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投稿日:2007年10月06日

2007年10月06日

西川峰子さんのコンサートで福岡に行った。
退院して初めて飛行機に乗ったのだ。音楽の仕事に戻れたとしても、いわゆるツアー系のことはもう私には出来ないと思っていたが、今年は飛行機に乗って福岡まで行けた。なんだかちょっぴり自己ベストが伸ばせたようなそんな喜びがある。
他のメンバー、スタッフのみなさんはツアーの仕事を抱えている人達ばかり。現在ツアー真っ最中だったり、まもなくツアーに出る予定だったりと、とにかく私以外はみんな日本全国旅慣れている。
福岡空港でギターの末松さんと合流をして、ワゴン車計4台で明日コンサートをする田川郡に向かった。
峰子さんからは「7歳まで電気が来なかったのよ」と伺っていた生まれ故郷。情報を収集したが今ものどかな所らしい。
車で一時間半、高速や山道を走って着いたのが今日のお宿。
コンビニまで7キロ。
本当の山ん中だった。
ここは、バンガローがあったり研修会があったりと、学校の林間学校で泊まりに行くような宿泊施設で、ツアー慣れしたみなさんにとっては、あまり来る機会のないお宿だと思われる。今日は連休の初日ということもあって部屋は満室なのだそうだ。
私は和室でなくベッドを用意して頂いたということで、一人だけ別の部屋になったのだが・・・。
鍵をもらってふと見ると、「休憩室」と書いてあった。
休憩室ってどんな部屋。
小さなテレビと茶ぶ台が置いてあって、普段はここの職員さんが休憩時間にご飯を食べに来るような場所なのかな。
みんなと一緒に客室のある2階に上がったが、休憩室はそこにはなく、西川さんのマネージャーの佐々木さんが「1階だったみたいです」と調べてきてくれたので、彼女の案内で休憩室に行ったのだった。
ガチャ。
「えぇーーーっ」
佐々木さんと二人で同時に叫んでいた。
ここって何十畳あるの。
はっきり言って、勘定が出来ない。
休憩室は学校の体育館の半分ぐらいの大きさの、とてつもなく大きな部屋で、そこにベッドがポツンと一つ置かれていたのだった。
バドミントンのコートなら4面は取れるであろう面積。
今まで「広い部屋」であればあるほど、嬉しくなるものだと思っていたが、「恐ろしく広い部屋」だと心細くなる。こんなことは初めてなのだ。
夕飯時、私の部屋のことが話題になり・・・。
あまりに広くて眠れそうにないことを打ち明けると、今度は逆にメンバーの部屋は8畳に3人が寝るということを知り、それで「是非共、私の部屋で寝ていただけませんか」とお願いをして、休憩室にメンバーの方に一緒に泊まってもらうことになったのだった。
おーい。
4人でシェアしてもなお隣りまで10メートルは離れている。
DSC02353.JPG
ギターの末松さんとは、今日で会うのは2度目。「会って2回目の男性ミュージシャンと同じ部屋で寝た」と、父しげおっちに話せば「帰って来〜い!」と激怒されるだろうが、末松さんとの距離は目と目が合っているかも確認出来ないぐらい遠い距離なのだ。
「合宿みたいで面白い」とベースの植田くんは笑っていた。波多江くんは明日現地に直接来るので、今日のこの状況を知らない。「波多江くんも居たら、多分面白がると思うよ」と植田っちはまた笑った。
本当に合宿のようだった。
キーボードの友成さんは大先輩なので、一緒の部屋に泊まってもらうのはどうかと一瞬恐縮したが、大先輩にも本当に同じ部屋で泊まってもらったのだ。
星がとても綺麗だった。
空気が綺麗なところに来たんだなぁ。
西川さんの那須のご自宅もこんな風に星が綺麗だった。
「私の那須の家と生まれ故郷の両方を知っているのねぇ」
お風呂上がりの峰子さんが、そう話してくれた。
「でも、ここの星は本当はもっとすごいのよ」
”こぼれそう”なジェスチャーをして見せてくれた。
自分の生まれ育った町に対する愛着を感じられる話を聞く時、私も一緒に幸せな気分になる。私も自分の育った町にとても愛着がある。
峰子さんはよく「何にもないところなのよ」と言っていた。それは否定的な気持ちから出る言葉なんじゃない。そうだ、私も実家辺りのことを話す時、「何にもないところ」だとよく言っている。
もっと”こぼれそう”なぐらい、なのかぁ。
空にはたくさんの星がまたたいていた。
私には”もっと”が想像出来ない程、十分こぼれそうな輝く星達だった。