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投稿日:2014年12月09日

2014年12月09日

まずは無事にドバイに到着。

<着陸寸前のドバイの景色です>

<空港内>

今回は事前に航空会社に病歴などを伝えて、広い空港内は車いすやカートに乗せてもらって移動出来るサービスを申し込んでおいたら、入国審査も移動も係の人がスムーズに最短コースでいろんな手続きをしてくれて、迷うことなく次の飛行機に乗れるゲートまで連れて行ってもらえるみたいだ。

<女性はブルカ姿、でも脱いでいる女性を見たらものすごく綺麗でした>

次の搭乗時間まで、ここで待つらしい。

ふぅ〜〜〜っ、これは助かるなぁ。

ホッとしていたら、さっき乗った便にパスポートのコピーや病歴や薬などを書いたエマージェンシーメモのコピー、海外パケット用のiPhoneの手続きのプリントアウトしたもの、プラハの地図など情報系のもの、それから帰りのフライトのインターネットチケットを入れたファイルを座席のポケットに忘れて来たのに気がついた。

早すぎる早速の凡ミス。

出発前にチェコ語もカタカナ発音で書いた紙もあったのに・・。

いや、今ならまだ飛行機から降りて間もないんだからきっとなんとかなります。

そこで航空会社のカウンターに行って、まずこの状況を伝えなくては。

制服の日本人っぽい人にまず話しかけてみる。

「ジャパニーズ?」

「ノー」

「アイ、アイ、アイ、フォーゲット。えっと、さっき乗ってきた、アイ フロム ナリタ トゥ ヒア。エアプレイン。マイシート?!のフロントポケット」

えっとえっと。 紙。大事なことがいろいろ書いてある紙。ファイルに入った… 。忘れ物はフォーゲットでは伝わらないと思うが取り敢えず身振り手振りで伝えてみる。

「オーケー、心配しなくても大丈夫よ」と言って歩いて行くので、あとをついていけばいいのかと思ってついて行ったら。

「ここからは来ないでね」

と、言われたので待つことになる。

そこは事務室か何かで、前の飛行機に連絡をとってくれていると思ったら彼女は事務室から出て来て、「心配しなくても、ここで待っていればいいわ」と言って去って行ったのだった。

しばらく待っていたのだが、一向に変化がなく・・。

事務所を見に行ったら、そこはただのトイレだった。

伝わっていなかったんだわ。

めげずにカウンターに行って、同じことを訴えるのだが英語が下手過ぎて2人にスルーされ、2人から私の相手を押し付けられた3人目の女性はなんとか頑張ってくれたのだが、途中で勤務時間が終わったようで「お役に立てなくてごめんなさい」と言って去って行った。

紙、書類、えーーっと何て言えばいいんだっけ。

すると年配のクルーがやってきて、「ドキュメントを前の飛行機に忘れてきたのね?」とようやく気づいてくれて連絡を取ってくれたのだった。

「じゃぁ、あちらに座って待っていてね」

いいお知らせかとしばらく待っていたら、その年配のクルーも次の早番の人との交代時間がやってきて、爽やかに去って行ったのだった。

さっき一瞬ナッシングと言ったあれが回答だったってことか。

うそやーん。

見に行ったらあるって。

どうしよう。

データローミングの仕方もわからない。プラハの情報は全部ファイルの中。帰り、私は何時何分の飛行機に乗って帰るの?iPhoneがあれば大丈夫だと思っていたが、そうではなかった。

これでiPhoneを無くしたらもう終わりじゃないの。

iPhone はかっばらいに盗られるらしい。

絶対に盗られてはいけない。

飛び蹴りしてでも奪い返さないと。

腹を決めるしかないので、ここで絶対にこれ以上の凡ミスはしないぞと心に誓った。そうだ。なんとかなるのだ。根性で乗り切ろう。頑張れ、エイエイオー!

ドバイではプラハはプラークという発音のようだ。

プラハと言っても全然通じなかった。

さよならドバイ。

私のドキュメントは誰かの日本語の勉強に役立ってもらえますように。

ドバイを発って約7時間。

<飛行機の中のフライトナウ情報。今、自分がどこにいるのかわからなかった>

プラハに無事到着。

移動をお手伝いしてもらった職員さんにお礼を言って、さぁプラハの中心部に行くぞ!

