呼吸器外来日。
8月以来のCT検査の結果の説明を受ける。
7月に放射線治療を受けた箇所がわずかに小さくなっていた。左の胸膜にある腫瘍は無治療のままだったが、こちらも大きさは変わらず。ただ小さい腫瘤があってこちらは少し大きくなっているとのことだった。
私は「あぁ、よかった。」現状維持が出来たことにホっとしたのだが、先生はあらためて今後は治療出来る事はなにもないということ、それから腫瘍が大きくなったらもう多分駄目だと思うので、覚悟をしてくださいと言う。腫瘍は1ヶ月でも大きくなるし、もうこれから先のことはわからないんです。とにかく5年10年は生きられないのでそのことだけはご理解下さいとのことで、緩和医療の受診を勧められたので予約を取ってもらった。
崖っぷちなことはもうわかっている。
だけど、今日の検査の結果を見て「なんとか繋いで来れてよかった!」と私は喜んだのだ。
きっと先生は先生なりに、あまり希望を持たせないことが優しさだと考えてそう説明をくれたのだろうし、先生の言う通り最短で私はあと1ヶ月で急変して死んでしまうのかもしれない。でも命の未来予測というのは怪我や風邪などの予測とは、ちょっと違うんじゃないかと思う。死ぬことをまず前提に話すというのは少し違っていると思う。西洋医学での治療は確かにもうやれることはなくなったのかもしれないが、「あなたはもうすぐ死にますよ」的な暗示をかけるような説明はやっぱりよくないと思う。
もしも逆の立場だったら・・・。今の私ならもう少し視点を変えて説明しているだろう。物事はどの角度で見るかによって随分と様子が変わってくる。
最近、「自分を大事にする」ということが少しだけわかってきた。
私自身の心は今まで、例えば不条理なことに直面したり、今日のようにショックな説明をされた時に、まず最初にそのまま不意打ちのパンチに打ちのめされてしまっていた。だけど、そういうパンチもミットで受けて自分を守るのも自分自身、「自分を大事にする」ということは時にはミットを出す。そうして必要以上のストレスを受けないように自分を守る。どんなこともストレスにならないのであれば、なんでも受ければいいが、そうじゃないのなら、ちゃんと意識してミットを出すこと。それが自分を大切にするということなんじゃないかと思うようになってきた。
以前の私は、今日みたいな日にはこの世の終わりの気分で真っ暗な気持ちに覆われつくされていた。
自分を大事にするよ。
たくさん病気をさせてしまった私の身体だから、これからはもうちょっと頑張って守る。
先生にもいろんな説明の仕方があって、決してベストで的を得たことばかり言ってもらえるわけじゃない。真に受け過ぎてはだめ。今日、私は元気に過ごせていることをまず信じなくては。
ちょっとだけ泣いた。
だけど、その後前から行きたかった根津の「はん亭」でランチを食べ、上野の森美術館で北斎展を見て、秋の午後を楽しんだ。
すごいじゃん。
出来るじゃん、私。
自分を大事に出来たと思えたら嬉しかった。
いっこいっこ、今日の景色をつないでいこう。
そうだよ。自分を大事に、行こう。