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投稿日:2014年01月09日

2014年01月09日

セキスイハウスのコマーシャルを見ると、何故かちょっぴり切なくなるのだ。

子供の頃からあのコマーシャルを見て、曲を聞いてきた。

一体何バージョンのCMを眺めたかわからない。

コマーシャルに出て来る家はいつも素敵だった。悩みなんて全然なさそうで豊かな暮らしと空間があって・・・。どこの街なのかはわからないが、コマーシャルを見ると頭の中に新興住宅街の風景が浮かび、自分が主なのか誰かが主なのかわからない「幸せな家と幸せな家族」がポワンと浮かぶのだった。

子供の頃からコマーシャルの度に頭に浮かぶそれらの家と家族達。

いいなぁ、家って。

そう思わせるあたたかいコマーシャルのはずなのに。

現実はどの家にも一歩中に入ったら、それぞれ悩みや問題があって、それが外に知られていないだけで、コマーシャルを地でいくような家はほとんどないのだなぁと思うようになったら、今度はあのコマーシャルの曲がだんだん切なく聞こえて来るようになってきた。

頭に浮かぶ、あの暮らしの風景は心が作る幻なんだなぁ。

だって私の家は借家だし、それに部屋ん中はもっと物で溢れているし、毛玉がついたジャージにすっぴんのいでたちだ。

犬がおしっこをしたペットシートを「臭い!」と言いながら片付けるし、小さなクモを見つけては格闘するし、冷蔵庫の中の消費期限が過ぎた食べ物を発見してごめんなさいと言ってゴミ箱に捨てている。

コマーシャルの中の家には程遠いのが、今まで自分が暮らしてきた家たちだ。

でも、それぞれ自分の家だった場所が気に入ってそれなりに満足してきた。

私達はいっぱい勝手に想像をして作った幻の景色を頭の中に描いている。

現実にはないものを頭はいっぱい生み出している。

それを夢と呼ぶのだろうか。

それらは素敵な想像でもあるし、またちょっぴり切ない勘違いでもあるのだ。