成田やドバイは大きな空港だが、プラハルズィニエ国際空港はこじんまりした空港でJR京都駅の八条口の辺りをもう少し小さくした感じだ。凍えるくらい寒いかと思っていたら東京とあまり変わらない気がする。曇り空のイメージだったが晴れていてちょっと意外だった。

<プラハルズィニエ国際空港、京都駅八条口に少し似ている>

ここでまた暗雲が立ちこめる。

スーツケースがスムーズに動かないなぁと思って見てみたら、車輪の1つが本体のスーツケース側の所からパキっと割れているではないか。こういう破損関係のことは、空港の外に出てしまったら航空会社へのクレームは受け付けられないらしい。

ふんがー!

ふんが、ふんがー!

そんなこともなんとかなる。なんとかする。んがーーー!

まだ完全に割れ切ってはいないのが救い。残りの3つの車輪になるべく頼りながらとりあえず行くことにした。

空港からはエアポートエクスプレスで市内へ移動。

こちらは今の季節は日没が4時なので、ホテルに着いたのが2時ぐらいだったが既に夕方の日差しに変わっていた。

<ホテル近くのパラディウムショッピングセンター>

はぁ~っ。

着いた~。

よかった~。

初っ端から大事な紙類を忘れたり、スーツケースの破損でひるんだが、携帯とお財布とパスポートをなくさなければ何とかなるだろう。いや、なんとかしなくては。

というか、一つ一つ冷静に片付けていけばいいのである。

<ホテルの外観>

<部屋>

<広くてどこかのお家のようでした>

まずは明日の午前中に参加予定のバスツアーの確認をして…と。

出発ギリギリ前に予約をしたバスツアー。なので、予約が確定しているかはメールを確認しないといけないのだが…。

予約確定のメールが届いていたものの、よく見ると送られたメールをプリントアウトしないとチケットとして有効にならないということが書いてある。

えーっ!

TSUTAYAみたいに、携帯に届いたメールみたいなもんを見せるだけじゃだめなの?

それに出発時間が怪しい。

18時10分にお迎えって書いてあるが、私が申し込んだバスツアーは11時と13時しかないはずなのだ。

前回サンフランシスコに行った時に「夜景を見に行くバスツアー」に参加しようとホテルのフロントに頼んで、時間通りに行ったら最終のツアーが出た後だった。フロントの人にしてみれば「ごめん!時間間違えとったわ~」で終わりかもしれんが、私にとって現地最終日。どないしてくれるねん!とっても悲しかったのである。

二度と同じことには遭わないぞ。

現地の催行会社にホテルの部屋から電話をしてみる。

日本と若干通信音が違うので、何度かけても話し中なのか繋がっているけれど人が出ないのかわからない。ホテルの人に相談をして何とかプリントアウトの件は解決したが出発時間のことは謎のまま。

わからない。

どうしようか。

日本語でメールを送れる場所があったので、出発時間の確認メールを送り、もうあとはなるようにしかならないのでもう考えるのはやめることにしたのだった。

部屋にこもっていてもしょうがない。

ちょこっと旧市街に出掛けてみようか。

<ホテル近くの出店>

<ホテル近くのクリスマスマーケット>

石畳みの道に古い建物。5時半で既に真っ暗。日本の夜10時くらいの夜の景色だ。日が沈むと一気に寒くなって、写真を撮る為に一瞬手袋を脱いだだけで、ものすごく冷たい。

<路地がすごく妖しくて素敵でした>

が、景色は写真を撮りたくなるような絵が多く、まるで映画で観た中世ヨーロッパの世界で、路地に入るとどこかから魔女が出てきそうな妖しい感じもする。

やって来たのは旧市街広場。クリスマスマーケットが開かれていて、ホットワインやケバブ、クリスマスリースや防寒グッズなどいろんなお店が出ている中、ヤギやロバに餌を上げられる露店に吸い寄せられて行った。20コルナでガチャガチャに入った餌が出てくる。

近くにいたロバくんはそれが餌だと知っているので、待ちきれずにフンガフンガ言って顔を伸ばしてきた。

ロバくんとさよならをして少し歩くと、今度は二頭の馬で引く観光用の馬車乗り場を見つけた。京都や浅草では人力車が観光用に出ているので、それのプラハ版ということなのだが、馬車を引く男性がこれまた中世の頃の黒い帽子に黒マントを身につけているので、すごく雰囲気がある。外国人観光客が祇園で舞妓さんを見たら感動するであろう同じ感動をしたのだ。

石畳みを馬車が行く。

ライトアップされた古い街並みが、より一層映える。

あら〜〜っ。

来てほんと、よかったわ!

プラハ、初日の夜。

歴史的な建物を前にすれば、今日起きた失敗や災難もどうでもよく思えてきたのだった。