投稿日:2009年08月10日

2009年08月10日

お昼前に、ダンボの調子が少しおかしいのに気がついた。しゃっくりのような状態が続いていて、一心に床をずっとペロペロと舐めている。前にもこういうことはあって、床をしばらく舐めたあとでグエっと吐く。吐けば落ち着くみたいなので、今日も吐きたくて床を舐めているんだろう。
だが、今日はそれが一度で収まらない。
「ダンボ、しんどいの?」
小さな犬なのに、こういう時に私を頼りにしていないんだなぁということがわかる。私は子供の時には、風邪で寝ている時に母が近くに来てくれたらホっとした。お腹をなでてもらうと少し楽になったものだった。大人になってからも、寝込んでいる時には一人だと心細い気分に覆われたので、ダンボの近くに行くのだが、ダンボは私の存在は必要がない様子で、自分でなんとかすることを考えて行動をしている。少し遠巻きに様子を見ながら、この小さいけれど別の生き物であるダンボのことを、尊重しつつ自分の立場でジャッジをしなくちゃいけないなぁということを考えたりしていたのだった。
ダンボの様子は午後には落ち着いたが、夕方の診察には病院に連れて行った。
症状を伝えると、今は落ち着いて食欲もあるのなら特に心配することはないでしょうとのことだった。もうその頃にはいつものダンボに戻っていて、「ごはん」の単語にも飛び跳ねて喜んでいたので、ひとまずホっとしたのだ。
今日の朝はいつもと変わらない朝だった。
いつものように私は朝食を食べて、いつものように過ごす予定だった。
でも犬の調子が悪くなると同時に、私の心も曇ってきて、”さっきまで”の穏やかな時間はいきなり遠い昔のように思えた。
体調に無意識でいられる時間は幸せな時間だ。
自分自身だけでなく、それは身近な人の体調も含むと思う。
「あれ、なんだか変だな」と自覚するまではずっと無意識にいられる体。
普段からたまにこのことを思い出したりもする。長い病院生活を送ってからだ。
元気なダンボの姿を見て、それだけで何て幸せな夜なんだろうと思った夜だった。


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