと思ったが、ショックで腰が抜けて動けなくなった。”腰が抜ける”ということは始めてで、それぐらい心配でしょうがなくなることだと、張り紙を見るとその時の気持ちを思い出すのだ。
元気で帰って来て欲しい。
そう願うばかりだった。


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