数年前まで、年末年始は父は施設のショートステイに行っていたので実家は留守、なので私も里帰りをすることはなかった。
一昨年のお正月は妹一家の家で過ごしたのだが、父は予定を早々に切り上げて家に戻っていた。理由は孫にテレビのチャンネル権があるということへの不満で、私達姉妹はその理由にあきれたものだった。
3歳か4歳のちびっこ相手にテレビのことで張り合うだなんて・・・。
だが。
それが父、しげおっちなのだ。
今年のお正月は私が犬を連れて実家に帰り、そうしたら帰りに「京都まで送って行きたい」「そこで食事でもしようや」と言い出して、こちらは風邪をひいて具合も悪く犬も居るので、予定通り既に取ってある新幹線の指定で帰ると返事をしたことから、最後は地団駄を踏んで暴れるほどかんしゃくを起こしてこれまたびっくりしたのだ。
普段妹一家が父のわがままに振り回されているので、お正月は私の出番になるのだ。
先日、お正月に帰るからと電話をした時には「ふーん」とあまり興味を示していなかったが、妹に嬉しそうに報告をしていたことを知ったのでいよいよ実家に帰らないといけなくなった。
はふぅ〜〜っ。
変わり者の両親は父親一人になっても変わり者度数は尋常ではなく、むしろ実家はますます変わり者帝国として栄えてしまった。とにかく変。相当エネルギーが奪われる。だって実家に帰ってふぅ〜と椅子に腰を掛けたら、「そこはやめてくれ!こっちに座ってくれ!」と座る位置まで決められるのだ。父の思った通りに行動をしないと行けないので、妹は寄り付かなくなり、父は反省するどころか「実家が落ち着かへんとは何事か!」と不服を述べていた。私も同じだが反論はしない。生命力が落ちないように波風を立たせずにやりすごすのみなのである。
それにしても、驚いたのは”最近すごく栄えてきた”と父が言う実家近辺は思ったより不便なままであるということだった。元旦の日は父から聞いたタクシーがつかまるJR島本駅では一台もタクシーは居なかっただけでなく、配車の電話を方々に掛けても全部断られて結局偶然通りがかったタクシーに乗せてもらえたものの、それでも30分小雨降る中途方に暮れたのだ。
そして実家から帰る時には家から配車の電話をしても、これまた一台も配車予約が取れなかった。実家は大阪。いわゆる世間におけるイメージの大阪とえらく違うのである。1〜2時間待ってもタクシーは配車出来ないとのことで結局隣りの市に住む妹に頼んで送ってもらったが、今住んでいる所のように長くて配車待ち10分ということはあり得ない。なので今年は京都でレンタカーを72時間コースで予約をした。
こういうイベントごとで、父が暴言を吐いたりかんしゃくを起こさずに穏便に終了できたケースはない。何かしらあるのだろうが、そんな時には車に乗ってぶらり出掛けて気分転換でもするのだ。
あぁ、そういえば初めて車の免許を取って我が家の運転をするという時、父が教官を買って横に乗ったっけ。
私の運転にことごとく怒り狂ってブチ切れて、車の運転でなく父の対処に気を取られて淀川の堤防から車ごと落ちそうになったのだった。
実家は危険なゴリラでも居る密林地帯に足を踏み入れる程の勇気と知恵と体力が要る。
ご本人はそうは思っていないのだが。
父と会うのは毎回、命がすり減るイベントなのだ。