今日も輸血の日。
入院病棟は20代前半の看護師さんが多いが、輸血センターは夕方の5時にセンターが終わって当直などもないからか、看護師さんは年配の方が3~4割方といった感じだ。
普段、生徒さんや看護師さんなど若い女の子と接することが多いが、いわゆる”若者言葉”というのをほとんど聞かない。イントネーションが変なところに来ていたりする話し方もなければ、「ちょ~ヤバくないっすかぁ」みたいな言葉遣いもほとんど聞かず、多分友達同士の会話では”今時”な言葉遣いをしていたりするのかもしれないが、TPOをしっかり使い分けることが出来るのはすごいな、バイリンガルだなぁ。と、彼女達の頭の良さに感心してたりするのだ。
あまり今時の言葉は好きじゃない。
それから、女性がガラの悪い男言葉を使うのも好きじゃない。
特に綺麗な女性やカッコいいと言われている女性がガラの悪い男言葉を話しているのを見ると、だったらお化粧をしたりするのもやめて、いっそヒゲや腕毛も生やせばいいのに・・、と中途半端な感じがして残念に思うのだ。
でももっと気になることがある。
それは言葉遣いではなく言葉の使い方だ。
何年か前、ツィッターを楽しく始めたものの、ある頃から私は他人の”つぶやき”の中に、なんだかとてもどんよりした気分になるものがあるんだなぁと感じるようになった。そしてそれをだんだん不快に思うようになっていったのだった。他愛のないつぶやきが癒しになっていたのが、いつしかリツィートで回ってくる知らない人の吐いた毒さえ目にするようにもなり、楽しい気分がだんだん嫌なものに変わって行って、それで最近はあまり魅力のあるものに思えなくなってしまった。
又、ちょっとした言葉の使い方なのだが、「してあげたのに」「してやったのに」は私の”信用出来ない人ものさし”にひっかかるワードだ。この言葉遣いは嫌いな言葉の一つで、それはだいたいそこに居ない誰かに対する恨み節が入っているのだが、そんな古いことをよく引っぱり出してきて今言えるなぁと怖くなったりする。この人に借りを作ることはやめよう。というか距離を置こうと思う。よくわからない。どうして「@@した」で終われないんだろうか。
人間は唯一、言葉でコミュニケーションを取り合える動物だ。
だけど、やはりちょっとした言葉の使い方で私だけでなく多くの人が動物的な嗅覚で「この人はすごいな」と尊敬をしたり「うさん臭い」と感じたりしながら、接した人のことを嗅ぎ取っている。
言葉を何の為に使うのか、どう使うのかについて、言葉の使い方の質をもう少し人間みんなで上げていきたいなとたまに思うのだ。